ちょっとした出来心で



最初は、ほんの少しの出来心。

だって…あんなに泣かせる事になるなんて、思いもしなかったから。






『夏休み明けにはテストが待ってるから、聖さまに勉強を見てもらう』

なんて…これはお泊りを祐巳ちゃんのお母さまたちを納得させる為のもっともらしい理由のひとつ。
まぁ、私は何故か、お母さまの絶対的な信頼を得ているようで大丈夫みたいだけど。

車で駅まで迎えに行くと、祐巳ちゃんはちょこん、という感じでベンチに座って私を待っていた。

人待ち顔で、何処から私の車が現れるのか、キョロキョロしながら待っている。
その様子が、なんとも愛らしい。


「ゆーみちゃん!」


駐車スペースに車を滑り込ませて窓から名を呼ぶと、ハッとした様にこちらを見て、満面の笑みを浮かべてベンチから立ち上がり駆けてくる。


「聖さまっ」


その様子が仔犬を思わせて、抱き締めたくなってしまうくらい可愛い。


「ごきげんようっ聖さま!」
「ごきげんよー、ほら乗って乗って。今日も暑いねー」
「ええホントに。あ、でもさすがに車の中は涼しいですね」


涼しい車内に祐巳ちゃんがホッと一息。ゆっくりと車を走らせる。


「昨日より暑いんじゃないでしょうか」
「んー?天気予報で今日も30℃越えって云ってたのは間違い無いけど」
「…夏バテしちゃいますよね、このままじゃ」


全くだ。
それに、このエアコンってのがまた結構クセモノ。
涼しさに慣れた体が、一歩外に踏み出すと、一瞬息がつまる様な感じになる。

冷えた空気と熱い空気に体は悲鳴をあげているみたいだ。
…絶対、体に良くない…良い訳ない。


「祐巳ちゃん、水分とってる?きちんと水分補給してないと熱中症になっちゃうよ」
「はい、それは抜かりなく。聖さまに以前云われてから、心掛けてます」
「よろしい」

右手でハンドルを握りながら、左手で祐巳ちゃんの頭をぽんぽんと軽く叩く。
…何気ない接触。
それに祐巳ちゃんが嬉しそうに頬を染める。

大学生と高校生。
なかなか時間は合わない。
帰り道で逢える事もあるけど、でもやっぱり。

だから、側にいる時はついつい触ってしまう。
まるで、その存在を確かめているみたいに。







「…あ、そうだ。祐巳ちゃんって恐い映画とか平気?」


いつもの様に一緒に晩ご飯作って食べながら、ふと思い立った、という様に聞いた。

昨日、何気なく立ち寄ったレンタルショップで、つい出来心で恐いと評判のホラー映画を借りてみた。

そう、出来心。

祐巳ちゃんは、多分恐い映画とかは苦手なんじゃないかな、と。
でもこれで祐巳ちゃんはなかなかの負けず嫌い。

ちょっと煽れば全然平気ってムキになって見るんじゃないか?なんて。

恐がる祐巳ちゃんが見てみたい…なんて。


「ホラー映画ですか…?嫌いではないですけど…」


おや、予想外の反応だ。


「昨日ね、ちょっと怖いらしいけど、面白いって評判の映画、借りたんだ。祐巳ちゃんと一緒に観たいなって。ちょっと精神的な涼しさってのを感じたいなーって」
「夏ですしね。構わないですよ。聖さまと一緒にそういう映画って観た事ないですもんね…あ、でもスプラッタは嫌かも」


ありゃ…こりゃホントに嫌いじゃなさそうだ…。









お風呂に入って、パジャマ姿でソファに座って準備万端。
ソフトをプレイヤーにセットして、ちょっと照明の明度を落としてから祐巳ちゃんの横に腰を下ろした。



何気ない日常。
何気ない風景…その他愛ない中に潜んでいる…非日常。
ありえない『何か』。

緊迫していくBGM。




ふと、横を見ると、祐巳ちゃんはクッションを抱き抱えて怖々としている。


「…怖い?」
「…少し…緊張しますよね…次がどう来るかと思うと…。なんかノドが渇いて来ちゃいました…お茶持ってきます」


スッと立ち上がり小走りにキッチンへと向かう。


「あ、ついでに私のもお願い」
「はーい」


ふむ。
祐巳ちゃんは絶対に怖いのは苦手だと思ったんだけどなぁ…ちょっと意外…って感じ。
でもまぁ、意外でも、それもまたヨシ。
祐巳ちゃんの知らない一面を新たに知る事が出来ればそれでオッケイ。





物語は進行していく。


主役の周囲の人間が、関係者が、ひとり、またひとりと消えていく。
深まっていく謎。
奇妙な連鎖。
無関係の関係性。

見え隠れする『何か』




そして、物語が進行するにつれて、私はある事に気付いた。
気がついた、ある一定の法則に。

…ふむ?



「…おいで、祐巳ちゃん」


持っていたグラスをテーブルに置いて、祐巳ちゃんを引き寄せた。


「な…どうしたんです?聖さま?もしかして、恐いんですか?」
「そうだねーうん、そうかもーきゃー祐巳ちゃーんこわーい」
「…棒読みですけど…」


高まっていく主人公の緊張感。
それに合わせる様に、BGMも変わっていく。


「せ、聖さまってば」
「何?」


祐巳ちゃんが私の腕から逃れようとする。


「放して下さい」
「駄目」


逃がさないよ?
私の予想が正しければ…



『ズルズル…ぎし…ズル…』



「や…聖さま…放して…!」


画面の中で、主役の女性が恐怖に後ずさりしている。

はいずる様にして、女性に『何か』が近付いていく。


『ドンッ!』


画面いっぱいに、この物語の元凶が映し出された。


「ひいっ!」


祐巳ちゃんが声をあげて私にしがみついてきた。


「やだやだっ!やだっ!」


…やっぱり。

ずっと、祐巳ちゃんは恐かったんだ。

緊迫するBGMで、大体次がどうなるか、ホラー映画は予測が出来る。
だから、祐巳ちゃんはその場面が来そうになると席を立っていた。

最初は、飲物。
次はお手洗い。
次は飲物のお替わり。

予測出来ない時の場合には、抱き締めていたクッションに顔を埋めていたのかもしれない。
がっちりと肩を掴んでいたから、クッションに助けを求める事も出来なかった祐巳ちゃんは、私にしがみ付くしかなかった。


「ずっと、恐かった?」
「聖さま…ッ」


目にいっぱいの涙。


「バカ…ッ」


私はプレイヤーの電源をoffにした。
途端に、音と画面に映し出されていた影像が消えた。


…正直、私は全く恐くなかったから、気付かなかった。
だから、誤魔化されたのかもしれない。
ひとりで恐怖に耐えていた祐巳ちゃんに。


「…ごめんね」


ポロポロと涙をこぼしている祐巳ちゃんを胸に抱いて、ポンポンと背中を軽く叩いた。


「でも、怖いの嫌いだったんなら、そう云ってくれればよかったのに…」
「嫌いではないですってば…!」


そんなに泣いてて、そこまで云う?

けれど直ぐに、ああそうだ、と思い立つ。

恐がってる事を知られたくなかったのか。
祐巳ちゃんは、これでなかなかの負けず嫌い。

多分、私の反応が解っていたのか、私の出来心に気付いたのか。

それとも、そんなに恐くないだろうとタカをくくったのか…


「…ごめんね」


少し落ち着いてきた祐巳ちゃんの耳元に、そっと呟く。


「…私、今日は絶対眠れませんから…」
「どうして?」
「夢に見そうで嫌なんですっ」


確かに、あの最後の映像は気持ちのいい物ではなかったけれど。

でも、それはいい事を聞いた。


「なら、ずっと起きていればいいじゃない」
「…は?」


不思議そうな顔で首を傾げる。


「朝まで、眠れなくてもいいじゃない?」
「…へ?」
「まぁ、寝かせるつもりも最初からなかったりして」
「せ、聖さま?」
「さぁ!めくるめく世界へGO!」


私は祐巳ちゃんをお姫様抱っこでベッドへ向った。


「何バカな事云ってんですかー!」


さて。
これもちょっとした出来心。
ないて戴きましょうか?




後書き

すすすすいません…バカップルで…っていつも?(吃驚)
夏ですからいいんです。ええ。
もういいんです…(投げやり)