手触り
ぼんやりと。
ホントにぼんやりとTVCMを見ながら、祐巳は溜息をついた。
そしてヒトコト。
「…いいなぁ…」
TVにはサラサラの長い黒髪を風に靡かせているCMモデルが映っている。
祐巳の髪でも、このシャンプーとコンディショナとトリートメントを使えば、こんな風にサラサラツヤツヤになるんだろうか…なんて考えてしまう。
でも…有り得ないんだよなぁ…
祐巳はまた溜息をつく。
さっきのは憧れの溜息。今のは諦めの溜息だ。
こんな風にサラサラな髪には憧れてしまう。祥子さまや蓉子さまみたいに真っ直ぐでサラサラな黒髪とか。
祐巳の髪は剛毛くせっ毛だから、志摩子さんの様なふわふわな髪にも憧れてしまう。
よくCMで「頑固なくせっ毛でも真っ直ぐになる」と、それを歌い文句にしている商品があるけれど…何度CMに踊らされてシャンプーを変えたか知れない。でもその度にガッカリしてきたんだから。
あーあ。
祐巳はまたも溜息をつく。何度溜息をついた事か。
「なーに溜息ついてんの」
バスルームからタオルで髪をガシガシ拭きながら聖さまが出て来た。…この人も髪、サラサラなんだよね…
少々乱暴に髪を拭くのを見ながら祐巳は「ミネラルウォーターで良いんですよね」とキッチンへ向かった。サンキュー、なんて云いながら聖さまはタオルを洗濯機に入れに行く。
聖さまが高等部の頃。ちょっと色素の薄いセミロングの髪が、薔薇の館の窓辺に座っているとサラサラと風に靡いて、それが夕日に透けてキラキラと綺麗だった。
今はあの頃よりも少し短めだけど、でもやっぱりサラサラで綺麗だ。こんな風に乱暴にタオルドライされているなんて絶対思えない。シャンプーとコンディショナだって特に値段が高いものって訳じゃない、この間祐巳と一緒に立ち寄ったドラッグストアで買ったものだし。
でも、サラサラでツヤツヤ。
「神様って不公平だ…」
グラスにミネラルウォーターを注ぎながらコッソリと呟いた。
「何が?」
「ふぎゃぁっ!」
いつの間にか背後に立っていた聖さまに、祐巳は腰が抜けるかと思う位驚いた。
「そんなに吃驚する事ないじゃない。それとも、そんなに吃驚するほど変な事考えていた訳?」
「ちょ、ちょっと聖さまっ」
後ろから腕が回されて耳元で囁かれる。
だからっ!耳は弱いんですってば!
「隠すと為にはならないぞ、白状しろ」
「ひゃあ!」
耳に歯を立てないでーっ
「髪が綺麗で羨ましいんですってば!」
聖さまの腕から逃げる様に離れて、耳を押さえた。全く、なんて事をする人なんだこの人は。
「羨ましいって…私の髪が?」
不思議そうに、まだ濡れている前髪をひと摘みして云う聖さまに溜息をつく。
「だって私、特に手入れなんかしてないよ?」
「だから羨ましいって云ってるんですっ」
特別手入れしていなくても、サラサラ。もうそれだけでも充分羨ましいんですって。
「祐巳ちゃんの髪だってサラサラしてるじゃない」
「…これでもトリートメントとか欠かしてませんから…少しでも…」
「少しでも?なに?」
くりん、と首を傾げて『なになに?』って感じで祐巳を見る聖さまに思わず口ごもる。うう、やめてほしいなぁ可愛ぶるの。
「…なんでも無いです」
「嘘でしょ。ほら、云ってごらんなさいな。そこで言葉切られたら気になるでしょ」
「何でもないんですってばっ」
「ふーん…じゃあ云いたくなるようにするだけだ」
「へ?」
ふわっ
な、何?
聖さまが祐巳を背中から抱きしめた。ふんわりとした温かさが伝わってくる。お風呂あがりの肌から漂うソープの香りは祐巳のと同じ。そりゃそうだ。だって聖さまのソープを使わせてもらってるんだから。
「少し体が冷えてるね」
「せ、聖さまはお風呂上がりだからじゃないですか…?」
だんだんドキドキしてくる。なんだか落ち着かなくなってきてしまってモゾモゾと体を動かした。
「云いたくなってきた?」
聖さまの手が祐巳の背中をゆっくりと滑る。
「ひゃんっ」
思わず腕から逃れようとジタバタする。
「こら、逃げるな」
ちょっと!何処触ってるんですかーっ!
聖さまの遠慮のない手の動きに何だか本格的に落ち着かなくなってきた。
もうダメだ。このままだとなしくずしに聖さまの思うがままにされてしまう。
「す、少しでも聖さまに綺麗に見られたいからに決まってるじゃないですかぁ!」
ああもう、聖さまの莫迦!
こんな事云うのは本当に恥ずかしい。
でも、これはホント。それに祐巳の髪はクセッ毛だからトリートメントを怠るとちょっと大変なんだから。
背中から聖さまのクスクス笑う声が耳をくすぐる。
「…なんで笑うんですか…」
こっちは日々頑張ってるってのに、酷い。
なんだか、悲しくなってくる。
「嬉しいから」
「…へ?」
ちょっとだけ潤んだ目を瞬かせながら後ろを振り返る。
そこにいるのは、照れ臭そうな顔の聖さま。
聖さまは、祐巳の髪に指を滑らせながら、今度は祐巳を正面から抱きしめた。
そして祐巳の髪に唇を寄せた。
なんだろう、恥ずかしくて、嬉しくなった。
執筆日:20041126