agitato
[アジタート:激情的に]
-事情と情事 祐巳side-





食後のコーヒーを飲んで、他愛ない話をして。
その間も、祐巳はドキドキがおさまらなくて。
このままでは、祐巳の心臓はオーバーヒートを起こしてしまうんじゃないか…なんて。





祐巳の前で、コーヒーを飲む聖さまは、とても静かな表情をしている。
缶コーヒーとかなら、本当にクーッ、とあっという間に飲み切ってしまう事が多いなって思うけど…
でも、何故だろう。
こうして食後とかにサイフォンを使って用意したコーヒーを飲む時、聖さまはゆっくり、本当に『味わう』っていう言葉がピッタリはまる飲み方をする。

静かな表情で。
静かな瞳で。

まるで、その瞳は静かな湖面のように、穏やか。

その瞳が、無遠慮な視線に気付いて祐巳に向けられた。

「どうした?祐巳ちゃん?」
「い、いえ…あの…」

怪訝そうな目をする聖さまに、祐巳はちょっと気恥ずかしくなって俯きながら呟いた。

「…見惚れて、ました」

ぽつり、と言葉を落として、そして聖さまを伺い見る。

すると、優しい目をして、ちょっぴり照れくさそうな聖さまが、そこにいて。

…反則ですってば。

祐巳は跳ね上がる心臓の動きを感じながら落ち着かなくなってくる。

反則ですってば。

本当に、腰が落ち着かない。
とても居心地の良いソファが、一瞬にして落ち着かない場所に変わってしまった。

祐巳は聖さま特製カフェ・オ・レの残りを飲み干すと、「お風呂、先に戴きます」と立ち上がった。
「んー行っておいでー」と云う聖さまに「いってきます」と云い残して祐巳はバスルームへと向かった。
口に、甘さとほんの少しの苦味が残っていた。





いつの間にか、お泊りの時は祐巳が先にバスルームを使う事が習慣になってしまっている。

最初、やっぱり聖さまのおうちなんだから…と先にバスを使って戴こうと思っていたのだけど、聖さまが首を立てに振ってくれなくて。


「祐巳ちゃんが先に入っておいでよ」
「えっ…だって…」

困惑する祐巳に聖さまが笑う。

「祐巳ちゃんのおうちに志摩子や由乃ちゃんがお泊りしたとして、祐巳ちゃんは自分が先にお風呂に入る?」
「…え?」

まだそういうお泊りをした事無いけれど…もし志摩子さんや由乃さんが祐巳の家に泊まりに来たとしたなら…

「…あ…」

聖さまは祐巳の表情を読んで、フフ、と笑う。

「祐巳ちゃんは後で入るでしょ?それとおんなじ。だから先に入っておいで。それとも、一緒に入る?」


そう云って笑う聖さまに、祐巳は物凄い勢いで頭を振って、バスルームに逃げ込んだんだ。



それからも、聖さまは祐巳を先にバスルーム使わせてくれるので、完全にそれが定着してしまった。

最初の頃は祐巳は持参のシャンプーやソープを使っていたんだけど…それもいつからか聖さまが「わざわざ持って来なくていいよ」と云って。
今では、祐巳のバスタオルとかも置かせて戴いていて。
歯ブラシは…祐巳が置いて帰ったんだけど。
一度仕舞った歯ブラシを、また出して聖さまの歯ブラシの隣に並べて帰った。
連休でお泊りして…初めて、聖さまと『そういう事』をして…帰りたくない気持ちになった…あの時に。

聖さまの部屋に、祐巳のものがある。
聖さまの側に、祐巳の居場所がある。

いつでも部屋に来れるように、鍵も貰って。

だから…お泊りした後は帰りたくない気持ちはあるけれど、離れたくないって思うけれど、我慢する事が出来た。

いつでも、変わらず。
ここには祐巳の居場所があるから。




聖さまの香りに包まれながらバスルームを出ると、冷蔵庫からアイスを取り出してくれて、祐巳の前にコトリと置いた。

「はい、どうぞ」
「え?え?コレ…」
「祐巳ちゃんのデザート用に買っておいたんだよん。こういうの、好きでしょ?夕食後に、と思ったんだけど…やっぱりお風呂の後のがいいかなって思って」

某アイスメーカーの『ドルチェ・デ・レチェ』。

「うわ…有難う御座いますっ」

『祐巳ちゃん用に』

聖さまはそう云ってよくこうやってアイスやお菓子を用意してくれる。
いつでも、さりげなく。

それがなんとも嬉しくて。
そして気恥ずかしい。

「んじゃ、祐巳ちゃんがアイス食べてる間に私もシャワー浴びてこよっと」
「いってらっしゃい、聖さま」
「なんか、仕事にでも行くみたいだよ、それじゃ」

苦笑いしながら聖さまがバスルームのドアを閉めた。

祐巳はいつもの聖さまの言いつけとおりにミネラルウォーターを飲んでから、用意してくれたアイスのふたを取り、テーブルに置いた。


今、聖さまがお風呂に入ってる。

祐巳は、聖さまを思って、なんだか急に落ち着かなくなってきてしまった。

何故だろう…心臓が、ドキドキしている。
今日聖さまに会ってからずっと、心臓はスタンバイ状態で。
本当に些細な事にもドキドキしている。

だけど、お風呂に入ってる聖さまを思ってドキドキしてる、なんて…これじゃ聖さまを『オヤジ』だなんて云えない。
お風呂中の聖さまを想像にている今の祐巳の方こそオヤジみたいなものだ。

少し、自分を落ち着かせなくちゃ。

アイスを口に運んで、そしてまるでお部屋のBGMか何かのようになっているだけのTVのチャンネルを変えた。

映し出される二時間帯ドラマ。
ちょうど運が悪いのか、ベッドシーンが現れて、祐巳は大慌てでリモコンのボタンを押してチャンネルを変える。
するとバラエティ番組へと変わり、観客の笑い声と芸人さんのギャグが部屋の空気を変えてくれた。
思わず、ホッと息をついて、祐巳はソファに座りなおす。

「…吃驚した」

素直な感情が言葉になって零れ落ちた。

ドラマの、そういうシーンって、ちょっと気まずい。
家族でドラマを見ている時にそんな場面が現れたら、なんとも居た堪れない空気が漂い出して、お父さんは咳払いをしたり、お母さんはお茶のお代わりなんかを聞いてくる。
祐麒は…一番表面上は変わらないかもしれない。
淡々と、その場面を終えている気がした。

…祐麒、かぁ…

思わず、ため息をついてしまう。

仕方ないんだって、お年頃なんだからって、祐巳だって思う。
でも、小さな頃から知ってる弟だから…複雑。

祐巳は溶け出しているアイスを口に運びながら、聖さまなら、なんて云うかな…なんて考えた。


TVでは相変わらず芸人さんたちが右往左往していた。



…to be continued



20050610
20050611加筆




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