agitato
[アジタート:激情的に]
-事情と情事 祐巳side-





バラエティ番組に、さっきまでのドキドキとかはいつの間にか治まって。
祐巳も思わずプッと噴出したりしていた時、聖さまがバスルームから出てきた。

「あ、お帰りなさい」

良かった。
バラエティ番組のお陰で普通の笑顔を聖さまに向けられた。

「ただいま…って、だからそれじゃ仕事から帰ったみたいだってば」

そう云いながら、何処かホッとしたような表情で聖さまが苦笑する。
そして、タオルで髪を拭こうとしていた聖さまに祐巳は立ち上がる。

「あ、聖さま、髪拭かせて下さい」

祐巳は聖さまの髪を拭くのが好き。
だって、祐巳に任せてくれる聖さまが、ちょっぴり無防備な感じで可愛いなって思うから。
けれど、いつもなら二つ返事なのに、何故か今日は戸惑ったような表情で「え?」と呟いた。

「別にいいよ」
「…嫌ですか?」

『いいよ』って…その素っ気無い云い様に思わず聞いてしまう。
あ、ずるいな、と云った直後に気付いた。
こんな風に云われたら、聖さまはきっと…

「そんな訳ないでしょ。じゃあお願いしますか」

ほら。
でも、つい嬉しくて「はいっ」と返事をしてしまった。

聖さまの頭にふんわりとタオルを被せて、全体の水気を取りながら自己嫌悪に襲われてしまった。

嬉しいけれど…でも。
いつもみたいな嬉しさとは、ちょっと違う。
一度断られてしまったから。
別にいいよ、という声が…あまりに素っ気無かったから…。

でも。
嫌がられている感じは無い。
聖さまは髪に触れられるのが好きではない人だから、本当に嫌なら絶対頷かない。
今聖さまからは嫌悪は感じ無い。
むしろ、リラックスしてるように見えるから。

…なら、何故?

ただ自分でやるからいいよって意味だったのかな…
それなら、別にいいんだけど。

でも、こんな風にするのは本当に久し振りだった。
祐巳の勉強を見てくれたり、うちにお泊りしたりって事はあったけど…こんな事、出来るはずもないし。
だから、こういうちょっとしたスキンシップが楽しく感じる。

『スキンシップ』

その言葉に、ドキッとした。
別に、どうこうするような言葉じゃない。

でも…
この後、遠からず祐巳と聖さまの間に訪れるだろうちょっと恥ずかしいけれど甘い時間の事と…あの本の事を思い浮かべてしまった。

そう…聖さまなら、なんて云うだろう。
きっとなんでもない事のように云ってくれるに違いない。
ううん、云って欲しい。
きっと。

「…ねぇ…聖さま」

祐巳は髪の水気をポンポンと吸い取りながら、意を決して聖さまを呼んだ。

「何?」

タオルの下からさらりとした声がした。

「男の子って…やっぱりそういう事に興味があるんでしょうか…」
「へ?」

ほんの少し、聖さまの頭が揺れる。
一瞬、云わなければ良かったかな…なんて思ってしまったけれど、ここでやめるのもおかしい。
祐巳は軽く息をついた。

「小林君が…祐麒に『そういう本』を貸してるの、知っちゃって…私」

そういう本?
聖さまが小さく呟いて、「ああ…」と頷くのをタオルの下に感じた。
解っちゃうんだ…すぐに。
もしかしたら、『なんだ、そんな事か』と思われているんじゃないだろうか…

「何で解ったの?」

優しい声が聞いてくる。

何で…
何気ない午後。
小林くんがちょっと大判の書店の袋片手にやってきた。
お母さんはちょうど買い物に行っていて、祐巳はコーヒーを淹れて祐麒の部屋に運んで。


「祐麒の部屋にお茶を運んだ時に…小林君が持ってきた書店の紙袋に…慌てて隠したけど、見えちゃって」
「まぁ、祐麒も健康な青少年だし」

ええ、まぁ…と祐巳は頷く。

そう…確かにそうだと思う。
祐麒だって、男の子だし。
よくTVとかでもそういう話題があがってたし、一応保健体育の授業で二次性徴期の事も習ってる。
でも…

「…ショック?」

見えないはずの、祐巳の百面相が見えているかのように、聖さまが云った。

「ちょっとだけ…」

呟くと、聖さまが腕を上げて、祐巳の頭を撫でてくる。
優しい手に、思わず涙が出てきそうになった。

そう、ショックだった。

こんこん、とノックの後、ドアを開いたら…小林くんが袋から本を引き出していて。
祐麒が祐巳の顔を見て、ハッとしたように袋を引き上げた。

ずっと一緒に育った、よく知ってるはずの『弟』が…知らない人に感じた。
あんな本を見るんだって、思った。
そしてそれを祐麒に持ってくる小林くんにも、ショックだった。
祐麒にそんなの、見せないでって。

でも…祐麒も小林くんも、聖さまが云うように『健康な青少年』なんだから…って、思ってる部分もきちんとある。

だからこそ…複雑だったんだ。

「で。それどんな本だった?」

いきなり、聖さまがそんなことを聞いてきて、祐巳は『はぁ!?』と思った。
何?一体。

優しく撫でてくれた手に、やっぱり聖さまに云ってよかったな、とか思っていた。
複雑な気持ちが、なんとなく昇華されそうだったのに、いきなりそれですか!

「聖さまの莫迦!」と云いながらタオルで頭を包んで締め上げる。
やっぱり優しいな、なんて思っていたのに!

「うわっ、やめてー」

棒読みのそれに、「あ」と気付いた。

そうか…ワザと云ったんだ。
祐巳の気持ちを軽くしてくれたんだ。

そういえば、そうだった。
高等部にまだ在学していた時から聖さまは、祐巳が落ち込んでいたりした時、親身になって話を聞いてくれた。
そして的確なアドバイスや慰めの言葉をくれて…その後でちょっとふざけたような事を云った。

ヴァレンタインの古い温室の時とか、加東さんのお宅でとか…他にもいろいろ。

それなら、祐巳だっていつまでも気にしていてはいけない。
祐巳は締めている聖さまの頭に向かって、呟いた。

「…女の子同士が…」
「へ?」

祐巳の腕から逃れて、聖さまが振り返る。
やめて下さい、どうして祐巳の顔を見るんですか。

「女の子同士が、絡んでる写真…で…なんか…ドキドキしちゃって…」
「……」

そう、ドキドキした。

複雑な気持ちが強かった。
祐麒が、小林くんが…っていう信じられない気持ちのその影に、ドキドキがあった。
コーヒーを置いて、自分の部屋に戻った時、祐巳の顔は真っ赤だっただろう。

女の子二人が下着姿で抱きしめ合って、唇を寄せ合っている表紙。

「…想像しちゃった?」
「…っ!」

聖さまが、さらりと云った。
思わず俯き気味だった顔を勢い良くあげてしまった。

まっすぐに、聖さまが祐巳を見ていて…その瞳が、『何を思ったか、解ってるよ』と云ってる気がして。

熱かった顔が、さらに熱くなる。

「し、知りませんっ」

タオルを手に、立ち上がる。
そこに聖さまを残してその場を離れ洗面所へ行くと、祐巳は洗濯機にタオルを入れた。

…だって恐くなったから。
聖さまに見られているのが、恐かったから。

祐巳が思った事を聖さまは見透かしてしまうから。
このまま見られていたら、聖さまに祐巳が思っている事を知られてしまう。

…聖さまに、触れたい。

祐巳は、あの写真を見て、そう思った。
聖さまの云う通り、祐巳はあの写真の二人に聖さまと祐巳を重ねたから。

あんな風に、してる?
あんな風に、祐巳と聖さまは抱き合ってる?

心臓が、物凄い勢いで…痛いくらいに拍動してる。



聖さまに…『触れたい』




…to be continued




20050612

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