amnesia
-Postlide-





『…そう。中身、思い出せたのね。そしてそれを受け取ってもらえたの。良かったわね』

報告する義務なんかは無いけれど。
でも、私は祐巳ちゃんを送り届けてから、蓉子に電話していた。

外は雨。
さっきまでは部屋の中にまで雨音は聞こえなかったけれど、今はザーッという音が遠くに聞こえている。

「…クマ、驚かれたんだけど…これ、シュタイフですか!?って」
『あら、そう』

くすくす、と受話器から笑い声が聞こえてきて、私はフッと溜息をひとつ。
多分蓉子の事だ、祐巳ちゃんのあの反応も解っていたんだろう。

「でも、蓉子のお陰でクマが手に入って良かったよ。サンキュー」

カチカチと微かな針の動く音が、携帯を持つ左手首から聞こえる。
それは、今までは聞こえて来なかった音。
今までは、祐巳ちゃんの手首で刻まれていた、音。
でもそれは、これから私の手首で長く時を刻んでいくだろう。

『喜んでもらえたのね』
「…さぁ、それはどうかな…無理やり押し付けちゃったみたいなもんだし」

巧妙に、いくつも線引きして。
気がついたら、そうするしか選択肢が無いように仕向けた。

…私は、ずるいから。


苦笑を漏らす私に、『そうかしら』と蓉子は真面目な声を出した。

『あの子、ああ見えて自分の意思ってものをしっかり持っている子だもの。押し付けられたって、いらなければ受け取らないでしょ』

蓉子の言葉に思わずフッと息を漏らす。

…確かに、そうだ。
あれでなかなか祐巳ちゃんは頑固者だから。
嫌なら嫌、とはっきり口にする。

「さすがおばあちゃん、よく見ていらっしゃる」

からかうような声で云って、そして私は改まったように云った。

「…蓉子」
『何?』
「今回の事…いろいろ迷惑かけた。ごめん」

これは、ケジメだ。
自分のエゴ、傲慢さ、不甲斐無さ…その他いろいろが今回の出来事の発端なのは間違いないだろうから。

『…何よ、急に改まって』
「改まらなきゃ、云えないよ。こんな事は」

とにかくゴメン、と告げる。

すると、苦笑したのだろうか…息が漏れるような音が耳元でし、そして『全くだわ』と柔らかな声が聞こえてきた。

『…本当、よく思い出せたものだわ。しかも、きっかけが祐巳ちゃんだったのがアナタらしいっていうか…』

そこまで云うと、蓉子は一瞬、沈黙した。
待っても何も云わない蓉子に痺れを切らせた私が名前を呼ぼうとした時、『好きなのね』という言葉が聞こえてきた。

「…え?」
『祐巳ちゃんの事…本当に好きなのね』

妙に甘ったるい言葉。
蓉子の声が、ではなく、言葉が。

胸にあふれてくる想い。
私は、あの子が好き。

「…うん…好きだよ…たまらなく、なる」

普段の私なら、絶対こんな事を云わないだろう。
でも、何故か今の私はすんなりと蓉子の問い掛けに答えていた。

蓉子は、そんな私に驚いているのか、呆れているのか。
ただ、『…そう』とだけ云った。




このいとしさは、どう昇華したらいいのだろう。
募っていく思い。

そのすべてに触れたくて、たまらない。

でも…欲望のまま、それをしてしまったら…きっと、今はまだ自分を許せなくなるに違いない。
その為の、戒め。
この左手にある腕時計は、小さな制御装置だ。




『…聖』

蓉子が、私を呼んだ。
呆れていたみたいだったが。

「ん?」
『…良かったわね』

優しい声が、云った。

でも、と蓉子の言葉が続いた。

『祐巳ちゃんの事、側で気に掛けてあげて…もしかすると…ううん、多分…多分、祥子が何処に進学するか、まだよく解っていないと思うから』
「え?それって…」

私は寄り掛かっていたソファから身を起こした。

『あの子…祥子…リリアン大以外の受験も、しているみたいだから』
「…え?」






…新たな嵐が、やってくるような気配がした。







…end?



20050605


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