amnesia
-prelude-



白薔薇さまが卒業され、お姉さまが新たな白薔薇さまになった。
そうして、私は自動的に白薔薇のつぼみとなってしまったのだ。
…別に、私は『白薔薇』の妹になった訳じゃない。
私は、私の顔が好きだと云ったお姉さまの妹になっただけ。
正直…薔薇さまの称号なんて、私にはどうでもいいものだった。
多分、蓉子は紅薔薇の名に恥じない者であろうとするんだろうけど。

…私は、これからの日々を憂鬱に思う。
周りから『早く妹と作れ』と云われるのだろうから。

私は、溜息をひとつついて、2年生となって自分を取り巻く周囲の自分に対する重圧やらなにやらが、とても面倒くさく思った。

…憂鬱だ。
本当に。










いつものように、目覚まし時計が鳴り出す前に、目が覚めた。
ホッとする。
目覚まし時計のけたたましい音なんか、聞きたくない。

髪をかき上げようとして……私は驚いた。
そんなに、普段からあまり驚くなんて事はない。
でも、さすがの私も驚いた。

長かったはずの髪が、無い。
いや、短くなっている。
辺りを見回すと、部屋の中も、見知った自分の部屋ではない。

「……ちょっと…何よ、これ…」

部屋は違う。
でも、部屋の中にあるものは、自分のものだと直ぐに解る。
これは…一体どういう事?

ベッドから下りて、そこがマンションの部屋だという事に気付く。
ひんやりと、寒さが体を覆う。

おかしい。
春だというのに、この寒さは何だろう。
これでは冬の寒さだ。

ふと見たベッドサイドには携帯電話。
私は、こんなものを持ってなどいなかったはず。
リリアン高等部は携帯電話に持ち込みは禁止だ。
それ以前に興味も無かった。

放り出してある鞄の中には……

「大学の、教科書?」

どういう事なんだろう…
訳が解らない。

髪の短い自分。
まるで一人暮らしをしているかのようなマンションの部屋。
そして、大学の教科書…
さらに鞄を探ると学生証が出てきた。

『私立リリアン学園女子大学部』

そこには髪の短い、少し大人びた自分の顔写真。
そして紛れも無く、自分の名が書かれてあった。

『佐藤 聖』と……












いつものように、HRを終え、薔薇の館へと向かう。
今日は掃除当番じゃない。
由乃さんよりちょっと先に来て、お茶の準備をしようと、祐巳は小走りにやってきた。

「……あれ?」

ドアが、少し開いてる…
まだ誰も来てる時間じゃないのに…?

無用心だな、と思う。
勿論マリア様が見守って下さっているリリアン、何かあるはずは無いと思うけれど…
でも祐巳は用心しながらギシギシと鳴る階段を上がっていった。

そっとビスケットの扉を開いて中を伺った。
中にいたのは…

「祐巳ちゃん、ごきげんよう。早かったわね」
「蓉子さま!」

なんと、そこにいたのは前紅薔薇さま、水野蓉子さま。

「蓉子さま、どうしてここに?遊びに来て下さったんですか?」
「いいえ…緊急事態なの…祐巳ちゃん」
「は…?あ、はい」

蓉子さまの困惑したような、それでいて何かを見据えるような表情に、祐巳は背筋伸ばした。

「祐巳ちゃん…聖がね、大変なことになってるの」
「え…聖さまに何かあったんですか!?」

祐巳は蓉子さまに寄って、その腕に手を掛ける。
聖さまに何が起きたんだろう。
大変なこと……?

「あのね…今朝、聖から電話が来たの…『蓉子、ちょっと聞きたいんだけど』って」
「…ええ」
「聖は、こう云ったの。『確かに昨日まで、私は髪が長かったはず。そして今日から2年生になるはずだった…なのに、今起きたら私の髪は短くなっていて、鞄の中には大学の教科書や学生証まである。これは一体、どういうことだ』ってね…」

祐巳は、訳が解らず何も云えずにいた。
蓉子さまはただ事実だけを伝えようとするように言葉を続けた。

「携帯のメモリに私の名を見つけて掛けてきたみたいね。……祐巳ちゃん。ここからが重要なの……聖はね、何故だか解らないけど、高等部2年の春に戻ってしまった」

それって…どういうこと?
蓉子さまが、祐巳からフッと目を逸らした。

階段がギシギシと音を立てている。
誰かが、登ってきた。
…それが祐巳には何処か遠くの音に聞こえていた。
祐巳の耳には、蓉子さまの言葉だけを、聞いていた。

「聖は栞さんに出会う前までに戻ってしまっているの。かろうじて、祥子や令のことは知っている…でも、祐巳ちゃんのことも、志摩子や由乃ちゃんのことも知らない…16歳の春まで戻ってしまっているの」

「ごきげんよう」と、志摩子さんがビスケットの扉を開いて、蓉子さまを確認し…そして祐巳を見ると駆け寄ってきた。

「蓉子さま…?…祐巳さん…どうしたの?顔色が悪いわ……蓉子さま、一体…」

祐巳の顔を覗き込んで、それから蓉子さまへと目を向けた。
志摩子さんは、この事を聞いたらどう思うだろう。
卒業されたとはいえ、自分のお姉さまが、昔に返ってしまったと…自分を忘れてしまったと…聞いたら。

「そ…んなぁ…」
「祐巳さん!どうしたの!?_

祐巳は、その場にペタンと座り込んでしまった。

昨日、逢ったばかりなのに。
逢って、いつものように話をしていたのに。
そっと、頭を撫でてくれたのに。
笑い掛けて…くれたのに。

今の聖さまは、祐巳を、知らない…なんて。




『amnesia -prelude-』
20050216

postscript

始めてしまいました。
ゆっくり書いていこうと思っていますので、しばしお付き合いを。


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