塩梅



去年のヴァレンタインは、まだ中等部で。
高等部の宝探しを遠くから見ていた。

友達は高等部の生徒にまぎれて参加していたけれど、瞳子は祥子お姉さまに迷惑が掛かるといけないし、それにそんなはしたない事は出来なかった。

遠目に見ていた時、祥子お姉さまの妹になったというあの人が走っていた。
スカートばさばさ、翻して。

あんな人が祥子お姉さまの妹なんて、と思わずにいられなかった。






それが。
どうしてこんな事になっているのかしら…

薔薇の館で、乃梨子さんと一緒にお茶なんかを淹れながら瞳子は溜息をついた。
しかも、明日はヴァレンタイン。
あの日から、一年。
初めてその姿を確認してから、明日で一年。

「乃梨子さん、明日はヴァレンタインですけど…志摩子さまにチョコ、差し上げるんでしょう?もう用意なさったの?」
「はぁ?ヴァレンタイン?なんで?」
「…乃梨子さん、この連日の教室内の様子、ご存知ない訳ありませんわよね?」
「そういえばなんだかバタバタしてるなぁとは思っていたけど」
「まぁ!」

思わず大きな声を出してしまった瞳子に、皆さんがどうしたのかと一斉に視線を向けられた。

「どうかしたの?瞳子ちゃん」

祥子お姉さまが不思議そうに云う。

「い、いいえ…」
「そう?」

祥子お姉さまの隣の祐巳さまは、何処か心ここにあらず、って感じで瞳子の方を見てはいなかった。






「ヴァレンタインかぁ…聞いてきたって事は、瞳子はあげるつもりなんだ?」

乃梨子さんがお菓子を用意しながら瞳子の方を見ずに云う。

「…瞳子は、皆さんの分を用意するつもりです」

そう、薔薇の館の皆さんの為に、チョコレートを用意するつもりで材料を購入してある。
すると乃梨子さんが何故か呆れた様に云った。

「…それじゃ、わかんないでしょ」
「…何が、ですの」
「みんなにあげるって事は、みんな同じって事でしょ」

そう云われて、瞳子は黙ってしまった。

だって、あの方ひとりに、なんて…とてもじゃないけど、渡せない。

「瞳子って、変な処で引っ込み思案だよね」
「そんな事…」
「ありませんわ、って云えないでしょ?」

乃梨子さんがフッと息をつく。
仕方が無い、と云われている気持ちになった。

「…百歩譲って、みんなに用意するとして。祐巳さまに渡すチョコには特別っていう意思表示しなよ」
「……」

だって。
あの方の心は瞳子には向いて下さらないもの。
瞳子を見てなど、下さらないもの。
今だって、何かに、誰かに思いを馳せているんだから。

「……」

乃梨子さんが、ポン、と瞳子の肩を軽く叩いた。








人数分の箱を用意して、出来上がったチョコレートクッキーを詰めて行きながら、乃梨子さんの言葉を思い出した。

特別の意思表示。

それを見せても、きっと気付いてなどもらえない。
…気付かれても、困らせてしまうだけだと思うし。

最後のひと箱を見詰めながら、溜息をつく。
…いつからこんなに臆病になってしまったのでしょう…
前の瞳子なら、もっと…

もっと、どうだっただろう。
何故だか、思い出せない。

以前の瞳子はどんな子だっただろう。



多分、こんなにあの方の事を考えて迷ったりはしなかったはず。

瞳子は、もっと…
そう、もっと。

そう考えた時、ふと、ある事を思いついた。

乃梨子さんの云う、意思表示。
気付いてなどもらえないくらい、ささやかな意思表示かもしれないけれど。

瞳子はクッキーを箱に詰めて、そしてキッチンの棚からある物を手に取った。








翌日。
薔薇の館に集まった皆さんおひとりずつに瞳子は昨日作ったチョコレートクッキーを手渡した。
黄薔薇さまは早速開いてひとつ、食して下さる。

「うん、美味しい。サクサクだね。有難う、瞳子ちゃん」
「お菓子つくりがお上手な黄薔薇さまにそう云って戴けて、瞳子ホッと致しました」

そう、黄薔薇さまがお世辞でも「美味しい」と云ってくださるなら、これほど心強いことはない。
皆さんも箱を開いて食して下さった。
乃梨子さんが紅茶を用意して…皆さんの前に置き終えた時。
ぎしぎしという階段を登る音がし、ビスケットの扉が開いた。

「すいません、遅くなりました!」

祐巳さまが紅潮した顔で現れた。
心持ち、タイも乱れている。
慌てて走ってこられたのだろう。

「祐巳、少しは落ち着きなさい…用があったのなら、遅れても仕方がない事なのだから」
「は、はい、お姉さま」

すいません、と祥子お姉さまにペコリと頭を下げる。
タイを直しながら、祥子お姉さまはそんな祐巳さまに優しい眼差しをお向けになる。

いつもの定位置についたのを見計らって、乃梨子さんがお茶を置き、そして瞳子は「祐巳さま」と声を掛けた。

「チョコクッキーです、宜しければ…」
「わぁ!ヴァレンタインの?有難う瞳子ちゃん!」

うれしいなぁ、なんて云いながら祐巳さまは箱を開く。
そしてひと口。


「ん?甘くて、ちょっとしょっぱい?」


「え?」


祐巳さまの言葉に、皆さんが祐巳さまを見た。
乃梨子さんを、覗いて。

乃梨子さんは瞳子を見て、呆れた様に笑った。


甘くて、ちょっとしょっぱい。

その塩加減は祐巳さまを思って流した、瞳子の涙の味です。




執筆日:20050213

…ごめんなさい(泣)


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