ありふれた魔法で



「…祐巳ちゃん?」

気がつくと、テーブルに頬をつけて私を睨んでいた祐巳ちゃんの目は閉じられていて、すーすーと寝息を立てている。

「こら、まだ問題全部解いてないでしょ。起きろ」

頬をつんつん、と人差し指で突いてみる。
起きない。
ならば、とほんの少し摘んでみる。
お、動いた。

「……ん…ん?…うん…」
「ダメだコリャ」

まぁ本気で起こそうとしていないから、仕方がないんだけど。

私が見る分だと、無事に試験も乗り越えられると思う。
ただ、祐巳ちゃんが不安がっているから。
問題を解く事で少しでも不安を解消出来るなら、お安い御用だ。

私は祐巳ちゃんの傍に移動して、そして眠ってしまった祐巳ちゃんの体をゆっくりと横にする。
そして頭を膝の上に乗せた。
起きたら、吃驚するかもねー、なんて、ほんの少しの悪戯心もあったり。

そして、私はさっきまで思い出していた、夏の夜の花に意識を向けた。











夕食の時間が近付いてきて、私はバッグの中を整理している祐巳ちゃんに声を掛けた。

「祐巳ちゃん、お夕飯はルームサービスでいい?レストランでバイキングもやってるけど…どうする?因みにどちらも料金内」
「ルームサービスでいいですよ。でも、聖さま…どうしてそんなに荷物少ないんですか…バッグの大きさも私の半分って感じだし」
「私から見れば祐巳ちゃんの荷物の多さの方が不思議かも…。ああ、じゃあルームサービスお願いするね」

バッグを前に、腕を組んで頭を悩ませ始めた祐巳ちゃんに苦笑しながら私はフロントに電話を入れた。
0を押してから2コールで繋がる。

『はい、フロントで御座います。佐藤さまですね、如何なさいましたか?』
「夕食はルームサービスをお願いしたいのですが」
『はい、かしこまりました。2コース御座いますが、魚介料理と肉料理のどちらかをお選び願います』

私は「ちょっと待って戴けますか?」と通話を保留状態にし、バッグの整理を再開させた祐巳ちゃんに声を掛けた。

「祐巳ちゃん、お魚とお肉、どちらがいい?」
「聖さまと逆でいいですー」
「おっけー、じゃあ分け合いっこしよう」

私は保留を解除してその旨を伝えた。




「1時間後にお伺いしますって。丁度7時頃だね。それまでには終わらせてねー」
「もう終わりましたよ!」

バッグを閉じた祐巳ちゃんが云う。
見れば解るって。
解ってて云ってるんだってば。

「そうだ。夕食終わったら散歩に行こうか」
「へ?お散歩…ですか?温泉に行くのかと思ってました」

バスルームは勿論部屋にあるけれど、折角の温泉地、入らなきゃ損なのは解ってる。
でも、その前に。

「花火がね、上がるんだって。湖で」
「あ、そういえば書いてありましたね、パンフレットに」

思い出したのか、ぱぁっと祐巳ちゃんの表情が明るくなる。
…うん。この顔が見たいんだよね。

「わ、楽しみです。でも外、暑くないでしょうか…」

私は祐巳ちゃんの手を取ってさっき少し開けてみた窓の傍に連れていく。
これが、東京との違いかもしれない。

「あ…風が涼しくなってきてますね…!」
「湖の近くだからなのか、それとも北海道だからなのか解らないけどね」

昼間、降り立った時とは違う、ほんの少し涼しくなっている風。
多分、花火が上がり出すという8時半を過ぎた頃には今より涼しくなっているだろう。

だけど。
こんな風に笑顔を見せられると、本当に来て良かったなって思う。
…全く。江利子に感謝だよね…
フッと笑いを洩らすと祐巳ちゃんが首を傾げる。

「どうしたんです?」
「ん?来て良かったなーって。祐巳ちゃんの嬉しそうな顔見てたら、そう思った」
「…私も、聖さまと来る事が出来て嬉しいですよ。有難う御座います」
「礼は江利子に云ってよ」

そう云いながら、私はゆっくりと祐巳ちゃんの背に腕を回す。
朝M駅で逢ってから、初めてこんな風に祐巳ちゃんに触れた。

「あ」

引き寄せられて、祐巳ちゃんが小さく声を洩らす。
そして私の胸に頬を預けて、呟いた。

「それじゃ…江利子さまへのお土産、良いものがあるといいですね」

私はその言葉に唇を重ねる、という事で答えた。






夕食はさすが北海道というべきか。
魚介もお肉も野菜も全てが美味しい。
魚介のソテーはホタテの甘さやえびのぷりぷり感がなんとも云えない。
そして白身の魚がふっくら。
パスタにクリームソースとサーモンが絡んで絶妙。
お肉も赤身の部分をミディアム・レア。
とろけるってこんな感じ?
それに添えられている人参も甘い。
冷たいポタージュはほうれん草。
サラダもシャキシャキ。
生の玉葱がこんなに甘いなんて初めて知ったかもしれない。
ジャガイモなんてほくほく。

デザートはポテトケーキとフルーツにアイスを添えたもの。

祐巳ちゃんなんてもう、とろけちゃってる。




食べ終えて暫く経ってから、食器たちを引き取りに来たボーイたちに混じってやってきた白い帽子を被った初老の男が「如何でしたか?」と私たちに聞いてきた。

「とても美味しかったです」と云う私の隣で祐巳ちゃんが「…幸せです…」と呟いた。
それを聞いたその人は、本当に嬉しそうに笑みを浮かべて、頭を下げるとボーイたちと部屋を出て行った。

多分、最上級の賛美だったのだろう。



「…まるで、魔法ですよね…あんなに美味しいものが作れるなんて…」

うっとりと祐巳ちゃんが云う。
それに私も頷く。

「そうだね。確かに食材もいいんだろうけど、でもそれを生かすのは料理人だものね」
「美味しいものって幸せですよね」
「あ、祐巳ちゃんがそう云ったの聞いて、あのコックさん本当に嬉しそうだったよ」

祐巳ちゃんが照れ臭そうに笑う。

「咄嗟に出ちゃいました…」
「祐巳ちゃんらしい素直な言葉だからいいの」

そうでしょうか…と呟く祐巳ちゃんの頭にポンと手を置くと、さてと、と私は座っていたソファから立ち上がった。

「そろそろ行こうか」
「え?」
「次の魔法を見に、ね」







丁度タイミングよく、爆音と共に夜空に大輪の花が開いた。
湖に反射して、空と湖面両方に花が咲く。

外は予想通り涼しい風が吹いていて心地いい。
観光客は皆、空を見上げている。
見ると、湖に面して立てられているホテル群の窓から大輪の花を見ている人も。

ドーン、という爆音がお腹に響く感じがする。

「凄いですね!」

祐巳ちゃんが音に負けないようにと声を上げる。
それに「うん」と頷いて、私ははぐれないように祐巳ちゃんの手を握る。
真っ黒い湖面と、夜空に咲く花火。
その花火が、見上げる祐巳ちゃんの顔を明るく照らしている。

「…綺麗」
「ほんとですねー!」

満面の笑みで、私を見る。

綺麗だなって、思う。ほんとに。



9時になる頃には花火は終了。
これが夏の終わりまで毎日あるらしい。

「凄いですね…これが毎晩ですか」
「そうらしいね」

花火が終了すると、ただ黒い湖面と夜空、そして街灯とホテルの明かり。

ふと、見上げると半分くらいの月が見えた。
さっき花火が上がっている時は気付かなかったのに。

「祐巳ちゃん、月が出てる」
「え?あ、ホントですね。さっきも空見上げていたのに、全然気付きませんでした、私」
「私も」

綺麗な月と、星が見える。
月の光に小さな星は見えないけれど、それでも東京の空よりは星が見える。

「花火も綺麗でしたけど…星もお月さまも綺麗ですね…」

祐巳ちゃんが呟いた。
本当に、綺麗だ。
ほんの少し、青白い光が照らす。

…何故だろう。
さっきより、気温が下がった気がするのは。

思わず、吸い込まれそうな、空。
そして月。
まるで…

その時、祐巳ちゃんが私の腕にしがみついてきた。

「祐巳ちゃん?」

どうしたの?と聞く前に、祐巳ちゃんが呟いた。

「なんだか、恐い」

そう云いながらも、祐巳ちゃんの目は空を見上げている。
目が、離せない。
でも恐い。

無数の星。
目に見えないものも多々あるんだろうけれど。
その星々の、威圧感だろうか。

ああ、そうか。
寒さを感じたのは、体が震えたからだ。
ゾクッと背中を走った、感覚。
恐怖、かもしれない。

自然の前で、なんて人間は小さいんだろう。
なんてちっぽけな存在なんだろう。


プラネタリウムを七夕に祐巳ちゃんと一緒に見に行った。
あの時見た星とは違う、天然の星空。
プラネタリウムの方が瞬いている星は多いのに、そんな恐怖は感じない。

「綺麗なのに、ちょっと、恐いです…」

作り物とは違う、自然に対する畏怖。恐れ。
祐巳ちゃんもそれを感じているのだろうか。

人の手に作られたものは、魔法かもしれない。
でも、その気持は今、何故か…

どんなに素晴しい、魔法のような事も、自然を前にするとありふれたものに変化してしまうのか。
さっきのが魔法なら、これはなんなんだろう。

私達は、手を繋いでホテルまで帰った。
背中に、月の光を浴びながら。
月の気配を感じながら。

守られているかのように。
追われているかのように。



執筆日:20050125


つ、詰め込んでしまったような…(汗)

『北海道 ぶらり☆夏旅行』3です。
なんかギュウギュウですね。
イカンイカン。
機会があったら再考察しましょう…



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