BlueMoon
ドアを開けて、一瞬、呼吸が止まった。
ちょこん、と並べて置かれてある、靴。
パタパタと近寄ってくる、足音。
ちょっとだけ、緊張しているような、私を窺うような、その表情。
「お帰りなさい、聖さま」
「…」
「聖、さま…あの…突然来ちゃって…」
「び…っくりした…!く…あはははは!」
申し訳なさそうな顔をして、謝罪の言葉を口にしようとしている祐巳ちゃんに、私はその場にしゃがみ込んで笑った。
「せ、聖さま?」
いきなり玄関でしゃがみ込んだ私に、驚きと心配で私の名を呼ぶ祐巳ちゃん。
その祐巳ちゃんにニッと笑う。
「ただいま」
「お、お帰りなさい」
よっこらしょ、と立ち上がる私にほんの少し安堵の表情を見せる。
丁度ひと月ちょっと前。
私は祐巳ちゃんにこの部屋の合鍵を渡した。
それからしばらくは、いつ部屋のドアを開くと祐巳ちゃんが来ているかと内心ドキドキしながらドアを開いていた。
でも、祐巳ちゃんの性格を考えれば、なかなか鍵を使ってくれるとは思えず。
案の定、ひと月が過ぎていた。
それが今日。
祐巳ちゃんが、鍵を使ってくれた。
ドアを開くと、祐巳ちゃんの靴があった。
私も履いていた、リリアン指定の靴。
だけど今日は平日、しかも月曜の夕方。
まさか来るはずがない、と思っていた曜日だったから、鍵を使ってくれた喜びと、驚きと、他いろんなものがごちゃ混ぜになってしまっている私がいる。
…でも。
『お帰りなさい』
今日は突然来てしまった、という申し訳なさからか、ちょっとおどおどしながらの言葉だったけど。
そう迎えられたのが、酷く嬉しい。
思わず、抱きしめたくなる衝動に駆られた。
「鍵、やっと使ってくれた」
「……」
「ん?」
「…志摩子さんに…今日はブルームーンだって聞いて…」
耳慣れない言葉に私は広げた両腕の動きを止めた。
「ブルームーン…?」
祐巳ちゃんの淹れてくれた紅茶を飲みながら、ネットで『ブルームーン』を検索する。
…ああ、これだ。
天文系のHPにそれを見つけた。
『ブルームーン』
ひと月のうちに満月が2回あるとき、2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶことがある。
「…なるほどね」
更に見ていくと『ブルームーン』は「滅多に起こらないような珍しい出来事」という意味で使われる慣用句らしい。
制服姿の祐巳ちゃんが、目の端に映る。
滅多に起こらない珍しい出来事。
今日祐巳ちゃんが訪れたのも、これみたい。
私はキッチンにいる祐巳ちゃんにそっと近付く。
「ゆーみちゃん」
「ふぎゃっ!」
…ふぎゃっ!は無いでしょ、ふぎゃっ!は…
「ブルームーンだから、来てくれたの?」
「え、そ、あの…」
抱きしめても、今はもうあまり暴れることの無くなった祐巳ちゃんをちょっと力を込めてギュッと抱きしめる。
「…志摩子さんに、教えてもらって…なんか、聖さまに逢いたくなって…」
「うん?」
「ブルームーンって言葉の響きとか…青い月の…なんていうか…イメージ、とか…聖さまみたいだなって…思ったら…逢いたくて…そう思ったら…こちらに足が向いていて…それで…」
しどろもどろな祐巳ちゃんの言葉。
見える首筋までもが、赤くて。
照れているのか、恥ずかしいのか。
どちらだろう?
「…滅多に起こらない、珍しい出来事って意味もあるらしいよ、ブルームーンには」
「へ?」
「滅多に、じゃなくて、これからは頻繁に来てよ」
「は?」
「…満月の時だけじゃなく、月が青い時だけじゃなく」
窓の外に、『ブルームーン』なんて例えられているとは思えない、紅い月が顔を見せ始めていた。
後書き
執筆日:20040831
30日は『ブルームーン』だったらしいです。
北海道、曇っていて全く見えませんが。
この話を聞いて、「こーりゃ聖祐巳で書かなきゃねー」と私は喜び勇んだ訳です(笑)