…どうすればいい
(聖)
もう、誰も愛さない。
…愛せない。
そう思っていたのは、いつだっただろう。
確かに、私はそう思っていた。
あんな辛い思いをするのなら。
あんな苦しい思いをするのなら。
もう二度と、誰かを好きになんてならない。
もう二度と、誰かと心なんて通わせない。
私は独りで…そう、たった独りで生きていこう。
…なんて事を真剣に考えた。
それほどまでに、栞は私の中で大きな存在だった。
否、栞は私の中で大きな存在。
それは、今でも同じ。
栞は私の記憶からは決して消える事はない。
あの数ヶ月間は消える事はない。
あの時の私がいるから、今の私は存在する。
だからあの時を消したいとか、無かった事にだけは、絶対にしたくはない。
だって、あの時があるから今の私が存在する。
今の私じゃなければ…
そうじゃなければ、出逢えなかった。
出逢ったとしても、その出逢いにすら、気付けなかったかもしれない。
あの、無邪気にコロコロと表情を変える、二歳年下の後輩。
ツインテールを揺らしながら、些細な事にも百面相。
初めて逢った時から、何故か気になった。
一緒に来ていた写真部の有名人の事は知っていたけど、その子は平凡そうな子だったのに。
次に逢った時には、その私より小さな手を取ってダンスの真似事なんて事をした。
いくら人当たりが良くなっていたとはいえ、逢って数日の子の手を取ってダンス…なんて、今でも信じられない。
今思えば、予感があったのかもしれない、なんて思うのは現金だろうか。
◆
誰もいない部屋に入って、灯りを点す。
見慣れた部屋。
何が何処にあるか、目を閉じていても解る。
いつもなら、『帰ってきた』という事でなんとなくでも気持ちが落ち着いたりするのに、今日は違った。
相変わらず、鼓動は早鐘を打つかのよう。
信じられない。
こんな自分は、信じられない。
一体どうしたというのか。
たった、ほんの少し触れただけだというのに。
狭い車内という名の個室。
その中での、ささやかな密事。
『邪魔になりたくない』
『嫌われたくない』
そう云った、あの子。
そんなあの子が愛しくて。
どうしようもなく、愛しくて。
私は幾重にも引かれているラインをひとつ、越えてしまった。
ゆっくりと顔を近付けていくと、あの子は目を閉じた。
そう、ゆっくりと近付く私に、目を閉じた。
そして触れ合った唇は、例えようもなく、甘く。
私はその些細な触れ合いに、めまいすら感じてしまった程。
どうすればいい。
このままだと、私は多大な期待をしてしまう。
目を閉じたあの子。
どうして、目を閉じたの。
何故いつものように逃げなかったの。
頼りなさげな目を向けて、『嫌われたくない』…だなんて。
私が嫌うなんて考えられない。
邪魔になんて、思わない。
ねぇ、どうすればいい?
手を差し伸べてしまってもいいのか、それすらも判断出来ない。
私に嫌われたくない?
私の邪魔になりたくない?
どうしてそんな事を思うの。
それはほんの少しでも私を好いてくれていると判断しても構わないという事なの?
目を閉じたのは何故?
私をほんの少しでも私が思うように私を思っていると考えてもいいの?
もう、お餞別なんて言葉は通用しない。
いくら裏門とはいえ、マリア様が見ているリリアン。
目を閉じた事、そして掠るだけとはいえ唇と唇が触れ合った事は、マリア様も知っている。
「祐巳ちゃん…、私は、どうしたらいい…?」
ソファに座り込んで、天井を仰ぎながら目を閉じる。
「期待、しちゃっても、いいのかな…?」
呟きに、答えは返らない。
けれど、多分今、自室で自分の気持ちに問答しているだろう、祐巳ちゃんに向って私は言葉を紡ぐ。
「ねぇ…私は祐巳ちゃんの手を掴んでしまってものいいの…?」
後書き
執筆日:20040711
人の気持ちってもの程やっかいなものはないから。
でもそれを考えるな、なんて無理。
好きだから、知りたい。
自分はこのまま思っていても構わないのか。
貴方は私をどう思っているのか。
君は、私をどう思っているのか。
ひとつラインを越えるたびに、それを繰り返す。
次は祐巳ちゃんの話です。
本当はひとつにまとめていたんですけど、分けてしまいました。