月下美人




「聖さま、今晩、うちに来られませんか?」


ゆっくりとした歩調で銀杏並木を校門へ向って歩いていると、祐巳ちゃんが「そうだ」と思い出したように云った。

「今晩?」
「あ…何か予定とか、ありますか?」

ちょっと残念そうに呟く祐巳ちゃんに私は思わず破顔する。

そんな顔されたら、何が何でも行かなきゃって思ってしまうじゃない。

「ううん。別に何もないけど…でも、どうして?」

何もない、と云った途端にパァ…と明るい表情で私の前に回りこんだ。

「今晩、月下美人が咲きそうなんです」
「月下、美人?」
「はい。一年に一度、夜に咲く…しかも数時間で花が終わってしまうサボテンなんです」



なんでも、祐巳ちゃんのお母さまが知り合いから株分けして貰って育てていたサボテンが今年、初めてつぼみをつけたのだそうだ。

「でも…今日咲きそうなのに、外せない用で昨日から父も母も家を空けてしまっているんで…祐麒は興味なさそうだし。ひとりで見るの勿体無いし…それに」

ぽつりと、祐巳ちゃんが「聖さまと一緒に見たいんです」と呟いた。

その様子が可愛くて、ここがリリアン構内、衆人環視の中じゃなければ抱きしめていた処だ。

「いいよ。何時ごろ行ったらいい?」
「ホントですか?有難う御座います!聖さまさえ良かったら…夕飯一緒したいです」
「そ?うーん、じゃあこのままうちまで行って、車で祐巳ちゃんち行こうか」

そう云うと、祐巳ちゃんは本当に嬉しそうな顔で頷いた。









「俺、あんまり興味ないや」


案の定、というか。
祐麒は祐巳の話を聞いた後でそっけなく云った。
聖さまは祐巳と祐麒のやり取りを興味深そうにソファに座って観察している。

「だって一年に一晩だけしか咲かないんだよ?」
「見た事あるんだよ」
「へぇ、何処で?」

祐巳がそういうと、何故かグッと言葉に詰まってちょっと明後日の方向を見た。

「…柏木先輩の家」

今度は祐巳がグッと言葉に詰まってしまった。

「ああ…あの男の家にならありそうだ…」

聖さまが苦虫をつぶした様な顔で呟いた。


だけど。
夜にしか咲かない花を、柏木さんの家で?
それはどういう事なのか、弟よ。

祐巳はうな垂れてリビングを出ていく祐麒の背中を胡乱気に見詰めてしまった。

ちょっと、それを問うのが恐かった。





祐麒はそれから程なく小林君からに電話に呼び出されて、聖さまに「ごゆっくり」なんて云って、行ってしまった。


「祐麒はお兄ちゃん体質だよね」
「…それって私が姉らしくないって意味ですか…」
「そんな事云ってないじゃない」

聖さまは祐巳の頭を撫でながら云う。
…言葉と行動が一致してないんですけど…
なんだか面白くなくて、その手を払うと祐巳はソファから立ち上がって月下美人に近付く。

心なしか、つぼみが開きかけてきている気がした。

「祐巳ちゃん」

ふわ…っと後ろから聖さまの腕が回ってきて、祐巳を抱きしめた。

「なんですか」

ちょっとぶっきらぼうに云うと、苦笑が耳をくすぐった。

「思いがけず、二人っきりだなって」
「二人きりじゃないですよ」

祐巳は聖さまの腕から逃れようと、少し体を捩った。
けれど聖さまは祐巳を放してくれない。

「他に、誰がいるの?」
「月下美人がいます」

今にも、花を開きそうな、この花が。

一年に一度。
夜の数時間だけしか咲かない花。
とても儚い、その花の命。

けれどまた、次の年にまた一度、花を咲かせる。

儚げでありながら、強い花なのかもしれない。


「祐巳ちゃん…こっちむいて」
「…嫌です」
「どうして?」

振り向いたら、負けそうだから。

…って、負けるって?


「…あ、花が開いてきた」
「ええ!?」

聖さまの声に、祐巳は月下美人に意識を向けた。

白い花がふんわりと開き、そして甘い香り広まった。

「う、わぁ…」
「…確かに、コレは綺麗だね…」

聖さまも、溜息混じりに呟く。

「あっ!そうだ、写真に撮っ…て…」

思わず、聖さまを振り返ってしまった。
バッチリと目が合って、祐巳は思わず「しまった」と思って慌てて目を逸らそうとした…けれど。

それを許さない聖さまが、祐巳の頬に手を当てた。

「逃がさないよ?」


月下美人の、甘くむせ返る様な香りに惑わされているんじゃないか…なんて、考えてしまうくらいに花の香りに包まれていて。

「…や」
「ダメだよ、逃がさない」

聖さまが微笑む。


パシャリ、という音を何処か遠くに聞こえた。
今のは何の音だろう…
祐巳は頬を撫でる聖さまの手から逃れようとしながら考えた。

聖さまの手が、何かをコトリと床に置いた。


聖さまが携帯電話で、祐巳を抱きしめながら美しい姿を見せている花を内蔵のカメラで写していた、という事を知ったのは…花の香りにも負けない、とろけてしまう程の甘い接吻の後だった。




後書き

執筆日:20040929

き、季節外れですか…外れてますよね…

月関係のSSが脳を支配してまして。
思わず『月下美人』の出てくる話が浮かんでしまったので…

月下美人は夏の夜に花を咲かせます。
夜に花開いて、数時間で花は閉じます。

魔力は多分、ありません(笑)


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