春のいたずら、それとも…
(聖、祐巳)




桜の樹は、魔力みたいなものを持っていて、時々人を惑わせる

…なんて話をいつだったか、誰かから聞いた事があったけど…ホントなのかな…?



「おっかしいなぁ…」

祐巳は、自分の他には誰も歩いていない道を頭を捻りながらト
ポトポと歩く。

「なんで間違えちゃったのかなぁ…だけど、お母さんも何も云ってくれないんだもんなぁ…」

いつもの登校時間より、1時間は早い。

目覚まし時計が電池切れで止まっていたので、てっきり寝過ごしたと思って妙に慌ててしまったのが原因。
祐麒がいなかったのは先に家を出たからではなく、まだ寝ていたんだと今なら思う。

それと、お弁当が既に出来ていたのも勘違いに拍車をかけた要因の一つ。
それとも、いつもこんなに早くお母さんはお弁当の用意をしてくれているのかな…?

なんて考えながらも歩いていくと、桜並木に差し掛かった。

祐巳は今日、正門からではなく裏門から入った。
慌てて家を出てバス亭に行くと、丁度やってきたバスに乗り込んだ。
乗客もまばらで、これは思いっ切り遅刻だと泣きそうになったその時、車内に設置してある時計で1時間早い事に気付いた祐巳は、気が抜けた反面、ほっとしながらバスに揺られてリリアンに辿り着いた。
いつもは学園前のバス亭で降りて正門から学園内に入るのに、遅刻だと思っていたのが実は1時間早かったという事実に気が抜けてしまっていて、ついつい乗り越してしまった祐巳は裏門に近いバス亭に降りた。

でも、それもまぁいいか、と思える。

桜を見ながら歩いていると、こんな風に早く登校するのもたまにはいいかも、なんて思えてくるから現金だ。
だって今は丁度満開で、お花見でもしたい位の見事さだったから。
この時期なら毛虫も落ちては来ないので、焦らずとも、ゆっくり花を眺めながら歩く事が出来た。

「……あれ?」

一本だけ、少し離れた所にある桜の樹の下に、誰かがいた。
今日初めて会う(見る?)、リリアンの生徒。
はらはらと降る桜の花びらをその身に受けながら、桜の樹を見上げている。

日の光のせいなのか、少し色素が薄く見えるさらさらで真っ直ぐな長い髪に、花びらが滑るように落ちて行くのを祐巳は見ていた。

…綺麗だな

自分の髪が少しクセのある髪だからか、ストレートロングの髪には憧れがあった。

近付いていくと、その人が祐巳の方を振り向いた。

「…え?あ、あれ…?」

何故かよく見知った顔のような気がして目を瞬かせた。

リリアンの制服を来た、リリアンの生徒に間違いないのに、とても違和感があった。


だって、その人はもう高等部を卒業した筈の人だったから。

そして、その姿はザァッと吹いた風に舞った花びらに隠され見えなくなり、風が収まると、その生徒の姿も嘘の様に消えていた。




「寝ぼけてたんじゃないの?祐巳さんってば」

祐巳が悶々としながら待っていた由乃さんが教室に入ってくる
と同時に「ごきげんよう、あのねっ」と桜の樹の側での出来事を矢継ぎ早に伝えると、彼女は呆れた様にそう云った。

「そんなんじゃないってばー」
「はいはい。でももし祐巳さんが云った事が事実なら、不思議だよねぇ…」
「事実だってばっ」
「はいはい…でもそんな話、普通はなかなか信じらんないって。ねぇ?蔦子さん?」

話をしている祐巳と由乃さんを直ぐ側でパシャパシャと撮っている蔦子さんに由乃さんが話を振った。

「まぁね…それこそ、写真みたいに証拠があるならまだしも」
「うう〜」
「ホラ、唸らない唸らない。だから、みんな証拠があれば信じるんだって。桜の側でしょ?」

カメラを掲げながら云う蔦子に祐巳はパッと表情を明るくする。

「撮ってくれるの!?」
「現れたらね」
「現れても、祐巳さんにしか見えなかったりして」

ニッと笑いながら由乃さんが云った。



「はぁ…」

祐巳は溜息を落しながら夕暮れの道を歩く。

朝じゃなきゃ現れないのか、桜の樹はあれから全く変わりがない。
祐巳自身、何故か朝の出来事が本当だったのか、解らなくなってきていた。

「やっぱり寝ぼけてたのかなぁ…」

そんな自嘲めいた言葉さえ、こぼれてしまう。

でも、寝ぼけていた訳でも、夢を見た訳でもない。

本当に、朝しか現れないのだとすれば…

「よし、明日も1時間早く来てみよう。うん」

そしてまた「あの人」が現れたら。
蔦子さんにお願いして、明後日も1時間早く出てきて…ううん、自分で写したっていい。
500円でおつりが来る値段で使い捨てカメラが売っているんだから。

「よし!」

祐巳は今晩は明日に備えて早く寝る事に決めた。



お母さんに明日も早く家を出るから、と告げ、電池を新しくした目覚まし時計をいつもより1時間早くセットして寝た祐巳は、昨日と同じ、1時間程早くにリリアン女学園前でバスを降りた。
バッグから近所のコンビニで買った「写る●です」を取り出して、ゆっくりと桜の樹までの道を歩く。

天気も昨日と同じ位良くて、いい青空が広がっていた。

……ちょっと待って。

祐巳はそこで立ち止まった。

ちょっと待って。
どうしてそんなにしてまでみんなに信じて貰いたいなんて思ったんだろ?私。

祐巳は自分の手の中のカメラに目を落とした。

何しようとしているんだろ…

こんなにいい朝なのに。
こんなに綺麗な青空なのに。

あんなに綺麗な桜なのに。

…あんなに綺麗な人なのに。

何、やってるんだろ…私。

祐巳はフッと短く息を吐くと、カメラをバッグに仕舞った。

そして、昨日の様に、見事に花を咲かせている桜の樹を目指して歩き出す。

誰も信じてくれないなら、それでいい。

祐巳は見たんだから。

祐巳自身だけ知っていれば、それでいいんだ。

そんな風に思うと、なんだか昨日の朝の出来事がとても特別で、素敵に思えた。

また、逢いたいな。

純粋に、そう思った。

そう思ったその時、丁度あの桜の樹が見える所まで来た。


「…あ…っ」

…いた

昨日のあの人は、桜の樹に頬を寄せる様に立っていた。

やっぱり、綺麗だな…

なんて、思った時、その人が祐巳の方を見た。

『今』とは違う、長い髪。
『今』とは違う、笑んでいない表情。

祐巳の知ってるあの人は、どこか漂々としていて、いつも笑っている様な人だ。

でも今桜の樹の下にいるその人は、ちょっと違っていた。

「あの…っ」

声を掛けようとしたその時、突然背後から腕が回ってきた。

「うひゃあっ!」
「こらこら祐巳ちゃん、仮にもリリアンの生徒が『うひゃあ』
は無いでしょう『うひゃあ』は…」
「せせせ聖さまっ!?」

何故ここに!と思いながらほんの少しだけ背後へ首を回す。
でも羽交い締めにされているので顔を見る事は出来なかったけど。

祐巳の声が聞こえたのか、桜の下のその人が驚いた様な顔をしたのが目の端に映った。

「祐巳ちゃんさぁ、昨日おっきな声で独り言云いながら歩いていたでしょ?なんか面白そうだったから来たんだよん。で、祐巳ちゃん、今声掛けようとしてたあそこの彼女が祐巳ちゃんがこんな朝早くから登校した原因って…わ…け」

その人の方を見ながら云っていた聖さまの語尾が急に濁って途切れた。

祐巳を拘束していた腕の力が緩んだので、首を回して聖さまを見ると、なんて云うか…驚いている中に、微妙な影が見えた。

「…こんな所にまだ…」
「え?」

聖さまの呟きが、聞き取れなくて、祐巳は聞き返した。

「聖…さま?」

今にも泣き出しそうな…そんな顔をしている聖さまにどうしたらいいのか解らず、祐巳は桜の下の彼女に目を向けた。

…けれど

桜の下に立っていた、リリアンの制服の、髪の長い聖さまは、もう消えてしまっていた。




「祐巳ちゃん、時間、あるよね?」
「え、ええ、そりゃ…」

1時間も早く来ているんですから…確実に1時間はありますってば、時間。

「じゃあちょっとあっち行こうか。いや何、変な事はしないから安心していいよ」

相変わらずなオヤジ仕様な口調だったけれど、いつもとは違う聖さまの雰囲気にツッコミを入れる事が出来ずに、祐巳はただ頷いた。



聖さまの後について、ほんの少し歩いた、道から死角になっている場所に来た。
そして聖さまは木に寄り掛かると祐巳を見た。

「噂なんだけどね。桜並木の、どの桜の樹か解らないけど、ある時間にその桜の前に行くと過去が見えるっていう噂があったの。あそこの桜はもう長い年月をあそこで過ごしているから、ずっとリリアンの生徒を見てきてるからね」
「それじゃ、過去っていうのは、桜の記憶って事ですか?」

祐巳が云うと聖さまは「そうかもね」と笑った。

「でもまさか、噂が本当だったとはね…」

その表情が、ほんのちょっぴり切な気で、祐巳は思わずドキリとした。

以前聞いた、栞さんの事を思い出したから。

そしてもしかしたら、聖さまは一目だけでも栞さんの姿を見たくて、来た事があったんじゃないか、なんて。

少しうつむいてしまっていた祐巳の頬を、聖さまがツンツンとつついた。

「なんで泣きそうな顔してんの、祐巳ちゃん」

聖さまは少し屈んで、祐巳の顔を覗きこんでいた。

「いえ…ここの桜はリリアンの生徒のいろんな事を見て来たんだな…って思って」
「そうだね…」

聖さまが優しい微笑みを浮かべて、祐巳の頭を撫でた。

「時に祐巳ちゃん」
「はい」
「噂にはまだ続きがあってね」
「はい?」

聖さまの表情が『いつもの』感じに戻った様な気がして、祐巳はちょっとホッとする。

…けど…『いつもの』感じなのは、危険なんじゃ…?

「過去ってのは、心にいつも思っている人とか、気に掛けている人の姿が見えるっていう噂なんだよね」
「はぁ…」

それを聞いて、やっぱり、聖さまは栞さんに逢いに来たのかも…と、祐巳は思って……

へ?心に思ってたり、気に掛けている人?

「祐巳ちゃん、さっき、桜の下に昔の私を見てたでしょ?」

聖さまがニッコリと笑う。

危険だ、この笑顔。
何かとんでもない事を云い出すつもりなんじゃないか、この人。

「祐巳ちゃんに抱きついてたからかなぁ、見えたんだよね〜、私にも、昔の私が」

うわ、危険、危険だ。
これは絶対に危険だ。

「祐巳ちゃん、私の事、考えてたでしょ」
「ええっ!?」
「私の事、好きなんだ?」

な、何を云い出すのかこの人!

そ、そりゃあ聖さまの姿が見えなきゃ寂しいなぁとか、聖さまの大学生活てどんなだろうとか考えていたけど!

って、なんで私、そんな事考えてたんだろ?

顔が熱くなっていくのが解る。
聖さまが、何故か驚いた様な顔をした。

な、なんなんだ私!

「な、何云ってんですか聖さま!」

もう行きます!と祐巳はその場を逃げる様に走り出した。

「あっ、祐巳ちゃん!?」

聖さまの声が聞こえたけど、そのまま振り返らずに祐巳は走った。


だから、祐巳には解らなかった。

噂の後半部分が聖さまのいたずらだった事を。

そして、聖さまが木に持たれて「祐巳ちゃん…?まさか、ねぇ…?」と呟いたのも。

その聖さまの頬がほんの少し、赤くなっていたのも。

多分、桜の木だけは遠目に見ていたかもしれない。

fin??




後書き

最終執筆日:20040404

聖さまと祐巳ちゃんです。
何書いてんだ?という声が聞こえそうですけど(笑)
すいません私、聖さまと祐巳ちゃんのコンビ(?)好きなんです

でも、携帯HP2周年目最初のSSがコレですか?私?
私だけが楽しい話ですねぇ(苦笑)


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