祈りのように




目を覆われていたら、ふんわりとした眠気が襲ってきた。

「…根詰めて勉強すると、疲れてしまうよ…」
「聖さま…」
「大丈夫だから…もう少し休んでも」

優しい声色。
温かな手。

祐巳は聖さまの優しさに目を閉じた。










気がつけば、もう21時を回っていた。
いつの間にか、花火も終わっていて。

風邪を引いたらいけないから、と聖さまはバスルームに祐巳を残して出て行った。

「きちんと温まって出てくる事。ああ…それと、鍵はもう開けたりしないから…閉めていいからね」

苦く笑いながらそう云って聖さまは出て行ったけれど、祐巳は鍵を掛ける事が出来なかった。
別に入ってきて欲しいとか、そういう訳では断じてないけれど。
でも…なんだか、鍵を掛けてしまう事で、聖さまを拒絶してしまうんじゃないか…なんて。

そんな事を思う祐巳を変だなって思うけど…でも…なんとなく、そう思ってしまった。





聖さまの云い付けを守るようにしっかりと温まって、祐巳は備え付けられているバスローブを着てバスルームを出た。
着替えも何も用意していなかったから…ちょっと恥ずかしい事になっちゃうけど…聖さまがバスルームを使っている間に着る事にする。
どの位温まっていたんだろう…お部屋に、ルームサービスが届いていた。

「夕食の方は8時までだけど、軽食やおつまみ系のラストオーダーは10時半までだったから、適当に頼んでおいた。お腹空いたでしょ?」
「聖さまも、シャワー浴びていらしては…さっき、水を被っているんですから風邪を引いたら…」
「ああ…大丈夫だよ。もう乾いてるし…後で浴びるよ。それより、こっち来て」

手招きされて、祐巳は聖さまの傍に近付いていく。
椅子に座らせられて、頭に巻いていたタオルを取られてしまった。

「え、あ、ちょっ」
「たまにはやらせてよ。いつもやらせてるから、たまにはやらせて」

そう云いながら、ポンポンと髪を新しいタオルではさむようにしながら水気を取っていく。
なんだか気持がいいやら恥ずかしいやら申し訳ないやら…な祐巳に聖さまはテーブルに置いてあるミネラルウォーターを指し示す。

「きちんと水分補給しなきゃね。特に今は夏だし」
「あ…はい。有難う御座います…」

習慣って大事だと思う。
聖さまのお部屋にお泊りするようになっていつの間にか祐巳にも身に付いてしまった。
そんな些細な事でも、何か嬉しい。
でも、なんだか聖さまにそれを用意させてしまっていたり…というのは、なんだか申し訳なくて…

「…今日は花火、見られなかったね…」

恐縮してしまっている祐巳に、ごめんね、と聖さまが呟く。
それに軽く頭を横に振って、いいえ、という。

「またいつか、来ましょうよ。一緒に」
「…うん」

小さな、小さな聖さまの「そうだね」っていう声を聞きながら、祐巳は思う。
今度の旅行する時は、もう少し穏やかなのがいいなぁ…なんて。
そして、聖さまには笑っていて欲しい…そう思った。






それから、サンドイッチや鳥のから揚げ、オニオンフライやサラダ、そしてアイスクリームなんかを胃に納めながら、今日行った処の事を聖さまと話した。
総じて良い印象が残っている。
ひとつの事以外は。
そこからはあえて目を逸らす。
このままじゃ、祐麒と一緒の処に出くわした時、おかしな態度を取ってしまいそうだし。

そういえば…
聖さまはあと一箇所、行きたい処がある、と云っていて。
どうしても、行ってみたいという聖さまに祐巳も、聖さまがそんなに気に掛けているなんてどんな処なんだろうかと気になった。

「明日、空港に行く途中で寄り道して行こうと思うんだけど…いい?」

そう云う聖さまに、祐巳は二つ返事でオーケーした。
聖さまとの旅行の思い出は、多ければ多いだけ良いから。

でも…
やっぱり聖さまの様子は、いつものそれとは違っていた。
…そんな簡単に割り切れるものでは、ないから…
祐巳にもそれは、解る。

あんな風に聖さまが思うのは、祐巳を好きだと思っていてくれているから。

だから…祐巳は出来るだけ、聖さまを受け止めたい。
いい事も、悪い事も。
それを出来るのは、祐巳以外いない。
だって、それは祐巳への感情なんだから。
誰にも、それは出来ないし、またさせたくない。

…聖さまはご自分のそういう感情を『醜い独占欲だから』と苦く笑ったりする。
そしてその感情を嫌悪している。

でも…祐巳だって、そうだから。
聖さまのそういう部分を祐巳以外の誰にも見せたくないし、そんな聖さまを誰かに託そうなんて絶対思えない。

祐巳だけの、ものだから。

祐巳にだけ向けられた聖さまの感情だから、祐巳だけのものだ。
誰にも触らせたりなんか、したくない。
勿論、志摩子さんだろうと、蓉子さまにだろうと。

聖さまは知らないかもしれないけれど…祐巳にだって、聖さまが云う処の『醜い独占欲』に心を充たしてしまう事は多々あるんだから。

誰もが、聖さまを見る。
ここに降り立った時も、聖さまは人目を引いていた。
そんな周囲の人の目を感じると、祐巳はどうにもならない感情に包まれてしまう。
見ないでって、思う。
誰も聖さまを見ないでって。
祐巳だけの聖さまでいて欲しい…なんて思う事だってあるんだから。

それは、聖さまも知らない。
祐巳の心にだけ、ある。
この感情は、きっと…ずっと消えない。
ずっとそう思い続けていくんだろう…そう思っている。







いつの間にか、眠っていたようだ。
祐巳はベッドに寝かされていて。
部屋の中は、月明かりと常夜灯の明かりだけ。

そっと体を起こすと、窓の傍の椅子にバスローブ姿の聖さまが座っていた。
窓の外を見詰めているようだ。

月明かりに照らされる、聖さま。
…こんな光景を、祐巳はよく見る。


初めて見たのは、まだ春が来る前の薔薇の館。
居眠りをしてしまった祐巳が目を覚ますのを待っていてくれた、白薔薇さまだった聖さま。
月明かりに照らされた聖さまに、いつもの抱きつき魔な聖さまとは違う聖さまを見つけて、祐巳の心臓は妙に動きを速くした。

それからは、お泊りした時。
夜中に目を覚ますと、聖さまが隣に居なくて。
ふと見ると、窓の傍に佇んでいたりする。
まるで、お月様に祈りを捧げるかのように。

…それが、祐巳は寂しくて。
お月様に心を奪われている聖さまに祐巳は寂しくて。
そして、お月様に嫉妬した。
聖さまの目を奪う事の出来る、お月様に。


「…目が覚めちゃった?」

起き上がった祐巳の気配に、聖さまがお月様から視線を外して祐巳の方を見た。
月明かりのせいで、色が白い聖さまの肌が、より白く見える。
聖さまを『彫刻のよう』と例えていた人が結構いたけれど、今月明かりに照らされている聖さまの肌は雪花石膏のようにも見える。
美しい人だと…本当に心から思う。

「祐巳ちゃん?」

どうした?という聖さまに、祐巳は近付いていく。
そして、椅子の傍に膝を付いて、聖さまの脚に体を凭れさせた。

「祐巳ちゃん…?」
「…聖さま…まだ休まないんですか…?」

膝に頭を乗せて、聞く。
聖さまの手が、ゆっくりと祐巳の頭に乗せられた。

「ん。もうそろそろ休むよ……もしかして、寂しくなったのかな?」
「……」

寂しい。
そう、祐巳は寂しいのかもしれない。
目が覚めて、隣に聖さまがいなくて。
しかも、聖さまは今日は祐巳と一緒のベッドではなく、ご自分のベッドで眠るおつもりだったらしくて。
祐巳が眠っていたベッドではないベッドに聖さまは一度入られていたから。
もしかしたら祐巳が目を覚まさなかったら、聖さまは祐巳の所には来なかっただろう。
それは、寂しい。

「…さ、もう休もう。立って」
「聖さまは…」
「ん?」

祐巳を立ち上がらせる聖さまに、祐巳は呟いた。

「聖さま…は…今晩は、私と一緒に眠ってくれないんですか…?」
「…え?」

聖さまが、目を丸くした。
そんな聖さまが、何故だか憎らしく感じて、祐巳は勢い良く聖さまの胸に飛び込んだ。

ずるい。
聖さまは、祐巳から動くのを待ってるんだ。
祐巳が、欲しがるのを待ってるんだ。

ずるい。
ずるい。

…でも…

祐巳は聖さまの胸に顔を埋めながら、勇気を振り絞った。
だって。
祐巳は聖さまが好きだから。
たまらなく、好きだから。

だから。

「触れて…欲しいんです…」
「…祐巳、ちゃん…」

ギュッと、聖さまの背中に回した手に力を込めた。


「聖さま……抱いて下さい……聖さまが、欲しいんです…」




執筆日:20050206


祐巳ちゃん、勇気を出して誘ってみる、の回(笑)
旅行って、ちょっと特別ですから。
云えない事が云えたり、出来ない事が出来たり。
甘えたり、とかね。


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