itsy-bitsy




聖さまに云われた事が気になってしまって、由乃さんや志摩子さんの顔がきちんと見られなかった。

正確に云えば『どこまで行ってるの?』なんてとんでもない事を云ってくれたのは由乃さんなんだけど。
でも由乃さんの言葉の意味を祐巳に教えてくれたのは聖さまだし。

聖さまに「もしかしたら、由乃さんはホントに何処に遊びに行ったのか聞いたのかもしれませんよ?」と云ってみたけれど、それは速攻で却下されてしまった。
「んな訳無いじゃん」…って。


そのせいで薔薇の館でも俯き気味に過ごしてしまった。

怪訝そうな顔してる由乃さんに気付いていたけど、でもどうしても顔が見られなかった。





その事を聖さまに云うと「あらま」と苦笑しながら頭を撫でられた。


「私があんな事云ったからかなーぁ?」
「うーっ」
「唸らない唸らない」


ぽんぽん、と背中を叩かれるけれど、なんだかそれだけの事でも妙に意識してしまう。

あーもう!ドキドキするんだってばっ!

いつまでも祐巳の肩辺りを触ってる聖さまを無言で見つめる事で抗議。

その抗議に気付いているんだか、いないんだか、聖さまはニコニコしている。


…まぁ、ここは聖さまのお部屋で、誰かが急に入ってくるっていう危険は無いからなんだろうけど。
でも落ち着かないんで少し離れてほしい…

…とか、考えていても聖さまに伝わるはずもなく。
祐巳は「お茶のおかわり、いれてきます」と空になっているマグカップを手に立ち上がった。

するりと手から逃れてキッチンへと向かう祐巳に「アイスミルクティーがいいなー」とか聖さまは云う。

はいはい

でも聖さまがミルクティーなんて珍しい。
いつもはコーヒーはもちろんだけど紅茶もノンシュガー、ストレートが多いのに。

そんな風に考えている祐巳に聖さまが爆弾発言。

「なんか、胃が痛くってさ…」

思わず、持っていた牛乳パックを落としそうになってしまった。

「胃が…って…」
「うーん。なんだかシクシクと痛いんだよね…朝ごはん食べたくなくて、牛乳だけにしたからかなぁ…」

一足先に夏休みに入っている聖さまは今日もゆっくり朝寝を楽しんだ、とか学校帰りの祐巳が羨ましくなるような事を云っていたけど…
もしかして、胃痛で寝ていたんじゃ…?
「朝ごはん食べたくなくて牛乳」っていうのも、実は胃痛でご飯を食べたくなくて牛乳を飲んだのでは…?

「だ、大丈夫…じゃないですよね…」

そういえば、なんとなく顔色も良くない。
祐巳は紅茶を淹れるのは止めにして、ミルクパンに牛乳を注ぎいれる。

「今日はもう帰ります。私がいたら聖さまゆっくり休めませんし…」
「やだ」

そんな速攻で云わなくても…

「ダメですよ、無理しちゃ…」
「無理なんかしてないよ。それに…祐巳ちゃんいてくれる方が落ち着くんだ」
「…」
「ホント」

キッチンにも、聖さまの苦笑いが伝わってくる。
『云わなきゃよかったな』って感じの雰囲気と一緒に。

沸騰しない様に牛乳を温めて、マグカップに注ぎ入れ、それを手に祐巳は聖さまの傍に戻った。

「胃が痛い時はカフェインが入っているものはダメなんですよ…はい、どうぞ」
「ホットミルク?」
「はい」
「ブランデーひと垂らししてくれるといいなー、なんて…」
「ありません」

何云ってんですか。全く。

「でも、さ」

ホットミルクを飲みながら、聖さまが祐巳の顔を見ずに呟く。

「はい?」
「祐巳ちゃんが来てくれてから…少し楽なんだよね…多分、ストレス性なのかも」

ストレス?
思わず祐巳は聖さまの顔をジッと見詰めてしまう。

何か心配事や無理をしているんだろうか…
それとも…

「ああ、そんな考え込まなくてもいいよ。原因は…解ってるし」
「え?」

マグカップをコトリとテーブルに置いて、聖さまが微笑む。

「小さい事、なんだよ…原因なんて。きっと笑っちゃうくらいの」

…聖さまは、自分で気付いていないだけで、本当はとても弱ってしまっているのかもしれない…
心が、疲れてしまっているか。
体ってのは心の影響が出易いって聞いた事がある。
でも、どうして?
祐巳はそれを聞きたいけれど、何故か聞けなくて、ただ黙って聖さまを見詰めていた。
その祐巳に聖さまは笑みを深めて云った。

「だから…今すぐ帰るなんて云わないで、もう少しいてよ」








ホットミルクのお陰なのか、解らないけど。
聖さまはソファの上で眠ってしまった。

祐巳はその聖さまをぼんやりと見つめる。
ほんの少し青い顔。

祐巳が来てから、少し楽だと云ってくれたけれど…
それが本当なんだったら、少しでも長く聖さまの傍にいたいと思う。

それしか…祐巳には出来ないし。

ゆっくり…そっと立ち上がり祐巳は、電話の子機のある隣の寝室へと向った。















「…っ!」

ハッとした様に目を覚まして、聖さまがきょろきょろとしている。

「目が覚めましたか」
「あ…祐巳、ちゃん…」

キッチンにいる祐巳の姿を確認して、聖さまがホッとした様な表情をした。

そして直ぐ、不思議そうな顔をする。

「…何、してるの?」
「何って…夕飯作ってますけど」

前髪をかき上げながら立ち上がり、聖さまがキッチンにやってくる。

「お粥です。胃痛なら、消化の良いものがいいですし」

塩粥ではなくお味噌を入れたお粥。
それと白菜とお豆腐とひき肉のスープ。

「あ…さっきお電話お借りしましたので」
「電話…?」
「はい…勝手にすいません」
「それは構わないけど…もしかして、おうちの人に迎えに来てくれるように頼んだりした?私送っていくよ?」

お味噌のお粥に、仕上げに溶き卵を加えてサッと混ぜてから刻んだおネギをほんの少し。

「さ、出来ました。これ、テーブルに運んで下さい聖さま」

聖さまの質問に答えずに、スープを乗せたトレイを差し出す。
思わず受取ってしまった聖さまは、それをテーブルへと運ぶ。

祐巳もその後についてお粥の入った器の乗ったトレイを運んだ。

それらをテーブルに並べて、ソファに座る。

「…祐巳ちゃん?」
「今日は…送って戴かなくていいです」
「やっぱり…私なら大丈夫だよ?」

祐巳は「いただきます」と云って、お粥の入った器を手にする。

「…お母さんに『聖さまの体調が優れないみたいだから、看病したい』って電話したんです。明日はこちらから学校に行く許可も貰ったので…運良く、明日の授業は今日とほぼ同じなんで教科書やノートは困りませんし」

聖さまが、驚いているかの様な…不思議なものを見るかの様な目で祐巳を見る。
思わず、先走ったかな、と不安になってくる。
祐巳は器をテーブルに置いて聖さまの方へ体を向けた。

「あの…、聖さま…?いけませんでしたか?何かご予定とか…」

そこまで云うと聖さまは、ふるる、と頭を振ると照れ臭そうな…泣き出しそうな笑顔になった。
その笑顔を見て、祐巳はホッとする。
少なくても、お節介だとか云われて拒絶された訳じゃないから。

「あ、そうだ…申し訳ありませんが、着替えを貸して戴け…」

そこまで云って、祐巳の言葉は途切れてしまった。

聖さまに、抱きしめられたから。

「…原因、解ってるんだって…云ったよね、胃痛の」
「…はい」
「ほんとに…小さな事なんだ…ただ、私が弱いだけ」

聖さまの顔を見ようと思っても、しっかりと抱きしめられていて、それは叶わない。
でも、祐巳は聖さまの顔が見たかった。

「…祐巳ちゃん欠乏症って、ヤツ」

殆ど毎日逢ってる様なものなのに…と、聖さまが笑う。
でも、何故か、聖さまが笑っている様には思えない。

「ほんと…どうしようもないよね…だから祐巳ちゃんが来てくれて、楽になったんだろうな」
「…いつから、胃痛がするんですか?」
「ここ二、三日かな」
「そんなに…?」

心配そうな声が出てしまったのか聖さまがポンポンと背中を叩く。

「仕方が無い事だから」


祐巳だって、聖さまに一日逢えなかったら、悲しくなる。
聖さまを思い出してしまう。
そしてご飯とかがキチンと食べられなくなったりする。

聖さまも、祐巳の事をそんな風に思ってくれている。
そういう事なんだろうか。

いとおしいと思う気持ちが、体に変調を来たす事もあるんだ。

「聖さま…今は、痛くないですか…?」
「そうだね…少し眠ったってのもあるし、祐巳ちゃんが傍にいてくれるから」
「…そうですか…」

一緒にいるための時間を思いがけず作れたんだから…それを最大限に。

「今晩は…ずっと聖さまの傍にいますから…邪険にしないで下さいね」
「するはずないでしょう?」

今晩は、一緒に眠れる…そう思うと照れ臭くて嬉しい。





きっと他の人にしてみれば『小さな事』なんだろうけれど。
それが愛しくてたまらなかった。




後書き

執筆日:20041010

これも夏旅行前のお話です。
『不意打ち』の続き…ですね。
他の人にとっては『そんな事』って感じの小さな事でも、当人にとっては体に変調を来たす様な事ってのもあるんだよ?って事で…

しかしそろそろ北海道に旅立ってもらわなくちゃなぁ(笑)

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