いつか


「…祐巳ちゃん」

意を決して、私は祐巳ちゃんに声を掛けた。
時計は10時半を過ぎた。
本当に、もうそろそろ帰らなくてはならない。
祐麒の友達は帰った様子は無い。
多分このまま泊まるのだろう。

「そろそろ帰るよ」
「……やん…」

うわ。
なんだなんだ今の…!
しかも私の手をキュッと掴まえた。

「ゆ、祐巳ちゃんってば…」

困った。
ほんっとーに困った。
どうすりゃいいのよ…









観覧車から降りて、ふと時間が気になって時計を見ると、いつのまにか2時を過ぎていて。
もう入場してから4時間近く経っている。
大体人気のある乗り物は制覇している。

ふむ。
見れば祐巳ちゃんもちょっとお疲れモードに入っている。

「どう?祐巳ちゃん。満足?」
「はい。結構乗りましたよね」

全く、普段の祐巳ちゃんからは想像出来ないくらいの弾けっぷりだったんじゃないだろうか。

「祐巳ちゃん、お腹空かない?もし乗り物に満足なら、この先にあるペンションに美味しいパンが食べられる処があるんだって。行ってみようか?」

私はパンフレットを指差しながら提案した。






そのペンションはちょっと異国風で、『ペンション』のイメージにぴったりな感じの佇まいで、祐巳ちゃんは「うわぁ…」と感嘆の声を上げた。

扉を開くとカララン、と金の音がして、来客を知らせる。
現れたのは人の良さそうなご婦人。

「いらっしゃい。お泊りの方?それともお買い物?」
「パンフレットにこちらのパンが美味しいと書かれていたので」

私がそう云うと、「あら、丁度良かった」と、その人は微笑んだ。

「たった今3時用のが焼き上がった処だから、お嬢さんたちは運が良かったねぇ」

そう云いながら「こちらへどうぞ」と手招きされた。

「運が良かったって。祐巳ちゃん」
「いい香りがしますもんね」

そう云いながらご婦人の後について行った。

通されたのは小さなテーブルが4つ、並んだ処。
そのひとつに座ると、籠に入れた様々なパンが置かれた。
クロワッサン、バターロール、胡桃パン、ライ麦パン。
あとは解らないけどちょっと小さめのパンが籠に沢山。
それと手作りのジャムやバターも。

「はい。何がいい?」

メニューを差し出されて飲み物とかを選ぶように云われる。

飲み物はコーヒー、紅茶、牛乳に他色々。
パンのつけ合わせなのか、小さな器のシチューやグラタンとかも頼めるらしい。
私はコーヒーとチキンのフリカッセを。
祐巳ちゃんは悩んだ末にミルクティーと焼立てだというハムと野菜のキッシュをお願いした。

「誰もいなくて繁盛してなさそうに見えるかもしれないけど、丁度お昼のお客が途切れた処なの」

フリカッセとキッシュのお皿を置きながらそう笑うご婦人の笑顔に思わずつられて微笑んでしまう。
いい感じだな、と思う。
奥にあるキッチンではご主人が夕食の下ごしらえをしているとか。

「お嬢さんたちは何処から来たの?」
「あ、東京です」
「ああ、内地の人なんだ。どおりで道内の子たちより綺麗なはずだわ」

あ、また『内地』という言葉だ。
ホテルへのバスの中でも聞いた。

「あの…内地って…?」

祐巳ちゃんも不思議に思っていたのか、首を傾げながら問い掛けた。
それにご婦人は笑顔を深める。

「東京とかをこっちでは内地って云うんだわ」

なんとなく、方言というか、イントネーションがちょっと違う。
北海道の言葉を聞いたのは、こちらに来てから、もしかすると初めてかもしれなかった。





フリカッセはチキンがほろほろしていて、そしてミニオニオンもほっこりしていてとても美味しい。
祐巳ちゃんのキッシュも野菜の甘さとハムが絶妙にチーズと絡んでいて幸せな味だった。

「これも食べなね」と塩茹でしたとうもろこしを一本をぽっきり折って手渡してくれた。

「熱いから気をつけなね」
「はい…あ、甘い…!」

祐巳ちゃんが驚いた様に云うと、ご婦人は「美味しいっしょ?」と満足げに笑った。



それからご婦人はご主人のお手伝いをしに奥のキッチンへと消えた。

「なんだか、ホテルのパンと違いますね」
「うん。バターの味とかも全然違う。おみやげにジャムとか買えるみたいだし、買って帰ろうか」
「はい!」

祐巳ちゃんも幸せそうな笑顔。
つられて私も笑顔になる。

来て良かったな、と思う。
この笑顔を私は見ていたいから。





「お嬢さんたちは何処に泊まるの?」

パンとジャムの小瓶を紙袋に入れて手渡してくれながらご婦人が云う。
それに祐巳ちゃんが温泉の方に、というと「あらぁ」と残念そうに云った。

「うちに泊まってくれたらよかったのに…今度は是非うちに泊まってね?冬もここはやってるし。スキー客が来るから。まだ学生さんでしょ?冬休みにスキーにいらっしゃいね」

「はいっ」と祐巳ちゃんが返事をすると「絶対ね?」と云いながらジャムをひと瓶サービスしてくれた。










「…なんだか、面白いおばさまでしたね」
「気に入られちゃったんじゃない?祐巳ちゃん」
「聖さまこそ」

思ったより、濃い時間を過ごせた気がする。
本当なら、ただちょっと軽い食事をする予定だったのに。
けれど、思いがけずに楽しい時間だった。

「ほんとに、またお逢いしたいですね」
「…うん。そうだね」

もしかしたら、日々の慌しさに忘れてしまう時間かもしれない。
でも、ひょっこりと思い出して、暖かい気持になれそうな、そんな感じがした。
いつか、またここに…そう思いながら、今日のこの時間を思い出す。
そう思いながら祐巳ちゃんに微笑んだ。
その時一緒にいて、一緒にその時間を思い出してくれるといいなと、思いながら。


「……さて。どうする祐巳ちゃん?」

丁度あと数分でホテルに帰るバスがある。
これを逃すと、また暫く待つ事になるだろう。
まぁまだ乗っていない乗り物や見ていないものもあるから時間は潰せるけれど。

「…帰りましょうか」
「いいの?まだ乗ってないの、あるでしょ?」

そう云いながら祐巳ちゃんの顔を覗き込む。
すると、祐巳ちゃんはとても穏やかに笑った。

「ホテルで、聖さまとゆっくりしたい気持ちなんです…さっきのペンションの中で、凄くいい時間が流れていた気がしたから…そのままの時間の動きで聖さまと居たいなぁ…なんて」


私は、祐巳ちゃんの提案に微笑んだ。

「私もゆっくり、のんびり、祐巳ちゃんと過ごしたいな」と。



執筆日:20050210

たまにはこんな感じも如何でしょう。
あ、こんなペンション、実在しませんから。多分。


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