いつもの朝に




……最近、朝目が覚めると、こめかみがひんやりしている事が多い。
手を当てると、こめかみ部分が濡れていて…瞳子は泣いていた事に気付く。

夢を見ているのは解っているけれど…どんな夢かは全然覚えていない。
本当に欠片も覚えていない。

一体、どんな夢を見ているのかしら…

瞳子はベッドから下りて、勢いよくカーテンを開く。

今日も一日良い天気になりそうな、マリア様の心のような青い空が広がっていた。






一年椿組は今日も嫌なざわつきがあって居心地があまり良くなかった。
こうなったのは、薔薇の館で開かれるという茶話会の話が公表されてから。
茶話会、と云えば聞こえが良いけれど、実際は妹がいない由乃さまと祐巳さまが、その茶話会をきっかけに妹探しをする集団お見合いみたいなものだと皆思っているようで。

それからだった。
瞳子の周りに愛想笑いを浮かべたクラスメイトがうろつくようになって、それが一段落すると、今度は聞こえよがしにコソコソと話している。


…醜悪ですこと

もちろん、こうなる原因を作ったのは瞳子自身だって事は重々承知している。
瞳子だって、莫迦じゃない。
自分のした事の大きさはきちんと理解しているから。

あの梅雨の頃に、瞳子は祐巳さまのあまりにも不甲斐無い、煮え切らないその態度にどうにも我慢出来なくて…衆人環視の中云ってしまったんだから。

『祐巳さまは、紅薔薇さまにふさわしくなんかありません!』

思い出す度に、苦々しい気持でいっぱいになる。
あの時は本当にどうにもならない気持ちに突き動かされてしまった。

何も聞かないで、何も知ろうとしないで、祥子お姉さまから逃げ出した祐巳さま。
前白薔薇さまの胸に戸惑う事なく、飛び込んでいった祐巳さま。
そして、その翌日に何も無かったかのようにヘラヘラと笑っていた祐巳さま。

……祥子お姉さまはお辛いのに、その祥子お姉さまを支えるのではなく。
ご自分は前白薔薇さまにすがって、慰められて…笑っている祐巳さまが許せなかった。

勿論、それが瞳子の思い違いと、瞳子自身が招いてしまった事だって事は、今はもうきちんと理解しているし、祐巳さまがそれだけの方じゃない事だって知ってる。

瞳子なりに、祐巳さまを見てきたから。



あの時の事が、クラスメイトの心の中に不快感やらなにやらを植え付けている事は解っている。
それに学園祭での山百合会でのお手伝いが瞳子の立ち位置をその様に見せてしまっている事も。
あと…学園祭の時に瞳子が祐巳さまに椿組を案内した事も、もしかしたら不快感を煽ってしまうのかもしれない。


でも……そんな事は、有り得ないのに。

祐巳さまが瞳子を特別扱いしている訳はない。
祐巳さまの特別な位置にいる訳はない。

きっと、祐巳さまは梅雨の時みたいに、瞳子の為に周りに仲良しなんだって知らせようとしてくれていた時のまま…あの時の延長で瞳子に構ってくるだけ。

演劇部のエイミー役の件の時に云っていたのも、きっとそう。

祐巳さまはお節介だから。
祐巳さまはお人好しだから。

祐巳さまは…優しいから。


じゃなければ、あんな風に祐巳さまを傷付けた瞳子に構ってくるなんて事、有り得ない。


だから、クラスメイト達が囁いている『祐巳さまの妹最有力が瞳子』というのは…有り得ない。

それが解っている瞳子が、茶話会に応募なんかしないし、ましてや招待なんて有り得ない。




『祐巳さまの妹になりたいと思っている?』


茶話会の事が公になる前に、乃梨子さんが掃除の時に瞳子に云った。

あの時は突然何を云いだすのかと思った。
でも、リリアンかわら版を見て「ああ、そういう事」と直ぐに解った。



予鈴がなって、クラスメイト達が自分の席に付き始めた。
瞳子は手にしていた文庫本に栞を挟んで机の中に入れ、代わりに次の授業の教科書とノートと筆記用具を用意する。

ふと見ると、乃梨子さんがこちらを伺っているのが見えた。
普段はクールな乃梨子さんが、そんな心配そうな顔をして…

それに気付かないフリをして、瞳子は背筋を正した。




祐巳さまの妹になんて、瞳子がなれるはずがないじゃない。














前方から、祐巳さまが歩いてくる。
隣には、一年生の子。

あの子は、誰?
祐巳さまの、何?

『あ、ごきげんよう瞳子ちゃん』
「…ごきげんよう、祐巳さま」

瞳子に向かって、祐巳さまは屈託なく笑い掛けてくる。

『紹介するね、この子、私の妹になったんだ』

嬉しそうに、照れ臭そうに云う祐巳さまの隣で、『その子』は静かに微笑む。

まるで、『残念だったわね、瞳子さん』とでも云う様に。
『妹になれなくて、残念だったわね』とでも云う様に。

瞳子はどんな顔をしているだろう。
ううん、きちんと笑顔で接しているに違いない。

だって瞳子は女優だから。

きちんと笑顔で『おめでとう御座います』と云えているに違いない。

でも、心は痛くて。
でも、胸は苦しくて。
でも、瞳子はきちんと笑う。

『行きましょう、お姉さま』
『あ、うん。じゃあね瞳子ちゃん』

手を繋いで歩いていく祐巳さまと『その子』の後ろ姿を見送って、瞳子はやっと二人に背を向けて走り出せる。

心は痛くて。
胸は苦しくて。

溢れる涙で前が見えなくなる。






いつか、そんな日が来る。









……最近、朝目が覚めると、こめかみがひんやりしている事が多い。
手を当てると、こめかみ部分が濡れていて…瞳子は泣いていた事に気付く。

夢を見ているのは解っているけれど…どんな夢かは全然覚えていない。
本当に欠片も覚えていない。

一体、どんな夢を見ているのかしら…

瞳子はベッドから下りて、勢いよくカーテンを開く。

今日も一日良い天気になりそうな、マリア様の心のような青い空が広がっていた。




20050427

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