事情と情事
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「お先にお風呂戴いちゃいました」

髪を拭きつつ、祐巳ちゃんはちょっぴり赤い顔で云う。
そんな祐巳ちゃんに、私は冷凍庫からアイスをひとつ取り出した。

「はい、どうぞ」
「え?え?コレ…」
「祐巳ちゃんのデザート用に買っておいたんだよん。こういうの、好きでしょ?夕食後に、と思ったんだけど…やっぱりお風呂の後のがいいかなって思って」

そう云って、某アイスメーカーの『ドルチェ・デ・レチェ』を祐巳ちゃんの前にコトリと置いた。

「うわ…有難う御座いますっ」

満面の笑み。
たった300円アイスひとつにこんな風に笑ってくれるなら、お安い御用だ。

「んじゃ、祐巳ちゃんがアイス食べてる間に私もシャワー浴びてこよっと」
「いってらっしゃい、聖さま」
「なんか、仕事にでも行くみたいだよ、それじゃ」

私は苦笑しながらバスルームのドアを閉めた。
頬を撫でる柔らかな熱気と、ふんわりと香るシャンプーの香り。
私が使っているものと同じはずなのに、祐巳ちゃんが使うとちょっとだけ香りが甘くなる気がするのは何故だろう。
いつもは祐巳ちゃんが使ってから、小一時間ほど後にシャワーを使うのでこんな風に熱や残り香を感じない。
思わず、ちょっと失敗した…と思った。
『祐巳ちゃん』が、残っているバスルームを続けて使うのは…心臓によろしくない。
でも、もうシャワーを浴びる為に此処に入ってしまった。
私は自分の愚かさを呪いつつ、衣服を取り去りバスルームに入った。




何とか体を洗い終えて、私はタオルで髪を拭きながらバスルームを出た。

「あ、お帰りなさい」
「ただいま…って、だからそれじゃ仕事から帰ったみたいだってば」

TVを見ていた祐巳ちゃんが私を向かえながら云う。
祐巳ちゃんの笑みに、バスルームの中での悶々とした気分が払拭される。
莫迦だ、と思う。
些細な事にも惑っている自分が。
邪気の無い笑顔に気持ちを癒されている自分が。
祐巳ちゃんの一挙手一投足に心乱されたり落ち着いたりしている自分が。

「あ、髪拭かせて下さい」
「え?いいよ」
「…嫌ですか?」

ちょっとしょんぼりする祐巳ちゃんに苦笑する。

「そんな訳ないでしょ。じゃあお願いしますか」
「はいっ」

嬉しそうに祐巳ちゃんは私の髪を新しいタオルでふんわりと包んだ。

…なんだか、今日の祐巳ちゃんは積極的に私に近付いてくる。
今日のお泊りだって、誘ってきたのは祐巳ちゃんだった。
火曜日の夜、もう少しで10時、という時間に携帯が鳴った。

『聖さま…今度の土曜日…御用あります?』
『ん?無いけど…?』
『あの、ウチの両親が祖母の家に行くんです…聖さま、お泊りに来ませんか…?』

おずおず、と云う祐巳ちゃんに、それならこっちに来ない?と私は云った。
祐麒だって居るだろうし、勝手知ったる、と云うなら一人暮らしの私の部屋の方だろうと思ったから。

小母様にも了承を貰い、ご両親がお祖母様の住む街に発つ日の午後、うちに来る事になった。
祐麒も友達の家に行く、と云っているらしかった。
…赤いギンナン車に拉致られる事なく、友達の家に行ければいいけど…なんて思わず思ってしまったが。

何故だか、祐巳ちゃんは部屋に来てからの、いつもと少し違うその態度に私も思わず引き摺られてしまっている。
確かに、初詣の…あの時以来、初めて一緒に夜を過ごす。
そのせいかもしれないと、思うけれど。

あの、初詣の夜。
私は祐巳ちゃんをこの部屋に連れてきた。
疲れてしまった私に、欠乏していた『祐巳ちゃん』を補ってもらう為に。
残りの日々を、過ごす力を貰う為に。
祐巳ちゃんの、温もりを貰って…私は家に戻った。

あの日以来だ。
勿論祐巳ちゃんの家に遊びに行ったり、成り行きでお泊りした事もあったけど…
でも、実質ふたりきり…は本当に久し振りだ。
だから、素直に祐巳ちゃんからの誘いの電話は嬉しかった。
正直に『この後』に期待してしまう。
体が、待ち望んでいる。

「…ねぇ…聖さま」

髪を拭いてくれながら、祐巳ちゃんがポツンと呟く。

「何?」
「男の子って…やっぱりそういう事に興味があるんでしょうか…」
「へ?」

なんだ?
何がどうした?

「小林君が…祐麒に『そういう本』を貸してるの、知っちゃって…私」

そういう本?
ああ…そういう本ね。

「何で解ったの?」
「祐麒の部屋にお茶を運んだ時に…小林君が持ってきた書店の紙袋に…慌てて隠したけど、見えちゃって」
「まぁ、祐麒も健康な青少年だし」

ええ、まぁ…と祐巳ちゃんは言葉を濁す。
姉として、複雑なんだろう。
小さな頃から知ってる弟の、知られざる一面ってやつだろうか。
仲良し姉弟だしね。

「…ショック?」
「ちょっとだけ…」

私は腕を上げて、祐巳ちゃんの頭をよしよしと撫でる。
多分、祐巳ちゃんが知らない祐麒の一面は沢山あるだろう。
でも、それは仕方が無い事だから。
祐麒にも知らない祐巳ちゃんがいるのと同じだから。

「で。それどんな本だった?」

大概私も意地が悪い。
思わず呟いた言葉に祐巳ちゃんが「聖さまの莫迦!」と云う。

「うわっ、やめてー」

ぎゅーっとタオルで頭を包んで抱きしめてくる。

「…女の子同士が…」
「へ?」

ぽつり、と呟かれた声に、私は祐巳ちゃんの腕から逃れて振り返る。

「女の子同士が、絡んでる写真…で…なんか…ドキドキしちゃって…」
「……」

真っ赤な顔で、祐巳ちゃんがタオルを握り締めていた。

「…想像しちゃった?」
「…っ!」

バッ!と祐巳ちゃんが顔を上げる。
真っ赤な、顔。

そういう事だ。
その写真を見て、『自分』を想像したのだろう。

「し、知りませんっ」

祐巳ちゃんはタオルを手に、その場を離れていく。
怒れる後ろ姿。
自分から云ったくせに…と思わず苦笑してしまう。

あまり苛めるのは、止めにしよう。
折角、祐巳ちゃんが誘ってくれた夜なんだし。


私は祐巳ちゃんが消えた洗面所に向かって、手でピストルを真似た。










…すごくすいません、もう少し続きます




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