覚悟はとうに出来ていた
(聖祐巳+瞳子)




何故こんなにイライラするのか解らない。
何故こんなに目の前にいるこの人間が憎々しく感じるのか解らない。

ただ。
どうしようもない感情に私は動かされていた。







「祥子お姉さまが、おかわいそうです!」
「…はぁ?」

訴えた言葉が、軽く流された。

「『はぁ?』ですって…!?」
「…まぁまぁ、そんな仔猫みたいに威嚇しないで。ここじゃ目立つから、場所移動しようか?」

仔猫…!?
威嚇!?

わざわざこちらを煽っている様にしか思えない言い方にカッと頭に血が昇る感覚。

「…逃げるんですか!」

思わず口から出た言葉に、聖さまは瞳子を一瞥した。
その瞳は、何も映していない様な、冷たいもので、一瞬背筋に冷たいものが走った。

「…下級生が、こんな往来で上級生にケンカ売ってる様に見られて困るのは、貴方だと思うけど?…それこそ『祥子お姉さま』に迷惑が掛かるんじゃない?」
「…っ」

もっともな事を云われて、瞳子はグッと言葉を飲み込んだ。

確かに、大学部の敷地に近い所とはいえ、高等部の生徒がいない訳ではない。

「…わかり、ました」
「よろしい。では移動しますか」

そういうと、瞳子の背をポンと叩いて歩き出した。








「やっぱり、ここくらいしか思い当たらないな…」

聖さまの後について来た場所は、古びた温室。
硝子は割れてしまっていたりするのに、中に咲いている薔薇とかは、誰かが世話をしている様だった。

くるり、と聖さまが瞳子に向き直った。


「…さて、ではお話、聞きましょうか?松平瞳子ちゃん?」
「…っ」


威圧される。
圧倒される。

祐巳さまといる時の、あの穏やかな笑顔とは全く違う、冷めた笑顔。
こんな顔も出来る人なのかと、瞳子は息を飲んだ。

「おや、何も云う事は無い?さっきの勢いは何処に行ったのかな?」

それならここには用は無いな、と温室を出て行こうとする。

「…祥子お姉さまの気持ちは考えなかったんですか…!」

出て行かせまい、と声を張り上げた。
これでも演劇部、声量には自信がある。
聖さまはピタリと歩みを止めた。

「先日、祐巳さまと歩いているのを見ました…」

聖さまは外へ向けかけた足を、つい、とまた瞳子の方に向ける。

「後輩と、歩いてはいけない?」
「後輩…ですって?」
「そう。祐巳ちゃんは私の可愛い後輩。違う?」

腕を組んで、上から見下ろすかの様に瞳子を見る。

「誤魔化さないで下さい…」
「誤魔化す?何を?」
「私には解りました…貴方の祐巳さまを見る目で…祐巳さまの貴方を見る目で!」
「へぇ?何が解ったの?」

何故この人は全てを瞳子の口から云わそうとしているのか。

「…っ」

言葉が、出てこない。
云えない。
…云いたくない。
何故かは解らないけど、瞳子の口からその言葉を発したくない。

「…云えないんだ?」

何故か解らない。
云いたくない。
あまりの嫌さに、目頭が熱くなってきた。
思わず地面を睨んでしまっていた瞳子に、聖さまはフッと笑いをもらした。

「じゃあちょっと話題を変えて…祥子の何が『かわいそう』?」
「…祥子お姉さまのお気持は、考えなかったんですか?」

やっとの事で言葉を唇に乗せた。

「祐巳さまは、祥子お姉さまの妹なのに…ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンなのに…何故…」
「祐巳ちゃんが祥子の妹だから、何?それが何故祥子が『かわいそう』?」
「…貴方は…!ご自分の妹が、卒業された方とはいえロサ・ギガンティアの手をとったという事に心を痛められていると考えないのですか!」

瞳子の声が温室中に響く。
それに、聖さまはまるで鼻で笑う様な態度を取る。

「…『ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン』にロザリオなんて渡してないけど?」

もう、駄目…!

「…祥子お姉さまから、祐巳さまを奪ったくせに…!」

とうとう云ってしまった…
瞳子の言葉に、聖さまが目を細めた。

「…人聞き悪い事云うね…」
「だって、そうじゃないですか…!」
「奪ってなんか、いないよ?」

そして聖さまはしっかりと私に向き直った。

「私が…祐巳ちゃんを祥子から無理矢理に奪い取った…そう云うのなら…瞳子ちゃん?貴方は祐巳ちゃんを侮辱する事になる」
「…え?」
「…貴方が云ってる事は、祐巳ちゃんが自分の意思を持たない、人形だと云ってるのと同じじゃない?…もし、そう思っているなら…本気で怒るよ?」
「…っ」

瞳子は、息を飲んだ。
聖さまの瞳に、怒りが見えたから。

「それと、もうひとつ…祥子を引き合いに出すのは、そろそろやめなさい。今まで云っていたのは、瞳子ちゃん、貴方自身の言葉でしょ?それとも、祥子が瞳子ちゃんに何か云って、それを伝書鳩の様に私に伝えている訳?」
「な…っ」
「もしそうなら、祥子も大したもんじゃないね。自分では何も云えずに、遠縁の子に云わせるんだから」

その言葉に、カッと頭に血が昇る。
大したものじゃない、なんて、何故祥子お姉さまが云われなくてはいけないのか!

「祥子お姉さまを侮辱しないで下さい!」
「侮辱してるのは、瞳子ちゃんだよ」
「私の何処が…!」
「全て祥子が祥子が…って。これはさっき云ったけどね…自分の言葉を語る為に、祥子を引き合いに出しているのは侮辱じゃないのかな?」

まぁ、私に向ってきた事は、褒められるべきかもだけどね…

そう呟いて、聖さまはクツクツと笑う。

「どうして…どうして祐巳さまは貴方なんか…!容赦なく人を傷つけられる人なんかに…!」

…その時。
聖さまの表情が、変わった。

酷く、悲しげな。
酷く、脆そうな。

この人のこんな顔は初めて見た。

「…そうだね…」

悲しげに微笑んで、そう云った。

「私も…そう思うよ…」
「違う…!」



突然、空気が動いた。



「聖さま…!聖さまは違います…!」
「…祐巳、ちゃん…?」

飛び込んできた祐巳さまは聖さまを支える様に腕を取った。

「…祐巳さま…!」
「もうやめなよ、瞳子」
「乃梨子さん…!」

息を切らせた乃梨子さんに肩を掴まれた。

「乃梨子さん…どうして…」
「見えたから…瞳子が聖さまと連れ立って温室の方に歩いていくのが見えたから」
「何故祐巳さまも…」
「解らない。途中で逢ったんだよ。もしかしたら、祐巳さまも何処かから見てたのかも…」

必死の表情で、祐巳さまが聖さまを見ている。
虚ろ気な目をしている聖さまは、自分の腕を取っている祐巳さまをぼんやりと見ていた。

「瞳子ちゃん…ごめんね…もうやめて…聖さまが毀れてしまう…!」

目に涙が溜まっていて、今にも零れ落ちそうな祐巳さまを、瞳子は何も云えずに見詰めるしか出来ない。

毀れる…?
何故、この人が…?

何処か飄々としていて。
何でも知ってますって顔をして。

祐巳さまを連れて行ってしまった、この人が…?

「聖さま…聖さまは違います…お願い、ご自分を傷付けないで…」

聖さまの瞳を覗き込む様にしながら、一言一言をゆっくりと囁く祐巳さまに、聖さまは弱く微笑んだ。

「傷なんか、つかないよ…前にも、云ったでしょ?」
「…はい…」
「私は、それだけのものを、手にしたんだから…それだけの覚悟なんて…とっくに出来てる」

俯いて、はらはらと涙を落とす祐巳さまを、聖さまは軽く引き寄せた。

見せ付けられる、想いの深さ。
…強さ。

瞳子は、どうすればいいのかしら…

こんな二人を見せられて。

「瞳子…私も聖さまの云う通りだと思う。瞳子の気持ちは、何処にあるの?ロサ・キネンシスが、じゃなく、瞳子の気持ちは何処にあるの?誰かが、じゃない瞳子の気持ち…」
「乃梨子さん…」

瞳子の、気持ち?






――そもそも、どうして瞳子は聖さまを敵視したんだろう。



…あの雨の日。
濡れるのも構わずに祥子お姉さまの前から駆け出した祐巳さま。
そして、聖さまを見つけて、その胸に躊躇う事なく飛び込んで行った。

立ち去る祥子お姉さまが乗り込んだ車を追ってきて、そのまましゃがみこんでしまった祐巳さまに大きな黒い傘を差し掛けて、立ち上がらせて、癒し、慰めたであろう聖さま。

そして…梅雨の合間の晴れ間、缶ジュースを手に現れた、聖さま。
何もかも、解りきった様な、見透かされている様な、この人に、瞳子は嫌悪を感じた。


それは…何故?


祐巳さまと連れ立って歩く姿を見て、涙が出る程腹立たしかったのは何故?

…悲しかったのは、何故…?


ぽろ…


涙が、零れた。

瞳子は…好きだったんだ。

こんなにも。



…最初は、頼りなく見えた。
何故祥子お姉さまが妹に選んだのか、さっぱり解らなかった。

でも、今なら…解る。


優しくて、強い人。


祥子お姉さまをも支えられる人。

この一見飄々として強そうな人をも支えてる。


瞳子は、祐巳さまが好きだったんだ。




…今頃気付いたって、遅すぎる。

「…っ」
「瞳子…」

ぽんぽん、と乃梨子さんの優しい手が瞳子の頭を撫でた。

「…瞳子ちゃん」

さっきまでとは全然違う、優しい声が瞳子を呼んだ。

顔を上げると、聖さまと祐巳さまがそこにいて。
聖さまは…優しい目で瞳子を見ていた。

「ごめんね、瞳子ちゃん…」

祐巳さまは悲しい目で瞳子を見ている。

その祐巳さまの頭を、乃梨子さんが瞳子にしたように撫でて、聖さまは瞳子に一歩近付いた。
思わず、俯いてしまう。

「…私がさっき、祥子を引き合いに出すなって云った意味に、気付いたみたいだね…」
「…聖さま…」

その言葉に、顔を上げようとした時。

ふわ…っと抱きしめられた。

「…!」

優しい力でふんわりと抱きしめられて、瞳子は驚きで声も出ない。
それは、乃梨子さんと祐巳さまも同じみたいだったけれど。

ぽんぽん、と背中を二回、叩くと、耳元で聖さまが囁いた。


「…ごめんね…祐巳ちゃんは、離さないから」








あの後、慌てた祐巳さまに聖さまが引き離されて、そのまま何故か祐巳さまに抱きしめられた瞳子はパニックになってしまった。

「な、何やってんですか聖さま!」
「祐巳さまこそ何するんですかーっ」

けらけらと笑っている聖さまと呆然としている乃梨子さん。

何故か、笑えてしまった。





…もしかすると、覚悟が出来ていたのかもしれない。

だから、聖さまと祐巳さまの連れ立って歩く姿に腹が立ったのかもしれない。
悲しかったのかもしれない。

いつの間にか生まれ育っていた想いが、心の奥底に閉じ込められていた想いが、「ここから出して」と…瞳子の知らない間に覚悟を決めて出てこようとしていたのかもしれない。

でも。それを瞳子自身が認めてあげられなかったから、祥子お姉さまを引き合いに出したのかもしれない。
…子供過ぎる瞳子の『逃げ場』にしてしまったのかもしれない。


…ごめんなさい…祥子お姉さま。

聞こえないと解っていても、謝らずにいられない。

「ごめんなさい…」

聖さま…祐巳さま。


「何が?」

聖さまは笑顔でそう云う。
祐巳さまは目を丸くしている。


ごめんなさい。有難う御座います。


そして。
乃梨子さんに「有難う」を心の中で呟いた。






後書き

執筆日:20040818

瞳子ちゃんのお話です。

どうでしょう…

なんか凄く瞳子ちゃんが誤解されやしないかが不安…でも力不足だからかこんな風ににか書けない…
でも今凄く瞳子ちゃんが書きたかったんです…ごめんね瞳子ちゃん…



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