簡単で難しく、幸せな事


『手を繋ぐ』という行為は、とても簡単で…とても難しい事なのかもしれない…そう思う。

自然に繋ぐ事が出来ればと思っているのに、何故か緊張したり。

…あの子と、あの子の姉が手を繋いでいるのを見て、切なくなったり。

たかが手。
されど手。

私は、じっと手を見て…苦く笑った。

こんな風になる前なら…高等部を卒業する前なら、気軽に手を握れたというのに。
不思議なもので、想いが通じた今の方が手を繋ぐ事が少ないのではないだろうか。
…抱きしめたり、もちろんほっぺにチュー…なんて事だけじゃなく唇にキスだってしてる。
なのに、その手をとって握り、歩くという事が少ない…いや、無いのではないか。







「ごきげんよう、お姉さま」

ふわりと微笑む、久々に逢った妹を見てつられたように笑みながら「ごきげんよう」と云った。

「あれ?」

あの日本人形みたいな髪の、志摩子の妹がいない。
確か乃梨子って云ったっけ。
やけにしっかりしていて驚いた。

キョロキョロする私に志摩子が小首を傾げる。

「乃梨子ですか?」
「うん、一緒じゃないの?」

ああ、名前は間違えていなかったみたいだ。

妹の妹…孫の名前くらいは正確に覚えていないと。
いくら姉らしくない姉といえども。

「今日はクラスの用だとかで」
「へぇ」

ふむ。
しっかりしてそうだから、そういう仕事を頼まれる事も多そうだ。
電動ドリルちゃんも多分そのタイプだろう。
比較的リリアンの天使たちはおっとりしてる子が多いみたいだから、しっかりした子やハッキリした子が動かざるを得ない。
蓉子みたいに。

「そういうお姉さまこそ」
「ん?」
「…祐巳さんなら」
「ああ、知ってる」

祥子と手を繋いで歩いているのを見た。

「今日は、久しぶりに祥子さまがいらしたので…」
「うん」

べつに約束などはしていなかった。
卒業間近の三年生は自由登校だから…少しでも姉妹の時間を、なんてガラにもなく考えた。
それに大学はもう春休みだしね…なんて。

ホント、ガラでもない。
もし…罪悪感からそんな事を考えたとしたなら…私は私を許せない。
でも敢えてそこからは目を背けた。

知ってか知らずか、志摩子が私の手を取った。
きゅ、と握られる、手。

「何も御用が無いのでしたなら、一緒に帰りませんか?」

珍しい志摩子からの申し出に一瞬目を丸くしてしまった。
そして、ふふ、と微笑んで「そうだね」と一歩踏み出した。

「久し振りだね、こんな風に手を繋ぐのは」
「ええ」
「あの子とは?」
「乃梨子、ですか?」

繋ぎますよ、よく。

志摩子はそう云いながら柔らかく微笑む。
…以前から、こんな風に柔らかく微笑む子だったけれど。
でも、高等部にいた頃よく見た、消えてしまいそうな…寂しい、儚げな笑みでは無くなった。

いい傾向だな、なんて、思わず考えてからフッと苦く笑った。

最近の私はガラにもない事ばかりだ。

「…お姉さま?」
「ん?」

時折吹き付ける冷たい風をその頬に潔く受けながら、志摩子はまっすぐ前を見て云った。


「何か…遠慮されているんですか?」

遠慮?

「…何故?」

志摩子の肩に掛かった髪を見ながら、聞く。

「なんとなく、でしょうか。最近の祐巳さんを見ていて、ちょっとそう思ったものですから」

「…祐巳ちゃん?」

なんとなく、ですから。

志摩子はそう云うと困ったように微笑んだ。

「それに、先程のお姉さま…祐巳さんに対してどこか距離を置かれている気がしたものですから」

遠慮。
距離。

志摩子がそう云うのなら、間違いないのだろう。
この子は、いい意味でも、悪い意味でも、鏡のように私を映し見ている。

…志摩子は妹を得て良い様に変わって来ているというのに…私は未だに立ち止まっているという事か。


「祐巳さんは、待っているみたいですよ」
「へ?」

思わず、間の抜けた声が出た。
それに志摩子が「いやだわ、お姉さまったら」と笑う。

「祐巳さんの事、云えませんよ。よく祐巳さんに『あっ』とか『は?』とか『へ?』とか多いって云われていたのに」



待ってる…?

志摩子の鈴を転がすような笑い声を聞きながら、その言葉をゆっくりと咀嚼するように考える。

私を…待ってる?
何を…?



表門を抜けると、あっ、と志摩子が声を上げた。
その声につられるように前を見るとバスがちょうど停まっている。


「お姉さま、バスが。走りましょう!」

繋いだ手を引きながら志摩子が走り出す。


ほんの数メートル。
小走りして停まってるバスのタラップに足を掛けて乗り込むと同時くらいに扉が閉まった。
すぐ側に空いていた座席に腰を下ろして、私は志摩子を見る。
ちょっぴり呼吸が速くなっている志摩子も私を見て、微笑んだ。

座る寸前に車内をザッと見回したら、それ程でもない混み具合。
リリアンの制服は少なめ。
だからだろうか。
さっきの話を続けてみようかと思ったのは。

「…志摩子には、私が遠慮してるように見えるんだ?」

珍しく、ひとつの話を続ける私に驚きもせず「そうですね」と云う。

「祐巳さんを見ていて、思ったんですけど。何かを聞きたいような、知りたいような…でも聞けないという感じがします。それがお姉さまに関係した事なのかもしれないと思ったのは、先程ですけど」
「……それで?どうして私が何かを遠慮してるって…」
「だって、しているのでしょう?」

私の目を見て、志摩子が微笑む。

「何かを我慢して、遠慮されているのでしょう?」




それきり、志摩子は窓の外に目を向けてしまった。

私が今云われた事を考えるという事を知っているからだろう。

果して、その通りで。
私はバスが駅に到着するまで自問自答していた。




バスを降りて、志摩子はまたキュッ、と私の手を握った。
…珍しい事だ。

「お姉さまは、少しはご自分に素直になられた方がいいと思いますよ?」

祐巳ちゃんが聞いたら驚くような事を云ってのける。
それに苦笑しながら私は「そうかな」と云った。

「ええ。もう少し、我侭を云われてもいいのではないですか?多分、祐巳さんもそう思われていると思いますよ」
「そ、そうかなぁ…」

それはどうだろう…

その時、目の端に祥子の姿を見たような気がした。
すぐに人波にまぎれて、確認出来なかったけれど。



「そう思わない?」

急に志摩子の言葉から敬語が抜けて、私は「え?」と呟く。

「思うよ」

私の背後から、聞きなれた声が聞こえてきて…私はハッとしたように振り返った。




「聖さまは、私に云わなくちゃいけない事や、私が云って欲しい事は綺麗に隠してしまうんだから」




「……祐巳ちゃん」







  †






部屋までの道を並んで歩きながら、祐巳ちゃんを伺う。
どこか、怒っている表情。

「聖さまって、肝心な事は云ってくれませんよね。ずっと前から」
「そんな事は…」

無いなんて云わせません!とえらい迫力で云われてしまう。

「はぐらかすし、誤魔化すし、茶化すし…私を置き去りにしてしまうんですから。そりゃ…難しい事云われても理解出来ない私もいけないんでしょうけど…」

あ、落ち込んだ。
俯き加減になる祐巳ちゃんに、どうしたものかと考える。

「…でも…云いたくない事を無理に云え、なんて事は云いませんから…少しは話して戴けませんか…?」

きゅ、と手を握られる。


…うわ…っ


さっきまで、志摩子と手を繋いでいても、こんな事はなかったのに。

祐巳ちゃんの手が私の手を柔らかく握った途端、心臓が大きく音を立てて、走り出す。



「聖さま?」

思わず、口元に手を当て俯いてしまった私に祐巳ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「…あのね」
「はい」
「私ね…手を繋ぎたかったんだ」

顔が、熱くなるのが解る。

「は?」

ちら、と上目遣いで祐巳ちゃんを見ると、驚いたような顔をしている。
そして、ボンッと音が聞こえるくらいに真っ赤になった。


「てっ、手、手を…ですか?」
「うん」


ほんと、ただそれだけ。
口にしてみると、なんて簡単で『こんな事』と思うような事。
姉妹なら簡単な事でも。
だから…

「こ、こんなのでよろしければいつでもどこでもバンバンどうぞ!」

真っ赤になって訳の解らない事を云っている祐巳ちゃんに、それなら、と笑う。


「とりあえずは、部屋までの道を手繋ぎのままで歩いてくれる?」
「お、お安い御用です!」

まだギクシャクしてる祐巳ちゃんに、なんとなく自分のいつものペースが戻ってきた。

「こんな事って、思うよね」
「いいえっ」
「でも、私は手を繋ぎたかったんだ、祐巳ちゃんと」
「はいっ」
「キスだってしてる仲なのにね」
「は…いえぇぇ!?」

ダメだ、楽しい。


…本当に、繋いでしまえば『こんな事』なのに。

勝手に遠慮して、勝手に動揺して、寂しくなって、切なくなって。

でも、それもこれも相手が祐巳ちゃんだからって事なんだけどね。



「知ってる?手を繋ぐ事って、どこかの国ではキスにも値する事なんだって」





20050714

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