『感傷的な窮地にあるこのばかばかしいふたり』




「今年はひとりで作ったんですよ」

そう云いながら、「えっへん」とでも云いたげな顔をする。
昨年も一昨年も令からのヘルプがあったらしい。
でも今年は令に頼る事なく、自分で最初から最後までなんとか作ったのだそうだ。

「…失敗作、沢山作っちゃって祐麒に呆れられましたけど、ね」

云わなきゃ解らないのに、祐巳ちゃんはそう裏事情を暴露する。
…祐巳ちゃんのそんなところが、私はとても好きだな、と思った。




フィナンシェは作った当日より翌日の方が美味しいらしい。

祐巳ちゃんもそれを踏まえていたようだ。
有難く口にしたショコラ・フィナンシェはサックリとしていて、甘さ控えめで、とても美味しかった。
私としては、折角のヴァレンタイン。
一緒に夜を過ごしたい処だったけれど…
ちょっと自粛。
本当は、何処かに出掛ける事を提案しようかとも思っていた。
でも…、と私はそれを思い留まった。
祐巳ちゃんの優先入学…リリアン女子大進学の為の試験も済んで、自由登校期間になっているけれど、でも出来る限り出席している祐巳ちゃんに無理をさせたくはなかったから。
大学生になれば、今よりは自由な時間も増えるだろうから…我慢だ。

だから、私はヴァレンタインのプレゼントを持って家に来てくれた祐巳ちゃんを向かえ、そしてお手製ショコラ・フィナンシェに舌包みを打ちながら、ささやかな時間を楽しんで…そしてあまり遅くならない時間に車で送り届ける事に決めたのだ。

それ位の自制心が無くてどうする。
出来れば、長い時間をこれから過ごして行きたい…そう思っている。
少なくても、私は。
だからこそ、自制出来る処は自制しなくてはならない。
求めるばかりではなく、思いやって家に帰す事だって必要だ…そう思っている。
年上だから、とか、そういう理由ではなく。
むしろ、対等な関係でいたい…そう思うから。

「…あ、聖さま、紅茶のお代わり淹れますか?」

祐巳ちゃんがティーポットを手に聞いてきた。
彼女の後ろにある時計が、そろそろ23時になろうとしていた。

「いや、いいよ。もう23時になる。そろそろ帰ろうか、送ってあげるから」
「……え」

私の言葉に、祐巳ちゃんが眉を寄せる。

「…これから、何か御用があるんですか?どなたかいらっしゃるとか…」
「いや?誰も来ない、けど」
「じゃあ何故帰れなんて云うんです?」
「何故…って…」

…なんだか、酷くショックを受けているような表情で私を見ている。

「…私、試験が終わってから聖さまに逢いたいのを、ずっと我慢してました…学校、自由登校になっちゃったし…聖さま、ゼミの合宿とかあって忙しそうだったし…あんまり頻繁に逢えなくなっていたけど、でも今日になれば逢えるから…って。そう思って、ずっと我慢してました」

俯き加減で、祐巳ちゃんが云う。
微かに、睫毛が震えている。

「…このお菓子も、聖さまの事考えながら…これがうまく焼けるようになって、早く逢いたいって…そう思いながら練習して……もしかして、逢えない時間の中で、大切な事、出来ました?…大切な人…出来ました…?」

懸命に、涙を落とすまいとしている祐巳ちゃんに、私は一体何が起こったのかと思った。

…何云ってる?この子は。
理解出来ない。

「祐巳ちゃん…何云ってるの…?」
「…ごめんなさい、なんだか押し付けがましい事云ってますね」

そう云って祐巳ちゃんが顔を上げた。
涙は、流れていない。
でも、今にも泣き出しそうな笑顔が、そこにある。

「じゃ、私帰りますね。M駅まで直ぐですから、送って戴かなくていいですから」

そういうと、淡い色の薄手のコートを手に立ち上がり、祐巳ちゃんは玄関へと向かおうとした。

「ちょーっと待った」

少し小さな手を握り、引き止めた。
その手は微かに震えている。

「何莫迦な事、云ってるのかな?思わず思考停止しちゃったよ?」
「…聖さま」
「なんで、そろそろ送ってあげるからって言葉だけで、そんな事考えちゃうのかなー祐巳ちゃんは」

正直、腹立たしい気持で一杯になっていた。
そんなに私が信用出来ないのか、と。
そんなに私は不実に見えるのかと。
誰にでも簡単に心を揺らすように見えるのかと。

でも…それを表面には出さない。

だって、祐巳ちゃんは私を好きだから、私の言葉を深読みしてしまったんだから。
自惚れなんかじゃなく、そう思った。
じゃなきゃ、こんな風に不安な表情をするはずない。
こんな風に、体を震わせているはずがない。

ゆっくりと抱きしめた体が、その手と同じに微かに震えている。
当たり前だけど。

「…私ね、ちょっと我慢しようと思ったんだ」
「我慢…?」
「うん」

体を離して、その顔を見ながら、微笑んで見せる。

「いつでも、祐巳ちゃんを求めてばかりじゃいけないな…って思って。これからも一緒にいたいから、だからこそ、自制しなくちゃいけないなって…思ってさ」

こつん、とおでことおでこをくっつけて、目を閉じる。
祐巳ちゃんの体の震えが、止まっている。

「祐巳ちゃんが大学生になれば…今よりは少しだけ自由な時間が取れるようになるだろうから…それまでの我慢、って思っ…」

そこで、言葉が止まった。
否、止められた。

ゆっくりと、触れ合った唇が離れていく。

「…なんか、私ばかり先走ってしまったみたいですね…」
「…え?」

祐巳ちゃんが苦笑している。
一体、何が先走りなんだろう。

「今日、ここに来る時、お母さんに云ってきたんです。最近聖さまと逢えなくて、ずっと大学の事が聞きたかったけれど聞けなかったから、色々聞いてみたいって。もしかすると遅くなったらきっと聖さまは送って下さるって云うかもしれない…だからもしご迷惑じゃなければお泊りさせて戴くかも…って」

祐巳ちゃんの言葉に、私の思考が、また停止した。
…えーと?

「なんか…舞い上がっていたみたいです…今日は帰ります…」

手にしていたコートを着る祐巳ちゃんをぼんやりと見詰める。
なんとか、思考停止を解除。
エンジン再始動。

「…今日は、送らない」
「ええ、構いませ…」

今度は私が最後まで云わせずに、唇を塞いだ。
さっきの祐巳ちゃんみたいな、触れさせるだけのじゃなく、濃厚に深く口付ける。

…ずっと逢えなくて、我慢していたのは、私だって同じだ。
でも、我慢しなきゃって、思っていたから。
一度でも、触れてしまったら、我慢が出来なくなるのが目に見えていたから、今日だって祐巳ちゃんには必要以上触れなかった。

その戒めを解いたのは、他ならぬ祐巳ちゃんからのキスだ。

背中が軋むくらいに強く抱きしめて、その唇を貪るように重ねる。
ずっと、欲しかったんだから。

祐巳ちゃんの舌を思う存分に味わって、ゆっくりと解放する。


「…今日は…帰さない…だから…送れない」
「…は…い……泊めて、下さい…」


祐巳ちゃんを送り届けるのは、15日になってしまうだろう。



執筆日:20050215


甘々目指しました。
でも、やっぱり甘くなってないですか?
すいません、私甘いモノが苦手なんです…甘さ控えめで、隠し味に洋酒を効かせたのが好きです(笑)


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