厳しさの中の優しさ
(聖祐巳+祥子)
ああ、どうしたらいいんだろう。
最近、またそんな事ばかりが脳裏を過ぎる。
喜びは、誰かの悲しみの裏に存在する。
幸せは、誰かの絶望を飲み込んでいる。
それを知ってしまったら、逢う事も、出来なくなってしまった。
大好きなあの人は、変わらず側にいて、優しく微笑んでくれるけど。
…好きなあの人には、逢えない。
「…祐巳?」
「あ、は、はい。なんですか?お姉さま」
「いいえ、なんでも…ああ…悪いんだけど、紅茶を入れ直してもらえるかしら」
「はい、解りました」
薔薇の館に祥子さまと二人きり。
白薔薇姉妹は志摩子さんのお家のご用で早々に帰ってしまった。
黄薔薇姉妹は何やら試合が近いとかで、最近部活に精を出している。
だから、薔薇の館に二人きり、出来る仕事をこなしていた。
あの日から、祐巳は聖さまには、逢っていなかった。
ううん、正確には、あの日の翌日から。
もう、二週間になる。
家に祐巳を連れ帰ってくれた聖さまは、翌日も学校を休んでしまった祐巳の部屋に来てくれた。
「…大丈夫?」
「はい…来て下さって、有難う御座います…でも、どうして私が休んでいるって…」
まだ午前中。
聖さまは講義が昼まで無いから、と来てくれた。
「ん?昨日の様子見てたら、こりゃちょっと大丈夫なのかなって思って、電話入れたら、案の定…みたいな」
「…お母さん…聖さまを心配させるような事、云ったんですね…」
「心配するのは当然でしょ。…昨日、あんな事があったんだし、祐巳ちゃんは元々体調崩れていたんだから」
あんな事。
思わず、ベッドの中で俯いてしまう。
薔薇の館で、聖さまと祥子さまが話している処へ…蓉子さまと乱入した。
そして、祐巳は知ってしまった。
…喜びの裏に、悲しみが存在している事。
願いが叶う時、そこには誰かの涙が隠れている事。
「祐巳ちゃん…哀しいんだね…」
「…聖さまも、ですよね」
そう云うと、聖さまは苦笑混じりの目で祐巳を見る。
「…解っては、いた事なんだけどね…でも、想像以上に、キツイ」
聖さまは、祐巳の机の椅子に腰を下ろした。
そして、くるり、と椅子を祐巳の方に回す。
「でもね。この感情は、傲慢なものだって事も、解ってるんだ。私たちは必ず誰かを押し退けて、踏み付けにして生きてるから。何かを犠牲にして、生きているから。ツライけど、これは事実」
真っ直ぐに祐巳を見て、聖さまはナイフの様に言葉を投げて、容赦なく祐巳を切り付けた。
「だから…その代償は払わないといけない」
胸が苦しくなった。
どうして、こんなに聖さまは厳しくて、優しいんだろう…
人は自分だけでは幸せにはなれない。
必ず、自分以外の何かが存在する。
物でも、人でも。
例えば、ずっと欲しいと思っていたものが、手に入ったとする。
それはたったひとつしかなくて。
そのひとつを手に入れられて、とても嬉しくて幸せな気持ちになった。
でも、もしかすると、ソレを他の誰かも欲しがっていたとしたら?
その人は本当に哀しくて、ガッカリしているに違いない。
例えば、ずっと…好きだった人が、好きだと云ってくれたとする。
あの人の、たったひとつの気持ち。
その気持ちが自分に向いていたと知ったら、とても嬉しくて幸せな気持ちになった。
でも…他の人もあの人を好きだったら…
その人は、本当に哀しくて、泣いているかもしれない。
「……っ」
これは、傲慢な感情。
手に入れられたものの、優越感から生まれたかもしれない感情。
哀しい…
どうしようもない程…
祐巳は、聖さまが、好きだから…
「…祐巳ちゃん…」
いつの間にか、聖さまが祐巳の側にいて。
ベッドの端に座ると、祐巳を抱きしめてくれた。
この感情は、きっと誰にも解らない。
由乃さんにも、きっと、令さまにも。
今、祐巳を抱きしめて、何かに耐えている、聖さま以外には。
あの日から、祐巳は聖さまに逢っていない。
こんなの、ただの自己満足だし、傲慢なだけだって解ってる。
でも…そうせずにいられなくて。
…もしかすると、聖さまは祐巳のそんな自己満足な感情を解って、無理に逢おうとしないのかもしれない。
「…祐巳」
「…っ!は、はい!」
「…いいえ、そろそろ帰りましょうか」
こんな風に、何か云いたげに祐巳を呼ぶ祥子さまに気付いている。
何かを云おうとして、やめてしまう。
それに気付かないフリをして、祐巳は過ごしている。
…何故か解らないけれど、そうした方が良い様な感じがして。
薔薇の館から出て、銀杏並木を通り抜ける合間も、祥子さまは何も云わない。
祐巳からも、何も云わない。
そのまま並んで歩いているだけ。
バスは殆ど待つ事なく乗れてしまったし。
けれど。
いつもの様に最後尾に腰を下ろして、窓の外を見ている祥子さまが窓に顔を向けたまま、「祐巳」と名を呼んだ。
「はい?なんですか?」
祐巳からは、祥子さまの顔は全く見えない。
窓に写った表情さえも。
「…貴方、聖さまに心配を掛けているでしょう?」
「…え?」
何故今、この場所で聖さまの名が祥子さまの口から出るのか。
「何故、です?」
用心深くしながら、何故を問う。
すると、少し肩が震えた。
笑ったらしい。
「いいえ。さっき、薔薇の館に向っていた時、聖さまを見かけたの。何故あんな処にいたのかは解らないけど。…寂しそうなお顔をされていたの。あんな顔…一昨年以来だったわ」
一昨年。
それは栞さんと一緒の頃。
「聖さまの視線の先には、祐巳、貴方がいたわ。移動教室だったのかしら?由乃ちゃんや蔦子さんと笑いながら歩いていた」
多分、化学の授業の時だと思う。
あの時、聖さまがあそこに…
そう思うと胸がざわざわとざわめいた。
「…あのね、祐巳。私はこの間、聖さまには負けないって云ったでしょう?だから、周りに気を使わなくて良いの」
「…え?お姉さま…?」
「今の貴方、周りに線を引いてしまっているの…みんなと一定の線を張って、これ以上は近寄らないって自ら決めているでしょう?」
ぐるりと祐巳を囲う、一定の線。
誰も入ってこれない。
…聖さまも。
「…はい」
祥子さまはそういう祐巳を近くで見ていた。
聖さまも入ってこれない、線のすぐ側で。
「…莫迦ね…自分で自分に無理させて、どうするの。それにね?私は祐巳がそんな事しなくても、近々勝利予定よ?聖さまには負けないんだから」
自信たっぷりの祥子さま。
その瞳が、楽しそうに笑う。
「…お姉さま」
どうして、祐巳の周りにいてくれる人たちは優しいんだろう。
祥子さまは、人にの自分にも厳しい人。
でも優しい人。
祐巳は、祥子さまの妹で幸せです。
「貴方が好きよ、祐巳。そんな風に空回りしてしまう処も、みんな」
優しい、けれど痛みの残る瞳で祐巳を真っ直ぐに見据えた。
「…私も、お姉さまの事が……大好きです…」
夕飯を終えてから、部屋に戻り、祐巳は大きく深呼吸をして受話器を手に持った。
緊張するけれど、どうしても、今云いたい事があるから。
3回コール音がしてから、通話状態になった。
「もしもし…」
『…どうした?祐巳ちゃん』
「……聖さま…逢いたい、です…」
『…え?』
「ダメ、ですか?」
『…ダメな訳、ないでしょう?莫迦だね』
「はい…私って、莫迦ですよね」
今から行くから、という聖さまの声に安堵する。
拒絶はさすがにされないとは思っていたけれど、それでもやっぱり不安だったから。
「…で、祐巳ちゃんは距離を置いていたって訳だ。まぁ薄々感じてたから…私の言葉を気にしているだろうなって思っていたし」
聖さまの車に乗って、ちょっぴり夜のドライブ。
勿論、お母さんの了承済み。
聖さまが来る前に御願いしておいた。
相談事があるからって。
「で、少しは祐巳ちゃんの気持ちの中の霧は晴れたって事かな?」
「…祥子さまに云われました…回りに気を使わなくて良いって…無理してどうするのって…莫迦ねって」
「そっか…祥子が…」
聖さまが苦笑する。
ホントは、聖さまの前で祥子さまの名前を出すのもどうなんだろうって思ったんだけど。
祥子さまの云う通りなら、そんなに気を使い過ぎるのも良くないんだろう、そう思った。
「あーあ、今回は祥子に良い所持ってかれちゃったなぁ…」
「ええ、さすが、私の大好きなお姉さまです」
「…云うじゃない」
聖さまが挑戦的な目をした。
「私は?祐巳ちゃん」
「え?」
思わず、首を傾げた。
「祥子の事は大好き、なら、私は?」
「聖さま…」
「…御願い、云って。…不安になるから」
「え」
さっきの挑戦的な目は何処へやら。
何だか泣きそうな目をしている聖さまがここにいる。
「…好きです、聖さま…」
「…ごめん、有難う…」
俯いてしまった聖さまの表情が、今は髪に隠されて見えない。
「…祥子には、負けないから、私」
「はい…」
ほんの少し、顔を上げた聖さまの、強気な、挑戦的な目が光った。
後書き
執筆日:20040723
なんとなく、こんな感じの聖祐巳+祥子が書いてみたかったので(笑)
多分こんなもんじゃないんだろうと思いますけど…
ああもう…難しい展開にしちゃったなぁ私…
感想とか、宜しくです。