傷つけばいい



心臓が、苦しい。
もう許してほしい。
お願いだから。

このままだと、きっといつか心臓が毀れてしまう。







「聖さま?」

名を呼ばれて、ハッとする。
なんだかボーッとしてしまっていた。
意識が、フッと離れていた感じ。
幸い綺麗なお花畑とか川の向こうに知らない親戚とかは見えていないけど。

「ごめん、ボーッとしてた。何?祐巳ちゃん?」
「…いえ」

何か云いたげ。
でも何故か私から目を逸らしてしまう。
…何?
一体何がどうしたの?

「祐巳ちゃん、どうしたの?」

思わず、声がきつくなる。
だって、名を呼ばれたのは私で、呼んだのは祐巳ちゃん。
なのに何故私が目を逸らされなきゃいけない?

手を、握る。
ちょっと痛いくらいに。

「祐巳ちゃん」
「せ…いさま…っ」

顔を歪める祐巳ちゃんに奇妙な感覚を覚える。
…こんな事を考える、自分は好きではないのに。
心底厭なのに。
でも、止まらない。
目を逸らされた事が、こんなに私を黒くする。

「は…なして…!聖さま…!」
「嫌」
「い…痛…っ」

更に顔を歪める。
非難するような目を向けられて、妙に気が高ぶる。

「…呼んだでしょ」
「聖さまぁ!」

痛みに顔を歪ませて懇願する祐巳ちゃんに、私はふっと握る手の力を抜く。
と、同時に祐巳ちゃんの気が抜けたのを見計らって、グイッと腕を引いた。
急な動きに抵抗無く胸に倒れ込んできたその体を私は難なく拘束する。

「せ…聖さま…?」

不安げな顔をして、それでも祐巳ちゃんは私の胸の頬を預ける。

…ゾクゾクする。

一体、私はどうしてしまったんだろう。
こんな自分は、厭なのに。
祐巳ちゃんには、こんな私を見せたくなんかないのに。
そりゃ勿論、『綺麗』なモノで構成されているわけじゃないんだから、こんな私だってアリだ。
…でも、出来ればこんな私だけは見せたくない。そう思っているのに。

「祐巳ちゃん…私を呼んだのは、祐巳ちゃんなのに、どうして、目を逸らすの?」

わざわざ一言一句を区切るようにして問い掛ける。

「な…なんでも…」
「嘘だね」
「う、嘘なんて…」

何故か信じられないモノでも見るように、祐巳ちゃんは私を見る。
それが、気に障る。

『出来ればこんな私は見せたくない』

そう思っていたはずなのに、それなのに。

「…私がこんな風にするのは、おかしい?」
「…聖さま…」
「私は、祐巳ちゃんが思っている様な『お綺麗なモノ』なんかじゃないよ」

私はそんな…!と祐巳ちゃんが傷付いた目をする。
その表情に背筋がざわつく。

「ホントに、なんでもないんです…聖さまが、何か考えていたみたいだったから…だから…だから…」

何かを必死に訴えている。

何故か、今の私にはそれがうまく伝わってこない。
伝達回路が、毀れてしまっているのだろうか。

「じゃあ祐巳ちゃんは私が何かを考えていたら、そこで何かを諦めてしまうんだ?何も云わずに、自分の中に仕舞ってしまうんだ?」
「ち、違…っ」
「違わないでしょ」

どうして否定してしまうんだろう。
何故祐巳ちゃんの言葉を聞いてあげられないんだろう。

祐巳ちゃんも、こんな私はおかしいと気付いているに違いない。

でも。
今の私は、祐巳ちゃんが目を逸らした事が許せない。
…傷つけてしまいたい。
『私』に傷付けばいい。

私だけが、祐巳ちゃんを傷付けられるなら。
それは、至福だ。

だって、なんとも思っていない人間につけられる傷なんて、直ぐに癒えて消えてしまうから。
私は、祐巳ちゃんに消えない傷をつけたい。



……っ!


そこまで考えて、私はハッとする。

一体、私は何を考えているのか!
もしそんな事をしたなら、私は『私』を許せない。
祐巳ちゃんに傷をつけた私を許せない。

私は守りたいのに。
何を犠牲にしたって、祐巳ちゃんだけを守りたいのに。


頬に触れてくる手に、私は祐巳ちゃんを見る。
傷付いている目で、祐巳ちゃんが私を見ている。

こんな目をさせているのは、私なのだと思うといてもたってもいられなくなってしまう。

「…聖さま…何がそんなに辛いんですか?」
「…え」
「何が、聖さまを辛くさせているんですか?」

頬に触れている手が、微かに震えている。
その手が、私の頬を撫でている。

「…だって聖さま、何度も呼んだのに、全然気付いてくれなくて…私がいる事、忘れちゃってるみたいで……」
「祐巳ちゃん…」
「私は聖さまの傍にいます…!なのにどうして私を見てくれないんですか…っ」



…傷付けた。完全に、深く。
祐巳ちゃんの事しか見ていないはずの私が、祐巳ちゃんを見ていないと思わせてしまった。

…いや、見ているつもり、だったのか?
こんなに傍にいるのに。
私に触れてくれているのに。

「私は、邪魔ですか…?」
「違う…っ」

邪魔な人間を、拘束するか。
邪魔な人間に、問い詰めるか。

邪魔な人間を傷付けてしまったと、後悔するか。

それをぶつけるように、祐巳ちゃんを抱きしめた。
こんな事で祐巳ちゃんに付けた傷が塞がるなんて思っていない。
でも今は、それしか出来ない。
これ以上傷が広がらないようにと祈る事しか。

…更に傷を広げてしまうかもしれないのに。
それでも、私は祐巳ちゃんの傍にいたいのだ。

「傍にいて…ずっと。私が毀れてしまっても…」




執筆日:20041124


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