月の魔力



気をつけて
月は人を惑わせるから
満月は人を惑わせるから

だから、気をつけて





授業を終えてから山百合会の仕事を片付けて、祐巳はいそいそと聖さまのお部屋へと向かった。
バスの中でも顔の筋肉が緩んでしまって、ついつい微笑んでしまう。

だって、今日は聖さまとお月見なんだもの。

でも…ちょっと空が曇り気味。
でも雨は降らないと思う。
だって、祐巳の髪は云う事を聞いてくれたし。

聖さまは今日、大学をお休みしている。
講義が丁度無いので、レポートをやってると昨日云っていた。

『学校が終わって、祐巳ちゃんが来るのを楽しみに待ってるから…レポートしながらね』

そう云って笑っていた。

レポート、もう終わったかな…なんて思いながらバスの揺れに身を任せた。











インターホンを鳴らすと、ほんの少しの間の後、鍵を回す音が聞こえてドアが開いた。
…だから、一応誰が来たか確認した方がいいですよ、もう…かりにも聖さまは女性なんですから。

「おかえり、祐巳ちゃん」

聖さまが笑顔でそう云った。

『おかえり』

そう云われて、なんだかくすぐったくて、思わず顔が赤くなってしまい俯いた。

「祐巳ちゃん?」
「あ…えっと…ただいま」

なんだか、物凄く恥ずかしい。
そっと聖さまの顔を見ると、聖さまの頬もほんのり赤くなっていて、祐巳を見る目がまん丸だった。

「…なんか、照れちゃった」

ふっ、と視線を明後日の方向に向けると、そう聖さまは呟いて祐巳の手を引いてドアを閉めた。

ドアが閉まるのと、ほぼ同時に唇を塞がれた。
ふわ…っ、と香る、甘い香り。

深く口付けられて、その甘い香りが口の中にも広まった。

チョコレートの、味。

それが確認出来たと同時に聖さまが離れて云った。

「…ごめん…ちょっと、我慢出来なくなっちゃった」

入って、と云われて祐巳はまだ靴も脱いでいない事に気付いた。
どうりで、いつもより聖さまの背が高い筈。
祐巳は聖さまより一段低い処にいたから。

靴を脱ぎ揃えて、聖さまの後を追っていく。

「聖さま、チョコレート食べてました?」
「え?ああ、うん。さっきまでレポートやってたから…甘いモノ欲しくなって」

テーブルを見ると銀紙に包まれた板チョコが半分程残されていた。

「食べていいよ…って、祐巳ちゃんにはちょっとアレかも…」

アレ?
アレってなんなのだろう…

首を傾げていると、聖さまがそのチョコレートをひと欠片割り、祐巳の口の中へ。

「…にが…っ!」

何?このチョコレート…!
聖さまはさっき「甘いモノが欲しくなって」と云っていたんじゃなかったっけ?

「やっぱり苦いか…祐巳ちゃんは甘党だからねぇ…」
「聖さま…ここのチョコなんなんですか…?」
「ただのBlackチョコだけど…でもそんなに苦い?」

初めてBlackチョコを食べた祐巳には本当に信じられない位苦かった。
チョコレートって、甘いモノのはずなのに…

って、あれ…?
でもさっき、聖さまからはとても甘く感じたのに…

不思議に思いながら、祐巳は頬を掻いた。


「処で、今日うちに寄る事、おうちの人には…」
「あ、勿論云って来ました。聖さまのお家に寄って帰ると」

聖さまは祐巳の言葉を聞いて「そう」と笑った。

…やっぱり、聖さまはいつも祐巳の事を第一に考えてくれている。
それが嬉しくもあり…時にはもどかしい。

でも、そうする事で祐巳が困らない様にといつも動いてくれるんだ。

「祐巳ちゃん?」

どうかした?という目で祐巳を見ている聖さまに「なんでもないです」と笑った。











「…はい、じゃあ9時過ぎにはそちらへ…いいえ、構いませんよ。こちらこそ…はい…はい…では」

聖さまが祐巳の家に電話をかけているのを、ソファに座って聞いている。

夕飯を聖さまと食べるからと云って朝、家を出てきてはいるのだけど…聖さまが念のためにと電話を掛けた。

…そんなに気にしなくてもいいのに…

祐巳はほんの少し、頬を膨らませてクッションを抱きしめながらソファに横になった。
服は聖さまから借りたので、制服のシワを気にしなくてもいい。

「祐巳ちゃん?どうした?」

ソファに転がっている祐巳の傍に立って聖さまは頭を撫でてくる。
それを目を閉じて受けながら「いいえ」と云った。

なんだろう…
さっきから、祐巳はちょっと変。
いつもなら嬉しい聖さまの気遣いがなんだか煩わしい。
そんな事、しなくてもいいのに…なんて思ってしまう。

祐巳のために動いてくれている聖さまに、こんな事考えるなんて…
頭の何処かでそれを申し訳なく思っている自分がいるのに、でも何故だか解らない気持ちがあった。

不思議そうな顔で祐巳を見る聖さまから、思わず目を逸らしてしまう。

「…あ」

大きな、ベランダから、雲の合間から姿を見せた紅い月が見えた。
ベランダを見ている祐巳に、聖さまも振り返ってそちらを見た。

「ああ、月の出だ…」

少し高い場所にある聖さまの部屋だから、昇り始めた月が見える。

…なんだろう…体がざわつく感じがする。

妙にドキドキする心臓に祐巳は手を当てた。

「…どうしかしたの?」
「いえ…」

なんでも、という声が少し、掠れてしまった。

「祐巳ちゃん?具合でも悪いの?」

傍から見ても祐巳の様子がおかしいのだろうか。
聖さまが祐巳の顔を覗き込んでくる。

でも、それが嫌でたまらない。
どうしちゃったんだろう…

「なんでもないです…」
「そんな訳ないでしょう?」

怒った様な顔をする聖さまを眉をひそめながら見る。

祐巳は、テーブルの上のBlackチョコを手に取ってひと欠片割る。
それを口に入れようとしたけれど、急にある事を思い立った。

「祐巳ちゃ…」

聖さまが口を開いた瞬間に、そのチョコレートの欠片を入れた。

「…え?」

聖さまが祐巳の行動に驚いた顔をした。
…そりゃあ口の中にチョコを放り込まれれば、誰だって驚く。

そして祐巳はその聖さまの首に腕を回した。







やっぱり、祐巳の思った通り。
聖さまの口に入れたチョコの欠片は、さっき祐巳が食べた時よりも段違いに甘かった。


唇が離れると、聖さまは信じられないものでも見るみたいな顔で祐巳を見た。

「…祐巳ちゃん…?」
「さっきはとても苦かったのに…やっぱり、聖さまの口に入れたチョコは甘いんです…何故なんでしょうか…」

聖さまの顔を見ながら、思った事を思った通りに云う。

「…そんなの…解らないよ…」

いつもなら、祐巳の質問には大抵の事は答えてくれる聖さまなのに。
今日の聖さまは、やっぱり何処か違う。

あんな風に玄関で祐巳の唇を塞ぐなんて。
だからなんだろうか…
祐巳も今日はちょっと変。



聖さまの腕に抱きしめられて、チョコレートの味がするキスをしながら紅い月を見た。





「…月には、魔力があるんだって」

知ってる?と、聖さまが呟いた。

「魔力…ですか?」

祐巳に聖さまが頷く。
そして「そんなの、信じてなかったんだけどね…」と笑う。

「月の満ち欠けが、潮の満ち引きに関係しているように、人間にも影響を与える事があるんだって」

それを聞きながら、祐巳は何故かそれが信じられる自分を笑う。


だって、今の祐巳と聖さまも、ちょっとは影響を受けているんじゃないかって、思えるから。

祐巳の顔を見ていた聖さまも笑う。



もちろん、お月様だけのせいじゃないのは、祐巳にも解っている。

そしてきっと、聖さまにも。


ちょっとだけ、お月様の魔力を借りただけだって事なんだから。




後書き

執筆日:20041001


如何でしょ。

思わず『月の魔力』って本を引っ張り出して読みましたよ私(笑)



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