小さな願い、そして祈り
(栞)




神よ、貴方は私を試されたのですか?

私の信じる心を
私の愛する心を

その為に、私と彼女を出会わせたのですか?



――いつの日かやって来る別れを、私は意識せずにはいられなかった。


リリアンの高等部を卒業したら、修道院へと行く事が既に決まっていたから。

私はシスターになる。

小学3年の時、神の御元へ旅立った父母の、少しでも側にいる為に。
祈りを捧げる為に。
愛する天のお父さまに生涯を捧げる為に。

…私は、シスターに、なる。

それは決まっている事。
私はシスターになる為にリリアンに入学した。

その事は、いつか聖の耳にも入るだろう。

その時、彼女を傷つける。
私が、彼女を傷つけてしまう。

私の中では、もう決まってしまっている事だとしても、きっと彼女は反対するだろう。

私を、全身全霊を掛けて愛してくれている聖。
私が離れていく事に、彼女はきっと傷付き、哀しむだろう。
自惚れなんかじゃなく、そうと云い切れる。

でも、私はそれを変えるつもりは無いから。
もう、変えられない事だから。
決めてしまった事だから。
もう、決まってしまった事だから。

例え貴方が怒っても、哀しんでも…傷ついても…変える事は、出来ない。

貴方には、私の道を変える事は出来ない。
私の人生は私だけのものだもの。

本当は誰かの口から耳に入るのではなくて、私が云わなくてはいけない事なのは解っているの。

お願い。

もう少しだけでいい。
このまま…もう少しこのまま、二人で穏やかな時間を過ごしていたい。


けれど、別離への足音は、既に聞こえ始めていた。


それから間もなく、聖にシスターになる事が知られてしまったのだから。

お聖堂にやってきた聖は、とても苛立っていた。

「やめる、って云って」

正面に立って、真っ直ぐに私の目を見て云う聖の目を見ていられなくて、ほんの少し目を反らして、でもハッキリと告げる。

「もう、決めた事よ」
「じゃあ、どうして私の目を見て云えないの?迷っているからじゃないの!?」

…私が聖にシスターになる事を云えなかった、理由。

『既に決まっている事だから、たとえ聖に反対されても、その気持は変わらない』

そう自分に云い聞かせていたけれど、本当は聖の云う通りだったのかもしれない。

私は、聖に「シスターになるのをやめて」と云われたら、迷いが出る事が解っていたのかもしれない。


苦しくて…貴方のものになる事が出来ない事実が、辛い。

でも。
それでも、私は両親が旅立った時に決めた事を…神に誓った事をやめる事は、出来ない。


…神の…マリア様の前で唇を寄せてきた聖の頬を打った私を…そんな私を見ていたマリア様は、私の気持がとても揺れている事を…もう知っているに違いない。


私に背を向けてお聖堂の出口へと向かっていく聖の後ろ姿を、呼び止める事も出来ずに見つめていた。

私には、聖を引き留める事は出来なかった。

聖を傷つける事しか出来ない私に、その資格が無い。
そう思ったから。



それから、聖はいつも待ち合わせていた様なお聖堂に、全く姿を見せなくなった。
気に掛かりながらも、私からはどうする事も出来ずにいた、そんな時。

私は担任教師とシスター、学園長の前に呼び出しを受けた。

そこで私は、聖の心につけた、その傷の深さを知る事になった。



「…本当に、それで良いのね?栞さん」
「はい…学園長先生」

私は、試験休みの数日を、学園長先生のお部屋で過ごした。

長い時間を割いて、学園長先生は私と話して下さった。

そのお話の中で、私は学園長先生の昔に、ほんの少し触れる事があった。

学園長先生は、本当に失くしてしまう事の悲しさを、私に教えて下さった。

まだご自分がリリアンの生徒だった昔に、とても大切なものを失ってしまったのだと、学園長先生は云った。

そして、その頃の学園長先生に私はとても似ているのだとも云った。

それを云う学園長先生のお顔が本当に悲しそうで、お辛そうで…そして本当に私たちの事を親身になって考えて下さっている事が私には手に取る様に解った。



そして私は…学園長先生のお部屋で過ごした試験休みの数日の間に、とても大きな決断を下した。




終業式の後。

私はお聖堂の外壁にもたれて、聖を待っていた。
彼女が来る様な予感があった。

…今日、私はリリアンを去る。
夕方までには寮も出る事になっている。

このまま、去った方がいい。
そうに決まっている。
逢えば、お互いに辛くなる。

でも…最後に、聖に逢いたかった。

私は、聖に逢いたかった。



「栞。一緒に逃げよう」

聖が云う。

「知らない土地に行って、誰にも邪魔されずに生きていこう」

そう出来れば、幸せだろうか。

私と聖は、幸せになれるだろうか。

聖と、生きていきたい。

一緒に、いたいの、聖。

聖といたいの、本当に。


「あとでね」

校舎へ向かっていく聖に微笑んで手を振った。

あとでね。

聖が見えなくなるまで、手を振った。

あとでね、聖。


…聖が見えなくなると、お聖堂に戻った。

マリア様は、優しく微笑みを浮かべている。

嘘をついた私に、マリア様は微笑んで下さる。

「…聖…っ」

目を閉じると、私の中にはマリア様ではなく、聖の笑顔が見えた。



貴方と一緒にいたいの……聖




私は、あの時本当にあなたと一緒に生きていけたらいいと思いました。けれど


「…っ」

そこまで書いて、涙が落ちそうになって手を止める。
紅薔薇のつぼみが、少し離れた所に座っている。
彼女はM駅で私を見掛けて、追い掛けてきた。


「何処へ行くの?聖はあそこに居たわ。それなのに、何も云わずに、貴方は何処へ行くの?」
「…紅薔薇のつぼみ…」
「…聖は、貴方が黙っていなくなれば、貴方を探すわよ?貴方が誰かに隠されたと、そう思って」

それでいいの?と紅薔薇のつぼみは静かな目を私に向けた。

その通りかもしれない。

「一緒に逃げよう」…聖はそう云ったのに、私が何も云わずに聖から離れれば、きっと聖は大人達が私を隠したと、そう思うかもしれない。

「…まだ、時間はあるのね?」
「…はい…紅薔薇のつぼみ…少し、待っていて戴けますか?私の気持を、聖に届けて戴きたいのです」
「…ええ」

そして私は手帳を取り出して、聖への思いを綴り始めた―――



きっと、聖はこの手紙を見て、怒るだろう。

でも、あのまま二人で電車に乗っていたら…きっと…

自分で考えている程、私達は、強くなんてない。
二人でいられたら、何だって出来る…私もそう思える。
でも、何も出来ない事に気付いて、絶望してしまうかもしれない。
その時、何をするだろう――

私は、貴方を失くしたくない。

貴方だけは、どんな事をしても守りたい。

…こんな思いは、貴方から見れば、ただの自己満足かもしれないけれど…それでも。



「紅薔薇のつぼみ、これを…お願い出来ますか」
「…ええ、必ず聖に渡すわ」

アナウンスが響き、私が紅薔薇のつぼみに礼をし、改札を抜けようとすると、彼女が入場券を手に並ぶ。

「必要ないかもしれないけど…聖の代わりに、見送らせてくれる?」

そういって紅薔薇のつぼみが微笑んだ。



新幹線に乗り込む私を彼女は何も云わず、ただ静かに見送ってくれた。

その優しさが、とても嬉しかった。



静かに走り始める新幹線。

今もまだ、M駅で私を待っているのだろうか

窓の外の景色が段々目まぐるしく変わっていく。

聖…

涙が、こぼれた。


これだけは
ただこれだけは

聖…私は貴方と一緒にいたかった


後書き

最終執筆:20040328

栞です。
「白き花びら」の裏側です。
今更ではありますが、アニメでやってたし、良いかなと。
しかし、
大変だった…3月初めから書き始めて終わったのが今日28日…
精進せねば…


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