その手のぬくもりが
(志摩子)






お姉さまが卒業された。
新学期のクラス替えで祐巳さんと別クラスになった。

心に、ぽっかりと大きな穴が開いた気がした。


そんな時、あの桜の木の下で、乃梨子と出逢った。


そして、初夏

梅雨の始まりの頃、乃梨子が私の妹になった。

大きく開いていた心の穴が、ほんの少し埋まった気がした。

でも。

完全に穴を埋める事は出来るはずがなく。


乃梨子の事は本当に大切。
誰にも乃梨子の代わりなんて、出来ない。


でも卒業されたお姉さまの代わりも誰にも出来ない。
そして…祐巳さんがいた日常から、祐巳さんがいない日常の寂しさを埋めるものも無かった。





お姉さまは同じ敷地内の大学部にいる。
祐巳さんにはお昼や放課後に薔薇の館へ行けば逢える。

けれど、去年の春に出会ってから…そして妹になってから、ずっと感じていたお姉さまの気配は高等部内には無く。

いつでも目の端に見えていたツインテールが、今は教室内の何処を見回しても、見当たらない。

それが、酷く寂しい。


「春が来て…夏が来て…日々の生活が忙しくて気がついたら、私がいない事の方が普通になる」

ヴァレンタインの宝探しの後の帰り道、お姉さまはそう云った。

確かに今、寂しさに慣れていく私がいる。

でも、寂しさに慣れる事が出来ずに、校舎の中にお姉さまを捜す私もいる。


「志摩子さん、どこにも行かないでね。私が三年生になるまで、どこにも行かないで待っていてね。一緒に山百合会背負っていくんだから。志摩子さんがいなきゃ、私嫌だから」

卒業式間近の教室。
手を握って真剣な目で祐巳さんはそう云った。

けれど今、どこへも行かないでと云った祐巳さんは別クラスになり、その祐巳さんを教室内に捜す私がいる。

側にいないという事実。
それは本当に仕方がない事。
でも、それでも、寂しいと…ここにいて欲しいと、望んでいる私がいる。

この寂しさは、乃梨子にも、埋められない。

二年生になっても祐巳さんと同じクラスになった蔦子さんが、時折無性に羨ましく思った。





「志摩子さん」
「え?」

誰もいない教室で日誌を書いていて、ふいに訪れた寂しさに、腕に顔を埋めてやり過ごしていたら、急に名前を呼ばれて慌てて顔をあげた。

「疲れてる?志摩子さん」

目の前にいるのは心配そうな顔をしながらツインテールを揺らす祐巳さん。

…一瞬、一年生の頃の戻った気がした。

「大丈夫?」
「…ごめんなさい、驚かせてしまった?」
「ちょっとね…。あ、日誌書いてたんだ。ねぇ、いつも思うけど、授業が多い日の日直って損だと思わない?」

机に手をついて、祐巳さんが苦笑いする。

「ええ…それは、私もそう思うわ」
「やっぱり?」
「ところで祐巳さん、どうして…?」


見上げる様な感じになって祐巳さんを見ていると、少し新鮮で心臓の動きが速くなる。
顔と顔の距離が、微妙で。


「え?ああそうだ。今日の山百合会のお仕事、ナシだって。それを知らせに来たの。由乃さんはそれを聞いて部活の方に行っちゃった」
「あら…じゃあ乃梨子にも知らせなくちゃ…」
「それは大丈夫。知らせに来てくれたの、乃梨子ちゃんなんだ。松組の方が先にHR終わってたから聞いたんだけど、乃梨子ちゃんが薔薇の館に行ったら祥子さまと令さまがもう来てたんだって。でね、今日は仕事も少ないし、三年生は進路相談とかがあるから、お休みにしましょって」
「そう…。で、乃梨子は…」

祐巳さんだけなのを少し疑問に思って聞くと、祐巳さんは遠くを見る様な目をして呟いた。

「…瞳子ちゃんに連行されて行っちゃった…」
「あら」

なんだか、その光景が目に浮かんで、妙に納得してしまった。


そして、ふと、祐巳さんが云った言葉の中の一言を思い返す。

『進路相談』

去年の今ごろは、こんな話を聞いても実感も湧かずにただ一日一日を過ごしていたのに。

あと数ヶ月。
数ヶ月後にはまた三年生は卒業し、新しい一年生が入学してくる。

祥子さまが卒業された後、祐巳さんもこんな気持になるのかしら…



「ねぇ、志摩子さん一緒に帰らない?勿論何も予定がなかったら、だけど」

私がこんな事を考えているなんてつゆも知らず、祐巳さんはツインテールを揺らしながらそう誘ってくれる。

せっかくの祐巳さんからのお誘い。
それを断るなんて、私には考えられない事。

「ええ。じゃあこれを行きがてら提出していきましょう」



職員室に日誌を提出して、学園を出た私と祐巳さんはゆっくりとした歩調で銀杏並木を歩く。

「もう直ぐ志摩子さんの季節だね」
「え?」
「銀杏拾い、するんでしょう?」
「ああ…そうね、もう少ししたら、落ちてくるかしらね」
「楽しみ?」
「ええ」

そう云う祐巳さんの笑顔に、思わず微笑む。
楽しみ?と聞いてくる方が楽しそうに笑んでいるから。

「志摩子さんのそんな幸せそうな顔、久し振りに見た」

そう云って、祐巳さんが何故だか、ちょっとホッとしたと、ぽつりと呟いた。

「なんか、志摩子さん、最近何か考えてるみたいだったから…」
「…祐巳さん?」

いったい、祐巳さんはいつ私の事を見ていたんだろう。

「もし、不安な事とか、哀しい事とか…あったら…。多分何も出来ないかもしれないけど…でも、志摩子さんはひとりなんかじゃないよ。乃梨子ちゃんっていう妹がいるし。勿論、私だっているからね。聖さまだって、志摩子さんのピンチには駆けつけてくる」

祐巳さんは人の心の動きに無意識に敏感。
哀しんでいたり、寂しがっていたりすると、さりげなく声を掛けてくれる。

何にでも一生懸命で、真剣に。


「祐巳さん…」
「あはは、何云ってるんだろ、私」

思わず立ち止まってしまっていた私の手を取って祐巳さんが歩き出す。

「行こ、志摩子さん」

その手の温もりに、心の隙間が埋められていくのを感じる。
教室に姿が見当たらなくても、祐巳さんはいてくれる。
こうして、私を見てくれている。

それを、素直に嬉しいと感じる私がいる。


「あっれー、珍しいツーショットだー」

背後から声が聞こえてきたと思ったと同時に、隣から「ぎゃっ!」という声が聞こえた。
見ると、お姉さまが祐巳さんを背後から羽交い絞めにしている。

「お姉さま、お久し振りです」
「ん、久し振り。祐巳ちゃんはご挨拶してくれないのかなー?」
「……」
「お姉さま…祐巳さんの口、塞いでます…」

丁度お姉さまの腕が口を塞いでいて、祐巳さんは目を白黒させている。

「おっと、ごめんごめん」
「ぷはぁ〜!」

聖さまの莫迦!と祐巳さんはお姉さまの腕をペシペシと叩いている。
それを嬉しそうに受け止めているお姉さま。

何故か、お姉さまは祐巳さんが薔薇の館に顔を出すようになったあの頃から、こんな風に祐巳さんにスキンシップを仕掛けていた。
祐巳さんも初めこそは戸惑って逃げたりしていたけれど、その内、先輩と後輩…白薔薇さまと紅薔薇のつぼみの妹というものを越えた何かに発展させていった様に感じた。

祐巳さんは、全てをありのままに受け止めている様に感じる。

私の事を、お姉さまの事を。
勿論、祥子さまや薔薇の館の仲間たち皆の事を。

きっと、お姉さまは祐巳さんのそんな所に心惹かれたのだろう。
お姉さまが祐巳さんを想っているのは直ぐに解った。

だって、私もそうだから。

私たちは、似たもの姉妹。
お姉さまの心の隙間は祐巳さんによって埋められていったんだろうと思う。

勿論、祐巳さんだけではなく、色々な事、色々な物、色々な人にそれは埋められていっているのだろうけど。
でもお姉さまの中で、祐巳さんの存在はきっと大きい。

思わず、私もお姉さまの心の隙間を少しでも埋められたのかしら…なんて事を考えた。
私の心の隙間が乃梨子や祐巳さんによって、少しずつ埋められた様に。

そう…乃梨子の様に…祐巳さんの様に。


微笑みながら、祐巳さんとお姉さまを見ていると、お姉さまがふいに視線を向けた。

そして、『何か』に答えるように、微笑みを私に返した。




後書き

最終執筆日:20040703

携帯マリみてHP「SalmonPinkRoses」10万hitを踏んで下さった衣類さまのリクエストの志摩子さんSSです。
カップリング等は自由で良いとの事でしたのでこんな感じに…
うちの白薔薇姉妹(この場合、聖さまと志摩子さん)は姉妹として、きちんと思い合っているんですけど、祐巳ちゃんへの、ほのかな感情も持ってます。
っていうか、うちは聖祐巳ですから(笑)、という事は『似たもの姉妹』である所の志摩子さんも祐巳ちゃんが好きなんです!(乱暴な思考)

なんかもう、すいませんって感じ…いやホントにすいません衣類さま…
ちょっと滝に打たれて煩悩解脱して来い私…


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