ピアノ
(聖)
「聖さま、ピアノ弾けるんですか?」
祐巳ちゃんが、意外そうな顔でピアノの前に座った私を見た。
「失礼な。これでも習った事があるのよ…まぁ、その人はピアノ教師とかじゃなかったけど」
「へ?」
ピアノを習った事がある。
けれど先生じゃない。
その言葉に祐巳ちゃんの回りに「?」マークが飛んでいる。
近所の人とか独学とか、考えないのか、君は。
「知り合いにね、ジャズピアノとかやってる人がいたのよ。その人に少し教わった事があってね」
「はぁ…そうなんですか…」
まだ「?」マークが飛んでいる。
「祥子には遠く及ばないけど」
そう云いながら、アヴェ・マリアを弾いてみる。
お。
全然弾いてない割りに指が動くじゃない。
さすがは私。
「わぁ…」
私の指の動きを見ながら声を上げる祐巳ちゃんに、やっと信じたか、と苦笑。
「聖さま、指がスラリと長いから、カッコいいです……でも、ホントになんでも出来る人ですよね、聖さまって…」
何故そこでシュンとする。
「…私も小学生くらいに習ったんですけど…そんな風には弾けませんよ」
「嫌で辞めちゃったの?」
「そんな事はないんですけど…」
私は、ある曲が弾きたくて、ピアノを習ったから。
その辺で祐巳ちゃんとの違いが有るのかもしれない。
…まぁこれは憶測だけど。
「正直云って、学校以外に人に教えを請うなんて考えられなかったんだけどね…でも、ある曲に出逢ってね。それを自分で弾いてみたくてたまらなくて。だから」
そう云いながら、その曲を奏で始めた。
その曲のタイトル…それはあまりにもベタなタイトルだと思った。
でも、それは曲を聴いて印象が一変した。
私は、たまらなくこの曲を自分の指で奏でたくなった。
この物悲しく儚い…それでいて強くその存在を知らしめる、この曲を。
「…この曲…」
祐巳ちゃんが、ぽつりと洩らした。
「知ってる?」
「はい…以前、TVで流れていたのを聞いて、なんていう曲なんだろう、誰の曲なんだろう…って…ずっと…」
満面の笑みを、祐巳ちゃんが浮かべた。
「凄い…聖さま」
誰もが、なんて事は云わない。
云えない。
でも、私だけではなく、この曲は祐巳ちゃんも魅了していた。
それが、嬉しい。
そして、自分の指がそれを奏でられるという事が、嬉しい。
「聖さま、この曲は、なんていう曲なんです?」
私が奏でるこの曲を聴きながら、祐巳ちゃんが聞いてくる。
満面の笑み。
私を幸せにする笑顔。
この笑顔を、私の指が引き出したと思うと、なんとも云えない幸福感にめまいがしそうになる。
私は、大切なこの曲を大切に弾きながら、祐巳ちゃんを見た。
この曲のタイトルと同じものを、大切なこの子に捧げるように。
「この曲はGeorge Winstonの…」
後書き
20040822
久々に単発。
しかも短いです。
大好きな曲って弾いてみたくなりません?
因みにここに出てくる曲はGeorge Winstonの『Longing/Love』という曲です。
凄く好き。
ずっと曲のタイトル解らないままで探していて、偶然タイトルを知った時は本気で泣きました。
嬉しくて。