オーバー ザ レインボウ





「ねぇ祐巳ちゃん、昨夜やってた映画、観た?」

バスに乗り込んで、窓の外を見ると、朝から降り続いていた雨が嘘の様に上がった様で、虹が出ていた。
それを見ながら、私は祐巳ちゃんに聞いてみた。

「映画…ですか?…いいえ…なんていう映画です?」
「『Wizard of Oz』だよ。観た事ある?」
「『Wizard of Oz』…?『オズの魔法使い』ですね…アニメなら小さな頃に観た事ありますけど、映画は観た事無いです」

私はアニメの方を知らないな。
ふむ。
確かに古い映画だしねぇ。
…って、祐巳ちゃんと二つ違いの私が観ているってのも不思議な事なのかも。
でも、確か有名な映画でもあるはずだったから、然程不思議ではないかな?

「竜巻に飛ばされて魔法の国に行っちゃう女の子の話ですよね?」
「うん、そうそう。あー、そっかぁ、じゃあ祐巳ちゃんは『オーバー ザ レインボウ』は知らないかな。ほら、窓の外に虹が見えるでしょ?あの虹見てたらフッと頭にあの歌が思い浮かんだんだけど…昨日観たばかりだからだろうけど」

私が指さした方向に目を向け、「あ、ホント、虹ですね」とちょっと嬉しそうな目をして、それから「えっと……ターンターンタンタタタンタン♪…って曲ですよね?」と私の顔を窺った。

メロディを口ずさむ祐巳ちゃんに思わず笑んでしまった。
大袈裟かもしれないけど、こういう些細な事って結構嬉しい。

ほんの少し、記憶を共有しているような気持になる。
こんな事、考えるような人間じゃなかったはずなのに。

でも、まだ出会えて二、三年。
知らない季節、知らない時間を同じリリアンの中で二年の差を保ちながら過ごしてきていた。
一度や二度なんて云わず、それよりも多くすれ違っていたかもしれない。
廊下で、道で、駅で。
掃除区域が近い場所だった事もあったかもしれない。
マリア様の前で隣合わせた事ももしかするとあったかもしれない。
バスに一緒に乗り合わせた事もあったかもしれない。

でもそのすれ違いにも気付かずに、同じリリアンで過ごしてきたなんて、今は信じられないけれど。
遠目でも直ぐに祐巳ちゃんと解る、今の私には。
それでも、間違いなく、私たちは同じリリアンの中に存在していた。
そして、知らない時間を過ごしていながら、それでもほんの少し…本当にほんの少し、同じものを見聞きしている…
そんな事は当然だと思う。
世の中にはそうして知らずに同じ物を見聞きして、知らずに時間やら記憶やら、何やらを共有しているんだと。

でも。
私にとって、この日本はおろか、世界中の人間とのそういうのはどうでも良くて。
ただ、重要なのは、祐巳ちゃんと、ほんの少しでもそういう時間や、ものを共有していると思える事だけで。

そんな事を考えている自分が酷く滑稽でありながらも、何処かで『悪くない』と思う自分もまた存在していた。

「?聖さま、どうかしました?急に黙ってしまいましたけど…この曲じゃなかったですか?」

祐巳ちゃんが私の顔を覗き込んでいる。
でも、同じ世界に存在していたのに、知り合えていなかったその時間が惜しいとか、そうは思ってはいない。
その出会えていなかった時間が、私や祐巳ちゃんにとって必要不可欠で、『出会うための』準備期間だったのかもしれないから。
そんな事を云えば、祐巳ちゃんに出会う前の時間が添え物みたいに思われてしまいそうだけど、そうではなく。

むしろ、大事な大事なかけがえの無い時間だから。

全てを斜めに構えて見ていたあの頃に祐巳ちゃんと出会っていても、きっと傷付ける事しか出来なかったに違いない。

栞と出会って、人を愛する事を知ったから。
お姉さまに出会って、温かさを知ったから。
蓉子に出会って、厳しさの中に潜む優しさを知ったから。
志摩子に出会って…自分と向き合う事を知ったから。
…志摩子と出会って知った事はそれだけではないかもしれないけれど。


そして。
祐巳ちゃんに出会った。

距離の取り方を知った私は、ためらう事なく、手を差し伸べる事が出来た。
泣いている時に、頭を撫でて励ます言葉を掛ける事が出来た。
自分の事を語れる様になった。

いとおしいと、思うようになった。


…まるで、『Wizard of Oz』に出てくるキャラクターみたいだね。
ブリキ男も、案山子も、ライオンも、まるで私みたいだ。

もし生きていく事が旅と同じなら、私はここまでの歩みの中で色々なものを得てきたんだから。
色々な人に出会って、そりゃ傷も沢山ついたけど、得たものはとてもとても大きい。

気がついて、振り返ると、こんなにも。

…これは卒業式の前日にも考えた事だけどね。



「聖さまってば」

何も返さず、ただ笑っている私にしびれを切らした祐巳ちゃんが私の腕を揺する。
それに、「ごめんね、合ってるよ」と返して、私は祐巳ちゃんの肩に頭を乗せた。
窓の外に、虹が見える。

『虹の彼方に』…か。
一体何があるだろう。
私と君の、行く先には。

何も無い。
虹の向こうには、虹がまた見えるだけだろうから。
いつまでも、君と虹を追い掛けて行きたい。
追い掛けて生きたい。
いつまでも。

「聖さま…?眠いんですか?」
「ううん」
「眠っちゃダメですよ。もう少しで駅ですから」
「うん」

決して、寄り掛かるだけじゃなく。
お互いに立っていられる関係が、理想だろう。
でも今この時間は…ほんの少しだけ、寄り掛からせて。

一見頼りなげで弱そうに見えるけれど、本当は誰よりも強いだろう君に、こんな風に出来る『今』に取り敢えず感謝したいから。



執筆日:20050118

なーに書いているんでしょうねぇ…メルヘンにもならず、ロマンスにもならず…
要修行。


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