理由などないよ


小さな喧嘩の後って、少しでも近付いていたいって思う。
喧嘩なんかじゃなくても、長い間逢えなかった時も。



「じゃ!ごきげんよう由乃さん!」

由乃さんの返事が返ってくる前に、祐巳はビスケットの扉から飛び出していた。

はやく
はやく

祐巳は何かに追い立てられるように薔薇の館からも飛び出す。

はやく
はやく

…あ。

マリア様の前に立つ聖さまを見つけて、祐巳はスピードダウン。

白くて美しいマリア様を聖さまは見つめていた。
手を合わす訳でもなく。
ただ、ジッと見つめている。
その視線の意味は祐巳にはわからない。
でも、何となく…いつでも聖さまはマリア様を良い意味じゃない感じに見ている事が多い気がした。

だって。

「あ、祐巳ちゃん」

聖さまが祐巳を見る目とは、全然違うから。
祐巳を見ると、聖さまの目は優しくなるから。

…という事は、マリア様を見ている時の聖さまの目は『険しい』という言葉が一番当てはまっている気がした。

どうしてなんだろう。
とても、不思議だった。

「ごきげんよう、聖さま」
「…どうかしたの?」
「え?」
「何か、考えていたでしょ?今」

ほんの少しの祐巳の変化を見逃さない聖さま。
聖さまには隠し事は出来ないだろうなぁ…なんて、ぼんやりと思ってしまう。
…別に隠し事するつもりなんか無いけれど。

「何か心配事…?」
「えっと…」

どう云ったらいいのか。
ちょっと困ってしまった。

でも、何かをごまかしたりとか、そういう事は出来ないし、したくない。
聖さまと数週間、逢えなかった。
今はその逢えなかった時間を埋める為の大事な時間だから。

「…祐巳ちゃん?」
「聖さま…マリア様がお嫌いなんですか?」
「…え?」

聖さまが驚いた様な表情をして祐巳を見る。
ずっと、聞きたかった。
聖さまは、マリア様が嫌いなんじゃないかって、そんな気がしていたから。

「マリア様を見る聖さまは、何処か険しい目をしている気がするんです…」
「…祐巳ちゃんにはそう見えるんだ?」
「ち、違いますか?そうですよね、すいません…何云ってるんでしょうね私」

探る様な聖さまの目から逃れるようにしながら慌ててそう云う。
すると、聖さまは「敵わないなぁ、祐巳ちゃんには」と笑った。

「え…?」
「ちょっとね、苦手かもしれない」
「…え」

聖さまは祐巳の背に手を回してそこから離れようとして、ハッとした様に立ち止まる。

「お祈り、するんでしょ?」

微笑む聖さまに、祐巳はちょっと迷ってしまう。
今のこんな話の後にお祈りするのは、ちょっと…

「私なら気にしなくていいよ。苦手って云ったって、高等部の頃は私だってお祈りしてたんだから」

誰かと一緒にいる時だけで、ただ手を合わせていただけだけど、と付け加えて笑う。
…そういえば、そうだったかもしれない。
聖さまも手を合わせていた。

いつもの習慣で、手を合わせるのが祐巳の普通だから、それをしないとちょっと気持ちが悪い。
だからいつもよりは短めに、マリア様に手を合わせた。




「…なんかね、苦手なんだな」

バスに乗り込んでから、聖さまがぽつりと云った。

「どうして…って聞いてもいいですか?」
「んー構わないけど答えは無いからね」
「そうなんですか」
「うん。こればかりはどうにも。こんな事云ったら、リリアンの生徒のクセにって云われるかもしれないけどね…」

苦笑する聖さまに祐巳は何も云えずに押し黙る。
マリア様の事をそんな風に考えた事もないから。
ただ、当然の様に受け入れてしまっている。

「多分ね…こんな風に考えるのはリリアンの中でも少ない…ううん、もしかすると私だけかもしれない。基本的にリリアンの生徒は無垢みたいだから」

そうだろうか。
ふと祐巳は友人の写真部のエースを思い出した。
彼女なら、聖さまの云っている事に頷くかもしれない、なんて何故か思った。

「綺麗だとは、思うんだけどね…なんか、見張られているみたいだな、なんて。もしくは値踏み」

あれ?
誰かからこんな言葉を聞いた事は無かっただろうか。
確か…「悪い事は出来ないよね」とか…云った人。

…そう、確かあれは…

「柏木さん…」
「は?柏木がどうかした?」

突然祐巳の口から飛び出した名前に聖さまは眉間にシワを寄せる。
天敵って感じだもんね…だけど、もしかしたらじゃなく、聖さまと柏木さんは似ているのかもしれないと祐巳は思っている。

「以前、柏木さんが云っていたんです。マリア様が見張っているから、リリアンの生徒は悪い事は出来ないねって云う様な事を」
「…へぇ」

祐巳の言葉に聖さまはフン、と横を向く。
そして「さすが同類です事」と小さく吐き捨てる様に呟いた。

「同類って…以前にもそんな事云ってましたよね?聖さま」

確か去年の学園祭の前…祥子さまと柏木さんがいなくなって、探している最中だったような気がする。

「…覚えてたんだ?ああもういいよ、忘れちゃって…って云うか、むしろ忘れて」
「はぁ…?」

訳が解らない。

でも…
なんだか、聖さまや柏木さんがどうしてそんな風に云うのか、祐巳は祐巳なりに考えてみた。

いつも優しい笑顔を浮かべながら、分かれ道の真ん中に立っておられるマリア様。
いつでもリリアンの生徒を見守っていて下さる…

見守って…?

聖さまや柏木さんは『見張られている』という。
…見方を変えれば…

思わず祐巳はゴクリと喉を鳴らした。

あの分かれ道に立って…リリアンの生徒を『見張っている』…?
道を踏み外さない様に…教えに背かない様に…?

「祐巳ちゃん」
「は、はい?」

呼ばれて聖さまを見ると、ちょっと真剣な目で祐巳を見ていた。
その目にドキン、とする。

「祐巳ちゃんは、そんな事考えなくてもいいの」
「…え?」

云ってる意味が解らない。

「こんな考えはね、捻くれた考えなんだから。だからね、祐巳ちゃんが引き摺られる事は無いの」

でも…と云い淀む祐巳に聖さまは苦笑する。
考えるなって云われても、一度考え始めた脳は簡単にはそこから離れようとはしない。

「ほら、そんな顔しない。でもさ、思ったんだけどあそこにドーンとマリア様が立っていたらさ、いい泥棒除けにはなると思わない?」
「へ?」
「そしてさ、もしそんな不届きものが現れたらさ、マリア様が動き出してそいつを追い掛けるとか。うん、そうだなー、目が開いてビーム光線出してもいいかも」
「ぷはっ」

思わず、マリア様が動き出して目からビームを発射しながら泥棒を追い掛ける姿を思い浮かべてしまった祐巳は吹き出してしまった。
なんだろう、さっきまで考えていた事が綺麗にすり替えられてしまった気がする。
でも、笑う祐巳を見て、聖さまが安心したような表情をした。
そんな顔を見たら…まぁいいか、って思ってしまった。

「ね、祐巳ちゃん。ウチによっていかない?頂き物のお菓子がね、あるんだ」
「はいっ」
「…離れていた分、一緒にいたいし」

聖さまが、ぽつりと呟いた。




それから暫く…祐巳は祐巳なりに、あの時聖さまが云っていたマリア様の事を考えても、最後には目からビームを光らせながら悪者を追い掛けるマリア様へと思考が向かう様になってしまって、ちょっと困った。



執筆日:20041210



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