寒い日




怒ってる。
もう絶対。
でも、こういう時、こちらからばかり謝っている気がする。
今回はちょっと引きたくない。
たまには、こんな日があってもいいんじゃないか?なんて思ってしまった。
決定的な事態にさえならなければ、多分『犬も食わない』ナントカになるだろうから。













「で?喧嘩続行中ってわけ?」

カトーさんが呆れた様に呟く。
今は講義の真っ最中。
あまりに憔悴しきっている私の顔を見て、珍しく…本当に珍しく声を掛けてきた。

「…云わないで。後悔してるんだから」

そう、後悔している。
まさか一週間も祐巳ちゃんに避けられるなんて思いもしなかったから。
いつも通り、私が折れれば済む事だったのに、意地を張ってしまったのが今回の敗因なのかもしれない。

「まぁ自業自得、だわね。でもそう聞くと喧嘩の原因はサトーさんなの?」

私は苦虫を潰した様な顔をする。

原因。
本当に他愛ない事。
正直、どちらが良くなかったかなんて思い出せない位。
ていうか、喧嘩の原因って何だったんだろう?

「…喧嘩両成敗って云うし、そういう事ね」
「…はい」

多分、そうだろう。
私はノートに突っ伏す。

正直、もう限界なのだ。
こんな風に避けられるなんて、本当に祐巳ちゃんは怒ってしまっているんだろう。

「…逢いたいな…」

思わず、本音が口から零れてしまう位、私は参ってしまっていた。

ジッと手のひらを見る。
もう、一週間も触れていない。

ギュッと手を握り締めて、ノートに頬を乗せたまま、窓の外に目を向けた。
外は雨。
傘は持って来ていない。
多分祐巳ちゃんなら傘を持ってきているだろう。
何せ祐巳ちゃんの髪は気象予報士も真っ青だから。

「…まぁ、早く仲直りしなさい。隣にそんな顔した人に座られているなんて、迷惑だから」


カトーさんの言葉はそっけなく冷たいけれど、でも声は優しかった。
















「で?喧嘩続行中な訳?」

由乃さんが呆れた様に呟く。
ここは薔薇の館。
志摩子さんが祐巳の顔色が良くない事に気付いて問い掛けてくれて…その声の優しさに思わずポロッと聖さまと喧嘩してしまった事を云ってしまった。
由乃さんは相変わらず手厳しかったけど。

「だって、こんなに山百合会の仕事が忙しくなるなんて思ってなかったから…仲直りする機会が無かっただけだってば」
「で、そんな風に元気なくなっていたら世話ないでしょう」
「…由乃さん厳しい…」

今の祐巳にはキツイお言葉は身に染みるんだから。

「…でも、きっと…お姉さまも意地になっているのかもしれないわね…だって、電話も掛けてこないのでしょう?」
「…うん」

雨のせいか髪の調子も今ひとつだし。
どうにも気持ちが落ち込み気味でいけない。

「で、喧嘩の原因って?」

由乃さんが頬杖をつきながら聞いてくる。

「…些細な事なんだけどね…。最初は『グラタンはチキンかシーフードか』って話から始まったんだけど…何故かエスカレートしちゃって…」
「…ああ…『夫婦喧嘩は犬も食わない』って云うけど、本当だわ」

由乃さんが「ご馳走様ね」と大きな溜息をついてくれた。
志摩子さんも苦笑しちゃってる。
口を出してはこないけど、乃梨子ちゃんたちもお茶を淹れながら呆れているか何かだろう。

「ま、でも今日は早く帰れそうだし。聖さまにうまく遭遇出来るといいわね…っていうか押しかけて仲直りして頂戴。祐巳さんのそんな顔見てたら薔薇の館の雰囲気が暗いったらないから」
「そうね…祐巳さんが元気無いと、心配だわね」


友達ってのは、有難いものだな、なんて祐巳は思った。









おじいちゃんに買ってもらったお気に入りの傘を差しながら、祐巳は大学部の前に居た。

志摩子さんと由乃さんの計らいで先に薔薇の館を出てきた祐巳は、聖さまを待っていた。
天気予報では降水確率は30%。
多分聖さまは傘を持ってきていないだろうから。

「あら?祐巳ちゃん」
「加東さん!ごきげんよう、お久し振りです」

さすがと云うか、加東さんはあのシイタケのような傘を差している。

「祐巳ちゃんは傘持っているのね」
「あ、ええ。私の髪、湿度が高いとまとまり難くて…加東さんも、お持ちなんですね」
「30%確率が出ていたし、一応ね」

眼鏡の奥の目が優しく微笑む。
加東さんは、聖さまにはキツイけど、祐巳には優しい言葉を掛けてくれる。
…なんだか、ちょっぴり蓉子さまを思い出す。

「もう少ししたら、出てくると思うわよ」
「へ?」

急な科白に祐巳は一瞬目を瞬いた。
加東さんは微笑みを深くする。

「何か、クラゲみたいにへにょへにょしてるわよ?彼女。まぁお陰で静かで講義も身に入るけど」
「…へにょへにょ…ですか…」

思わず祐巳は苦笑してしまった。

「ああそうだ。弓子さんが最近来てくれないって拗ねていたから、たまにお茶でも飲みに来てね。私も待ってるのよ?」
「はい!今度遊びに行きますね」

じゃあね、と加東さんが手を振って歩いて行く。
もしかしたら、見えていたのかもしれない。
それから直ぐに聖さまが出てきたから。

聖さまはちょっとキツイ雰囲気でこちらに歩いてくる。
雨が降っているのに、急ぐでもなく。
…由乃さんが高等部に入る前に令さまから聞いていたという聖さま像と、ちょっと似ている気がした。

「濡れて帰るおつもりなんですか?」
「…!」

ハッとしたように、聖さまが祐巳を見た。
驚いた様な、目。
キツイ雰囲気は一気に払拭された。

「…祐巳ちゃん」
「バス停まで歩いたら、びしょ濡れになって風邪引きますよ?」

ふわ…っと聖さまが笑みを浮かべた。
思わず、見惚れてしまう笑顔。
ほんの少し、泣きそうな感じに見えるのは、気のせいなんだろうか?

「…風邪引いたら、祐巳ちゃんに看病してもらえるから、別に構わないよ」

傘の柄をスッと持って、傘の中に入ってくる。
そして、祐巳の肩におでこを乗せた。

「…ごめん」

ドキン、と心臓が跳ねた。

ああもう…どうしてこの人はいつも祐巳の先を越してしまうんだろう。
祐巳の肩に乗っている髪に指を差し入れて、抱きしめたくなる。

…一応、公衆の面前だからしないけれど。

「私の方こそ、ごめんなさい…山百合会の仕事が忙しくて…聖さまにも逢えなくて…」

おでこを肩につけたまま、ううん、とでも云う様に頭を振った。
そしてゆっくりと顔を上げると聖さまはいつもの様に微笑んだ。

それから、祐巳の手を握って歩き出す。
ほんの少し、冷たい手。
繋いでいる手はじきに温まるだろうけど、雨降りでちょっと寒いから傘の柄を持っている手は冷えきってしまうだろう。
その手を温める方法を、祐巳は考える。
そして、その方法を思い付いて祐巳は聖さまに提案を出した。

「聖さま」
「何?」
「聖さまのお部屋に伺ってもいいですか?」
「それは構わないけど…?」

聖さまはきっと賛成してくれる。
だって今日は雨降りでちょっと寒いから。
寒い日は、体を温めるものがいいから。
シチューとか、お鍋とか、グラタンとか。

「お夕飯にチキンとシーフード、両方入れてグラタン作りませんか?ちょっと具沢山になっちゃいますけど」

そしてその後、逢えなかった分だけ、聖さまは祐巳を抱きしめてくれるだろう。





後書き

執筆日:20041115

凄く久し振り…って聖祐巳本の原稿やってたからなんですけど。
久々なので甘々。


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