聖誕夜
〜君が忘れてくれるといい〜

-前編-





12月になって街は少しずつ『クリスマス』に変わっていく。
俗に云うクリスマス・カラーとか、そんな感じ。
赤に緑、金や銀。
そしてその日が近付くにつれてそこかしこで流れ出し始めるクリスマス・ソング。
あまりにきらびやかで、あまりに賑やかで、あまりに厳かで…ちょっと苦い気持ちになってしまう。






昨夜、親から電話が来た。
一人暮らしをしている娘に、「25日は帰ってらっしゃいね。貴方の誕生日なんだから」…だって。
携帯の電源ボタンを押した後、苦笑してしまった。

私の誕生日だからこそ、放って置いて欲しい。
…なんて、そんな事は無理なんだろうけどね。
過保護な親ではない。
いっそ放任な方だっただろう。
でも、精神的束縛は感じずにはいられない。

『うちの子に限って』
『私達は貴方を信じているから』

自分達の育て方に一切の問題なし、そう思っている幸せな人達。
それがどれだけ、やる気を失わせるか。
それがどれだけ、窮屈に感じているか。
きっと、一生、解らないんだろう。




「聖さま?どうかしましたか?あ、疲れちゃいましたか?」

腕をつい、と引いてくる心配そうな、申し訳なさそうな表情。
そこで私はひとり考え込んでいた事に気付いた。

「ううん、大丈夫だよ。祐巳ちゃんこそ、さっきからずっと歩きっぱなしで疲れてない?」
「私は平気ですけど…あ、あそこにありますよ、聖さま。どれにしましょうか」

祐巳ちゃんが指差す方向にはクリスマスツリー。
一人暮らしの私の部屋に、祐巳ちゃんが置こうと云い出したので、買いに来たのだ。
クリスマスイブまで、あと数日。
街はもうクリスマス一色になっている。
カーステレオから聞こえてくるのもクリスマス・ソングばかりになった。
そんな中、試験休み中の祐巳ちゃんと、デパートにツリーを物色しに来た。

「今更って気もしますけど…でもやっぱり、ツリーを二人で飾りたいです」と、なんだか可愛い事を云ってくれる祐巳ちゃんに私は二つ返事でOKした。
断る理由なんて無い。

去年は私の家でクリスマスイヴを過ごした。
…ちょっと、ひと悶着あったけど、それは必要な事だったんだと思う。
両親のいない家で、居間に飾ったツリーを横目に見ながら寄り添って窓の外に降る雪を見て…触れるだけのキスをした。

あれから、もう一年だ。
あっという間だった。
でも、色々あった。
本当に、色々。
沢山泣かせたし、沢山怒らせた。
でもそれ以上に笑っていてくれた。
今も目を輝かせながらツリーを見る祐巳ちゃんが、いとおしい。
何かをひとつ、乗り越える度に愛しさは増していく。

「うーん…あんまり大きなのはいらないですよね…これなんていかがでしょう」

そう云いながら祐巳ちゃんが指したのは、50cmくらいの高さの白いツリー。
グラスファイバーの葉の先がキラキラしている。
祐巳ちゃんが気に入ったのなら、私はそれで構わない。
大きさも、丁度いい感じだし。

「うん、いいよ。じゃあオーナメントとかどうしようか」
「…オーナメント…は…あまりいらないかと…」

へぇ?
祐巳ちゃんならサンタと靴下とか色々つけるんじゃないかって思ったのに。

「なんだか…このままでもいい感じがしませんか?」

白のツリーには赤や青の丸いボール状のオーナメントが数個、ついている。
まぁ確かに私はあまり華美に飾り立てるのは勘弁って感じはするけれど…
でも、これじゃ寂しくないんだろうか?

「…このままで綺麗だから…ダメですか?」
「いや…ダメじゃないけど…」
「それに聖さまのお部屋に置くなら、このままの方がいいですよ」
「…祐巳ちゃん?」

なんだか、違和感を感じた。
私の部屋に置くのなら…?
それはどういう意味なんだろう。

引っ掛かる事なんか無い言葉な筈。
でも…?

「なんだか、あまり飾り立てると浮いてしまいそうだし…」
「私の部屋の中で?」
「…はい」
「クリスマスなんて非日常なんだし、ツリーが浮くのは当然だと思うけど…?」

「でも…」と祐巳ちゃんは言葉を濁す。

なんだか、よく解らない違和感に私はどうしたものやら、と考えた。
そして、それなら…とこう提案した。

「じゃあさ…祐巳ちゃんが好きなオーナメントひとつ、買おう?祐巳ちゃんが『これ』って思ったのを、ひとつ。もし迷って決められなかったらふたつでも構わないから」
「…聖さま?」
「そうすればさ、私はそれ見ながら祐巳ちゃんと過ごすクリスマスを楽しみに待てるからさ」

日常の中の、小さな非日常。
クリスマスは、あまり好きじゃなかったけれど。
でも『祐巳ちゃんと過ごすクリスマス』は嫌いじゃないから。

「…はい…」

祐巳ちゃんが、何やら嬉しそうに微笑んでいる。
そんなに嬉しがるような事を云ったんだろうか?
キョロキョロと周りを見回すと、そっと私の腕に腕を回してきて…そして祐巳ちゃんは呟いた。

「聖さま…好き」





  †




引っ掛からないと云えば、嘘になる。
だって…イヴは聖さまの大切だった人がいなくなってしまった日。
二年前…聖さまがまだ高等部にいた時、クリスマスはあまり好きじゃなさそうって、祐巳は思ったから。
それはきっと、その人の事があったからだって、祐巳は思ってしまったから。
ツリーを飾りましょうって云い出したのは祐巳だけど…でもあまり飾り立てるのはどうかなって、突然思ってしまった。
去年のクリスマスは、祐巳が勝手にいじけてしまったせいで聖さまを傷付けてしまった。
聖さまは祐巳を大切にしてくれているのに…それを見失ってしまいそうになって。
だから、祐巳はもうあんな風には考えない事に決めた。
祐巳を大事にしてくれる、聖さまの為に。

…でも。
過去は消えないから。
聖さまの心の奥の、祐巳には解らない『何か』が消える事は無いから。
だから…それを思うと…少しだけ、寂しくなってしまう。
莫迦だなって、そんな事考えるのは聖さまに失礼だなって思うけど…


「祐巳さん」

山百合会のクリスマスパーティーを終えて、祐巳がひとり銀杏並木を歩いていると、志摩子さんがちょっと小走りにやってきた。

「志摩子さん」
「一緒に帰りましょう」
「うん。あれ?乃梨子ちゃんは?」

志摩子さんの後ろを見て、祐巳は首を傾げた。
いつもは一緒のはずの、志摩子さんの妹の乃梨子ちゃんの姿が見えなかったから。

「瞳子ちゃんと一緒よ。なんでも、クラスメイト達とでクリスマスパーティをするんですって」
「へぇ…そうなんだ…」

そういえば、瞳子ちゃんが何やら云っていたっけ。
瞳子ちゃんと過ごすクリスマスはなんだかキラキラしていそうだな…なんて思って苦笑してしまった。
ほんのちょっぴり、瞳子ちゃんは派手…いやいや。
…うーん、適切な言葉が思い浮かばない。
瞳子ちゃんとは正反対に乃梨子ちゃんは落ち着いたクリスマスを過ごしそうだけど。

「あれ?でも確か志摩子さん、乃梨子ちゃんのおうちに御呼ばれしてなかった?」
「ええ。今晩お伺いする事になっているの。今日は乃梨子のおば様はパーティーで遅くなるらしいから…」
「そうなんだ…じゃあ乃梨子ちゃんとふたりきりのクリスマスだね」
「…ふふ、そうね」

志摩子さんと並んで歩き出した時、志摩子さんが祐巳の顔を覗き込んできた。

「祐巳さんは、お姉さまと過ごすのでしょう?…そういえば、試験休みに入る前に由乃さんに色々云われていなかった?」
「…うん…どう過ごすの?って根掘り葉掘り聞かれた…」

由乃さんに去年はどうしたの?とか興味津々に聞かれて…それで、祐巳の心に去年の気持ちがほんの少しだけ、甦ってしまった。
『もし…』なんて事は考えない方がいいのに。

「…祐巳さん?」
「ねぇ…志摩子さん…どうすれば、『昔』を気にしないでいられるのかな」
「…昔…」

あ、という様な顔をする志摩子さんに祐巳は一瞬でそれを口にした事を後悔した。

「ご、ごめん志摩子さん…今のナシ。気にしないで」
「…お姉さまの事…よね…」

うう、やっぱり志摩子さんには解ってしまうんだ…
思わず、祐巳は自分の口を恨んだ。

「だから、今日の祐巳さんは少し元気が無かったのね…」
「え?そ、そうかな」
「過去は消える事は無いから…気になるのは当然だと思うわ。気になるのは、祐巳さんがお姉さまを好きって証拠だし。だから、気にしていていいのではないかしら」
「…そうかな」
「ええ。もし、どうしても気になって心が痛んでしまったら…お姉さまにそう告げるといいと思う。祐巳さんが不安に思っている事を一番知っているのは、お姉さま自身だと思うから」
「……」

思わず黙ってしまった祐巳に、志摩子さんは苦く笑った。

「こんな事、私は云える事では無いのだけれど…なんだか、今日の私はおしゃべりね」
「ううん、そんな事無い…有難う、志摩子さん…」

志摩子さんと聖さまはお互いに『似たもの姉妹』というだけあって、思考とか似ている処もある。
だから、志摩子さんの言葉を聞いていたら、聖さまもこの間、ツリーを見ながら祐巳が考えていた事とか、薄々感じていたんじゃないかって…だから、あんな風に云ったんじゃないか…って。

「…ほんとに有難う、志摩子さん」

もう一度、祐巳は志摩子さんの言葉を噛み締める様に云った。









時間が、ゆっくりと、そして確実に過ぎていく。
そして、今日は24日。
クリスマスイヴで、リリアンの終業式だ。

二学期の終業式を終えて、山百合会のクリスマスパーティーを終えた後、祐巳ちゃんが部屋にやってくる事になっている。その運びは去年と一緒。
ただ「何時に」という細かな約束はしていないけど。
でも、なんとなく、祐巳ちゃんが来るであろう時間は解っている。
16時過ぎには到着、という感じだろう。

現在、15時半を過ぎたばかり。

あと30分と少し…といった処かな?
…なんて考えていたら。

ピンポーン、とインターホンが待ち人が到着した事を教えた。

「あれ?」

思わず私は時計を見直す。

「…3時40分…だよね?」

私は珍しく自分の予想が大幅に外れた事に首を傾げながら玄関へ向かった。





「だから…聖さま、いつも云ってますけど…仮にも女性なんですから、誰が来たかも確かめずにドアを開くのは無用心だと…」

部屋に入って開口一番、祐巳ちゃんがちょっと恐い顔で云う。
…部屋に来てすぐお小言云わなくてもいいじゃない…

「祐巳ちゃんじゃなかったら、開けないよ」
「確認もせずに、どうして私だって解るんですか」
「解るんだもの」
「…聖さま…」

呆れたように、怒ったように呟く祐巳ちゃんに、私はほんの少し、悲しい顔を作った。

「…せっかく祐巳ちゃんが来てくれて嬉しくてドア開けたのに…」
「…う」

あ、あの…と祐巳ちゃんがおろおろし出す。
よし、引っ掛かった。

「それなのに、いきなりお説教かぁ…」
「せ、聖さま…私は聖さまが心配で…あの…もう今日はいいですから…」

そう云いながら、手荷物ひとつを私に差し出す。
四角い箱。

「昨夜、頑張って作ったんです…二人で食べようって思って…聖さまに美味しく戴いてもらおうって…」
「…ケーキ?」
「はい」
「…そのあと、祐巳ちゃんも美味しく戴いてもいいの?」
「は…っ、え、ええ!?」

ボンッという音が聞こえるくらい真っ赤になって祐巳ちゃんが口をパクパク動かしている。
何を今更そんなに恥ずかしがるかな。

「デザートは祐巳ちゃんのケーキand祐巳ちゃーん」
「せ、聖さまっ」

ケーキの箱を手にキッチンへ向かう私の後ろを祐巳ちゃんが真っ赤な顔のまま追い掛けてきた。




あからさまな事を云われると、恥ずかしいらしい。
祐巳ちゃんはまだなんとなく赤い顔でチキンを焼いている。

でも、私はこの間ツリーを買いに行った時の違和感みたいなものが薄れているというか、何か吹っ切れたような感じな祐巳ちゃんに内心ホッとしていたり。

…気にしないで欲しい…そうは思っていても、そんな事は無理だって事は解っているから。
去年も、それですったもんだしてしまったんだから。

過去は、消えない。
過去は『今』を作っているから。

でも…やっぱり過去というのは気になるものだから。

祐巳ちゃんの前で、栞の名を出すなんて無神経な事はしていないけれど。
でも、二年前の私が『いばらの森』を読んだ後、祐巳ちゃんと由乃ちゃんに話した事は、思いのほか祐巳ちゃんの心に残っているようだ。
あの時の、私の言葉に今も敏感な祐巳ちゃんに、軽々しく『忘れていいよ』なんて云えない。
そんな事を云えば、逆に気にするに違いない。
…いや、云った方がいいんだろうか…?
どう判断していいか解らない。
わざわざ私から蒸し返すのもちょっと…て感じもするし。

「聖さま手が止まってますよ!ホワイトソース焦げちゃいます!」
「おっとと、ちょっとぼんやりしちゃった」
「嫌ですよ、茶色い点々が混じったグラタンなんて」
「はーい。なんだか祐巳ちゃん、今日は教育ママみたい…」

ボソリと呟くと「なんですって!?」と目を吊り上げた。
まあるい目をほんの少し、だけど。

チキンの方に目を向けると、祐巳ちゃんが「聖さま」と私を呼ぶ。
その声が、静かで私はなんだか急に落ち着かない気持ちになってしまった。

「…やっぱり、私は聖さまの『昔』の事が、気になってしまうんです」
「…え」
「でも、志摩子さんに今日の帰り道に云われました…気になるのは、当然の事だって。でもそれは私が聖さまを好きっていう証拠だから…って。どうしても気になって心が痛んでしまったら、聖さまにそう告げるといいって…」
「……」

私は、静かな祐巳ちゃんの声を黙って聞く。
気にならない訳など無い。
私を好いてくれているのなら。

「だから…云います…聖さま…」

焼き上がったチキンを皿に乗せながら、まるで料理をしながらの雑談かのように、なんでもない事のように、祐巳ちゃんが呟いた。

「…過去は消せません。解っているんです。今の聖さまは、その事があったからいるんだって。解っているけど…でもやっぱり少し、気になってしまうんです…」
「…うん…」
「でも、解っているんです。キチンと。解ってますから。解って…ますから…」

皿をテーブルに運ぶ為に背を向けた祐巳ちゃんの、肩が細かに震えている。

「祐巳ちゃん…」

私は、その肩にそっと手を置いた。

「ダメです」
「え?」

祐巳ちゃんのちょっと強い声が云った。

「ダメです。これは私が越えなくちゃいけない事なんですから」

つい、と私の手から逃れて、祐巳ちゃんが云った。

「それに手を止めちゃうとホワイトソースが焦げますからね」




ちょっと顔を洗ってきます、と云ってキッチンから消えた祐巳ちゃんに私はソースを混ぜながら思いを馳せる。

出来るなら、忘れて欲しい。
でも、それではいけないんだ。

祐巳ちゃんが、私の中に栞を見るように、私も祐巳ちゃんの中に祥子を見てしまってどうしようもない気持ちになる事がある。
乗り越えなくては、ならない気持ち。

忘れてくれたらいい…それは望んではいけない事。

でも、望んでしまう事。

私は栞を忘れない。
祐巳ちゃんも、祥子を忘れない。

ずっとずっと、心から消してはいけない人。


でも、思ってしまう。
祐巳ちゃんも、きっとそうだろう。


忘れてくれたらいい。
その心から、すべて消して私だけ。

そう思う事は、やめられそうにないから。


…to be continued


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