切なさを知る日




……ふと、思い出した。
記憶と共に、あの時の切なさが。

膝の上の、祐巳ちゃんの髪をゆっくりと撫でる。
…その手が震えそうになるのを、抑えながら。









「一緒に旅行出来て、一緒にお風呂入れて嬉しいんだから、許してよ」

思わず、いつものように茶化していた。
どうして私はそんなに自分の気持を告げるのが恐いのだろう。

どうしてハッキリ告げられないのか。

君が好きだから。
君が好きで、いつでも君に触れていたいから。

そう云えばいいじゃないか。
きっと、なかなか本気にはしてくれないかもしれないけれど。

でもそれは自業自得。
今までの自分の行動がそう思わせるんだから。


あの数週間前の連休。
二泊三日のお泊り、奇しくもこの旅行と同じ二泊三日。
その最初の日に、私たちは初めて肌を合わせた。
唇を重ねるだけでも充たされていた、あの頃にはもう、戻れない処に来てしまった。
肌を重ねる事に因って更なる充足感を感じてしまったから。
そして更なる渇きも、知ってしまったから。
私の腕の中で、私の手の動きで…唇で、祐巳ちゃんが艶やかに変わる事を……知ってしまったから。

一度充たされてしまえば、次はもうそれでは充たされる事は無い。
もっと、もっと、と更なる充足を求めてしまう。
もっと…と、祐巳ちゃんも求めてしまう。

だから。
だからきっと、それを知られたくなくて、それを誤魔化す為に私は茶化してしまうんだろう。
誤魔化す為に、誤魔化すのだ。
私自身を。
君を。

…そんな私に、祐巳ちゃんは気付いたのかもしれない。

自販機で買ったアイスを、何を思ったのか私の浴衣の袖口から滑り込ませて、思い切りアカンベーをして丁度開いていたエレベーターの扉に体を滑り込ませてしまった。

まぁ、鍵を私が持っていたのを忘れての行動だったんだろうけど。
私が部屋にたどり着くと、祐巳ちゃんはドアの傍にしゃがみ込んでいた。


「…君は、一体何をしたかったんですかね…?」

そういう私に、不安そうな、それでいて何処か探るような目を向ける。
私が何か云うのを、待っている。

けれど…私は何も云えず、ただ「アイスが溶けるから」と全然見当違いの事を云いながら、祐巳ちゃんを立たせてドアを開けた。

…何を、云えというのか。
祐巳ちゃんが、私の答えを待っているのは解っている。
でも、何を云っていいのか、解らず。

そんな私の動揺を知ってか知らずか、祐巳ちゃんはベッドに座って自販機で買ったアイスを袋から出したものの、ジッと見詰めている事のほうが多かった。
そんな事をしているもんだから、ゆっくりとアイスが溶け始めていく。
とろり、と祐巳ちゃんの手に溶けたアイスがアッと云う間に伝いはじめる。

「あ」

溶けたアイスが手首まで行く、という時に無意識に祐巳ちゃんの手を取っていた。
そして、ゆっくりとそれを舐め取る。

「…っ!」

祐巳ちゃんが、息を飲んだ。

「甘いね」

そう云いながら、私は祐巳ちゃんの手に流れているアイスを舐め取った。
ちらりと盗み見ると、真っ赤な顔でモジモジとしている。

もう手に流れるアイスなんか、殆どない。
でも、私はソレをやめる事が出来ない。
ゆっくりと、まるで祐巳ちゃんに見せ付けるように手を舐め上げる。

祐巳ちゃんの頬の赤さに、段々と恥ずかしさだけではなく、別のものが混じり始める。

「あ、あの…聖さま…」
「何?」

上目遣いで祐巳ちゃんを見る。
でも、手を舐め上げる行為は、止めない。
ふるふると手が震えているのには気付いている。
いや、気付かない筈が無い。
私はワザと手の甲から、指先へと舌を這わせていく。

「せ、いさま……も…やだ…」

搾り出すようにそう呟くと、祐巳ちゃんはベッドから腰を上げた。
それを引き止める事はしない。
私はするりと手を滑らせる様に離した。
すると、泣きそうに顔を歪めてラバトリィに駆け込んでいく。

…間違えた?
私は今、手を離してはいけなかった…?
あまり追い込み過ぎるのはいけないかと思って逃がしたのに、そうではなかった?

水音が聞こえる。
多分アイスを流しているんだろう。

私は、手についていたアイスを舐め取り、そのまま髪を掻き上げた。

…加減が、解らなくなっている。
どこまで許されているのか、解らない。
どうして欲しいのか、解らない。

無理強いは、したくない。
でも…さっきの祐巳ちゃんの表情は…引き止めて…行かせないで欲しかったのだろうか?

掻き上げた前髪を握るようにしながら、溜息を洩らした。
どうしたら、よかったのか。

ふと、自分を照らす月明かりに私は立ち上がり冷えた硝子に手をついて月を見上げる。
『CRY FOR THE MOON』という言葉が、頭を掠めた。

目には見えていても、触れる事は出来ない。
夜空の月が欲しいと泣く子供。
水面に映る月は、触れようと手を差し入れればたちまち波立つ水面に歪んでしまう。

手に入らないものを欲しがる事…無いものねだり、という意味。
…私は思わず、冴え冴えとした月に窓ごしに触れようとした。

その時、背中に温かさを感じた。
腕が回され、やんわりと抱きしめられる。

「…どうした?」

声が、掠れてしまった事に、気付かれただろうか?

「どうした…じゃないです」

喘ぐような、それでいて何かを押し殺すような声。
回された、腕の力。
浴衣を握る指。

…私に、どうしろって云うの。

「…祐巳ちゃんは、私にどうしてほしいの」
「え?」

声が、震える。
私を抱きしめる、祐巳ちゃんの甘やかな力。
眩暈がする。
もう、立っているのも、やっとだ。

「意識、してるみたいなのに、素っ気無い態度取るし。それでいて、私の事をそんな目で見てるし。旅行でここに来て…こんな風に夜を一緒に過ごすの、この間うちに泊まって以来だし…だからって、がっつくみたいに覆い被さるのは何かどうだろうって思うし…」

どうしろって云うの。
このままじゃ、生殺し。
拷問に近い。

確かに、それくらいは覚悟の上だけれど。
覚悟の上で、私は祐巳ちゃんを欲したんだけれど。

でも。

「その気が無いなら、ベッドに入ってもう休もう?明日はちょっと回りたいし…」

でも、こんな風に私たちを知っている人間がいないに等しい地で、これは…辛い。
祐巳ちゃんの手を離そうと手に手を掛けた。

「聖さま」

祐巳ちゃんの手が、ギュッと力を込めて更に強く抱きしめてきた。

「…一緒に、休みませんか?私のベッドで…その…ほら、ここのベッド、聖さまのお部屋のベッドと同じか、それ以上の大きさですから、二人で眠っても…」

私は、目を閉じた。

…どうしろって云うのよ。
私はそっと腕を解かせると振り返り、祐巳ちゃんを抱きしめた。

私に、どうしろって云うのよ。

ただ『一緒に眠ろう』って云うのか。
それとも、そういう意味で『一緒のベッドで』と云っているのか。
どう判断していいのか、解らない。

もしただ『一緒に眠るだけ』だと云う意味だとしたら。
それに気付けずに抱こうとすれば…祐巳ちゃんを傷付けてしまう事にならないか?

もしそういう意味で『一緒のベッドで』と云っていて…私が祐巳ちゃんの気持に気付けず触れなければ…祐巳ちゃんはそう思った自分自身に自己嫌悪してしまうのではないか?

完全に、迷い込んでしまった。
動けない、私からは。

恐くて。


「…せ…い、さま…」

そんな私に気付いたのか、気付いてないのか…解らないけれど。
祐巳ちゃんが私の胸から顔をあげて顔を覗き込んできた。

「聖さま…どうして震えているんですか…?」

私は、茫然と祐巳ちゃんの顔を見てしまった。

「震えてる…?」
「はい…何が恐いんですか…?私は、ここに居ます。聖さまは独りじゃないんですよ…?私には…云えない?」

寂しい表情で無理矢理に微笑んで見せる祐巳ちゃんに、私は胸に刺さる何かを感じる。
そんな顔をさせたい訳じゃないのに。
でも、させたくないのに、させてしまう事が…多い。
私がさせてしまう。

「恐いよ…」
「何がです?」
「祐巳ちゃんを傷付けてしまう事が」

そう云って、私は祐巳ちゃんを掻き抱いた。

堂々巡りだ。
何度も何度も、ハマり込んでしまう。
まるでメビウスの輪だ。

「…例え傷付いたとしても…聖さまになら…」
「やめて…!」

それこそが、一番の恐怖だ。
それが如何に恐ろしい事か。

「そんな事、云わないで…!」
「聖さま…」
「お願いだから…」

傷付けたくない子を、私自身が傷付ける。
守りたいと思っている、その私が。
それ程恐ろしい事は無い。

「ごめんなさい…」

背中に回された手が、浴衣を握っている手が、強く握られる。

「ごめんなさい…聖さま…」

そう云うと祐巳ちゃんの手がゆっくりと離れた。
そして私の頬に触れると、そっと唇に触れてきた。

温かい唇に、泣きそうになっていた私の目から涙が零れた。
そんな自分が、嫌だった。
どうして私はこんなに弱くなるんだろう。
祐巳ちゃんの為なら、強くなれる。
何者にも傷付けられる事などない。
そう思うのに…
なのに私はこんなに簡単に涙を零してしまう。
こんな自分が嫌だった。

「聖さま…泣かないで…聖さま…」

祐巳ちゃんの唇が涙に濡れる頬を滑る。
心臓の動きが、速まっていく。
浅ましい、自分。
祐巳ちゃんに欲情している。
いつでも、祐巳ちゃんを欲している…自分。
あれ程自分の行動が祐巳ちゃんを傷付けるかもしれないと悩んでいたのに、今ではその肌に唇を這わせる事しか頭になくなっている。

次に祐巳ちゃんの唇が私の唇に触れたら…きっと。

「…私の言葉が、聖さまを惑わせてしまったんですね…」

まぶたに触れながら、祐巳ちゃんが云う。
そして、祐巳ちゃんの手が、私の襟元に掛かる。
指が、肌に触れる。

「…恐かった」

祐巳ちゃんが、私の目を覗き込むように見つめる。

「はい…」
「…今も、恐いよ」
「…はい」


その目が、閉じられて、ゆっくりと唇が重なってきた。




「触れて、いい?」
「…私に触れていいのは、聖さまだけです…」





私は、浴衣の襟が直ぐに乱れて開いてしまう事と、そして細帯が簡単に解けていまう事を、その時知った。






執筆日:20050128〜29


く、暗い…
どうして私が書く聖さまってこう暗いんだろう…
もっとポジティブに…!って、無理か。
私が書いているんだもん(渇笑)

『肩ごし』の聖さまVer.です。
こんな感じだったんです。


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