白い心と小さな火
(聖)






あの頃の私は
神を蔑み
神に感謝し
そして神に絶望した

あなたは、私がやっと見つけた白き光を
この世界に存在していても良いのだという許しを
私の目の届かない所へと隠してしまった




こんな風に栞の事を誰かに話せる様になるなんてねぇ…

私は正直、自分に対して驚いていた。
私が知らない内に、生徒の間で私が『いばらの森』という小説を書いたのではないかと噂になっていたらしい。
生徒指導室に呼び出されるという事は教師達の耳にもある程度噂が届いている、という事。

まぁ直ぐに解放されたって事は教師達も『ただの噂』と思ってくれたんだろうけれど。

噂を知った以上、内容把握の為と手っとり早く読んでしまおうとしていた私に、一週間くらい貸すと祐巳ちゃんも由乃ちゃんも云ってくれたけれど、家では読む気がしなかった。

これでも以前はよく文庫本を手にしていたけれど。
どれだけ読んでも欲しいものが得られなかったあの時、小説嫌いになってしまった。

いや…それだけではないかもしれない。

元々過干渉気味だった母親がその度を増し、あれから1年になろうとしている今でも…あの頃程ではないにしても、家にいるとアレコレと干渉してくるというのも家で読む気のしない理由のひとつ。

…親は親なりに心配していたのだろうとは思う。
けれど、私の自由を尊重しているという態度を見せながら「貴方を信じているのよ」という言葉で縛り、栞への呪詛を吐く母親は醜悪だった。

…しかし、これは家で読まなくて正解だったかもしれない。

多分、独りでは辛すぎだろう。

この『いばらの森』があの頃存在していたら良かったのに、と私は思わずにいられなかった。
あの時と今とでは、また受け取り方も違っていたかもしれないけれど。
もしかすると逆に反発を覚えたかもしれない。
でも思う。
私の栞への気持を説明してくれるものを求めて本を片っ端から読みあさっていたあの時に、出会いたかった。

読んだからといって『答え』などは出ないだろうけれど、少なくとも私の中の説明不可能な気持に共鳴はした筈。

それ程までに、この『いばらの森』のセイは私に似ていた。

人の心の奥の奥…内面は誰にも解らないだろうけれど、あの頃の私を多少なりと知っている人間なら、セイを私だと思っただろう事も、これなら頷けるかもしれない。

折しも季節は冬。
もう直ぐクリスマスがやってくる。

… この両手を栞と結びあっていた、そしてその手が完全に離れてしまったあの日から1年が来ようとしていた。

そんな時に私の前に現れたこの本は、一体私に何を訴え掛けているのだろう。

そしてこの「自伝的小説」を書いた『須加 星』は、『いばらの森』に心を閉じ込めたままで…どんな思いを込めてその閉じ込めていた心を文字にして世に出そうと思ったのだろう。




「会いたいですか」

由乃ちゃんが遠慮がちに聞いてきた。

会いたいですか、栞さんに。

その言葉に私は祐巳ちゃんと由乃ちゃんに、というより自分に言い聞かせる様に云った。

「会わない方がいいから」

今は会わない。
…会えない。

人はそんなに簡単に変われないものかもしれない。
あの時の気持はまだ、私の中で小さな火となって残っている。

…あの別れは、私と栞がこれからも『生きていく』為に必要だった。

あの時の私達が行き着く先は『死』だっただろう。
栞が先に気付いて、私から離れた。

私は栞の手紙を何度も読み返す事によって、それを知った。

私達は生きていく。
離ればなれでも生きている。

でも。

それでも逢えばまた、同じ事を繰り返さないと誰が云える?
その小さな火が勢いを増さないと誰が云える?

私は、弱い人間。

この心の欠けた部分を求める様に栞を求めないと、またも執着しないと誰に云える?




「聖」

そこにいる筈のない人間の声に私は窓の外に向けていた顔をビスケットの扉の方に向けた。
…正直、驚いた。

「…蓉子…貴方、忍者?」

老朽化が進んでいて、昇降にかなりギシギシと音を立てる階段。
それなのに昇ってくる音に全く気付かなかった。
それともその音に気付かない位ボーッとしていたのだろうか。

「忍者って…なに由乃ちゃんみたいな事云ってるのよ」
「だって階段昇ってくる音、さっぱり聞こえなかったわよ」

呆れた様に云いながら蓉子は私の前に立って云った。

「…で、どうだった?」

主語を抜かされた言葉に私は思わず苦笑した。

…蓉子も『いばらの森』を読んでいたのだろう、多分。
「小説の作者は私ではない」と云った時、蓉子は「本当に貴方が書いたんじゃないのね?」と確認してきた。
『いばらの森』の存在を今日知った私とは違って、蓉子の耳にも既に噂は届いていて、原物を読んでいたのだろう。

もしかすると、祥子からでも何かを聞いたのかもしれない…そう思った後でそれは否定する。
祥子が蓉子にソレをする光景が思い浮かばなかった。

「なぁに?蓉子もアレを読んで、私が書いたんじゃないかとか思ったクチ?」
「…私は貴方に文才があったなんて知らなかったし、それ以前に貴方が栞さんとの事を世に出すなんて事、考えられなかったから違うとは思っていたけど」
「いたけど?」
「内容が内容だったし…それとあまりに、貴方に似ている気がしたから、驚いた」

あの頃の事を詳しく知っているのは、リリアンを卒業されて外部の大学に行かれているお姉さまと、蓉子だけだ。
もしかすると江利子も知っているかもしれない。

「…話したの?」

またも主語抜きの言葉に私は苦笑する。
他の人にはこんな話し方はしない筈だけど。

「まぁね。だってあの子達だけ蚊帳の外っていうのもね…随分心配掛けちゃったんだし」
「……」
「それに、みんなが私を思って心配して守ってくれようとしてるのは解っているけど、あの子達も大事な仲間だから。憶測とかじゃなくて知ってて欲しい事だったから……蓉子?」

ふわりと、背中に蓉子のあたたかい手が回された。
私は椅子に座っていて、蓉子が被う様にしてきたから、丁度蓉子の肩に額が当たる。

「蓉子?」
「…ここ、寒いわね」
「ああ…暖房止めちゃったから…って寒いからこんな事してるの?」
「そうよ…凍えない様に」
「凍え …って、んなオーバーな…」

苦笑して軽口を叩く。

「眠っちゃ駄目だー眠ると死ぬぞーって?」

そんな事も云ってみる。
けれど、蓉子は何も云わない。
ただ私を『暖めて』いる。

何故か、涙が溢れてきた。

それを蓉子に覚られない様、こぼれない様にまばたきを繰り返した。

お姉さまが卒業されてから、私はこんな風に蓉子に守られてきたのだろう。

栞の時も志摩子の時も、蓉子は私以上に私の心の内部を見透かしているかの様な言葉を投げつけてきた。
人は図星を指されると怒る事しか出来ないのだ、という事を私は蓉子に因って知らしめられた。
お蔭で私は何度その頬を叩いてやろうかと思ったかしれない。

でもそんな事を何度も何度も繰り返してきたからこそ、私は蓉子を信頼しているのだ。

『蓉子の出した答えこそ、私にとって正しい』などという危険な事を思ってしまう位。

栞を知らなかった頃の私は神を蔑んでいた。
こんなに憐れな子羊を何故救ってはくれないのか、と。
そして栞と出会った朝、私は栞をこの世界に産み落としてくれた事を神に感謝した。
けれどイエス様の生誕日に、私から栞を奪ってしまった神に絶望した。

神様なんていない。
神様なんて信じられない。

でも、私は神を信じる事は出来なくても、蓉子は信じられる。
そして信じられる仲間もいる。

私には信じられるものがあるのだ。


「…蓉子」

自分自身も痛い思いをしながらも本気の言葉をぶつけてくれる人。

「…胸が当たって息苦しい」
「!」

バッと離れて行く蓉子にわざとらしく深呼吸をする。

「女の子の胸で窒息死っていうのも憧れる死に方のひとつかもしれないけれど、リリアンで、しかも薔薇さま同士がってのはちとヤバいんじゃない?」
「聖!」

蓉子が真っ赤になってこぶしを振り上げる。

「きゃーっ!ボーリョクはんたーい」

あはは、と笑いながら自分と蓉子の鞄を手に取りビスケットの扉を開いた。

いつもより大きな音を立てながら二人で階段を降りていく。

有難う、なんて面と向かって云うつもりなんてないけれど

蓉子、貴方がいてくれてよかった



fin



後書き

執筆終了日:20031204
聖さま話です。今更ですけど『いばらの森』に絡めた話になってます。
っていうか、今だから書ける話なのかも…
いつもの様に「こんなの聖さまじゃないわ!」と思われる方多々いそうでゴメンナサイ…


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