それもひとつの愛のかたち
夏旅行番外・祐麒編
-後編-




『大人』になっていると思う。
祐巳は、俺よりも『大人』になってしまっていると思う。
もしかしたら、もう俺の手が届かない辺りまで、行ってしまっているかもしれない。

焦りを感じていた。
置いて行かれたくない、と。
確かに祐巳は俺より少し先に生まれた姉だけど。
でもその割に、何処か幼くて、時には俺の方が兄に見られたりする事だってあった。

なのに。
いつからか、祐巳は年齢と同様に俺の一歩先を歩き出していた。

梅雨時期に、祥子さんとゴタゴタがあった後の頃から何処か大人びてきて。
佐藤さんが顔を見せるようになってきた頃から、落ち着いてきて。
気がつけば、祐巳は俺の一歩も二歩も前を歩いていた。


…俺は、まだ小さな頃の気持を思い出した。
一歩先を行く、小さな祐巳。
その後とちょこちょこと追い掛ける、小さな俺。
まだ『お姉ちゃん』ともはっきり云えなかった幼い頃……

今では、俺の方が祐巳より背が高くなった。
手足だって、長い。
花寺の学園祭の時、祐巳は俺の制服が大きいとブツブツ云っていた。
…それなのに。

俺は、置いていかれる。
また、あの小さな頃のように。
『待ってよう、おねぇたん!』
そう云いながら先行く祐巳の背中を追い掛けていた…あの頃のように。








俺の表情を読んだのか、先輩が苦笑をもらした。

「すまない、ユキチ」
「…は?」

謝られて俺はハッとして柏木先輩の顔を見た。
柏木先輩の顔は、申し訳なさそうな…それで居て何処か面白くなさそうな表情で、いっそ新鮮な感じがした。
いつもは自信有り気で、尊大な感じの…それでいて人懐こくて憎めない…そんな人だから。

「…ちょっとね…羨ましいのさ…僕は、佐藤くんの事が…ね。だからついユキチに八つ当たりをしてしまった。悪かったね」
「…八つ当たり…?」

謝られて、それまで俺の中に燻り出していた感情が、急に行き場を無くしてしまって不完全燃焼を起こす。
…羨ましいとか、八つ当たりだとか、さっぱり意味が解らない。

っていうか、なんで佐藤さんを、先輩が羨ましがる?

そんな俺に先輩は笑みを浮かべる。

「祐巳ちゃんも表情が豊かだけど、ユキチも相変わらずだな…僕の言葉の意味がさっぱり解らないって顔をしているよ」
「……っ」

そうなんだ。
いつでもこの先輩は俺の表情を読んでは笑っている先輩だった。
相変わらず、と云われて成長してない自分を見透かされた気分になる。

「…ユキチ。別に僕はお前をけなしたり、からかうつもりで云っている訳じゃないよ」

また、表情に出ていたらしい。
俺はなんだか悔しい気持ちになって唇を噛んだ。

俺は、この先輩には敵わない。
俺よりもずっと大人でなんでも軽々とこなしてしまう、まるで全知全能みたいに全てにおいて万能な、この先輩には。

別にこの先輩みたいになりたいと云う訳ではない。
断じてない。

でも、それでもずっとこの先輩の近くにいて見せ付けられている俺には、どうしても基準がこの先輩になってしまっている事は認めなくてはいけないだろう。

「…僕はね、ユキチ。正直、彼女の事は好かないんだよ。妙に弁が立つし、何よりこの僕に対抗してくる処が気に入らない」
「…似たもの同志なんじゃないですか?」

ぽつりと云うと、睨まれた。
だって、似てるんじゃないのか?
だから逢えばハイレベルな云い争いをしているんだと、俺は思うけど。
そう、同族嫌悪って云うのか…そんな感じ。

こほん、と咳払いをすると、先輩は「だがな」と続けた。

「だが、僕は今、彼女が羨ましくてならないよ」
「…なんで…?」
「彼女は、彼女の想いに気付いてもらえて、受け入れてもらえて…そして選ばれた」

そう云う先輩の目が、何処か寂しそうに細められた。
何故そんな目をするのか俺は解らず首を傾げた。
それに…『選ばれた』という言葉も引っ掛かった。

「不思議そうだね、ユキチ。だけどね、人の想いなんてものは、なかなか叶うものじゃないんだ。想う気持なんてものは、常に一方通行だから」

そこで止めると、松平さんが置いていったお茶に思い出したように口をつけた。

人の気持は一方通行…
なんで先輩はそんな風に考えるんだろう。
確かにどうしようもない人だと俺は思うけれど、でも高等部の頃、この人を慕う人はそれこそ沢山いて、生徒会には源氏物語の柏木の帖に引っ掛けて『光の君』なんて呼ぶ人間が集まってきていたのに。

「確かに僕を慕ってくれるヤツは居たけれど…でも僕はその全てを受け取る事は出来ないよ」

…また表情に出ていたのか、考えていた事が読まれた。

「その面からも、僕は気持は一方通行だと思うんだよ。でも、想う心に気付いてもらえて、更に受け入れてもらえたら…そこからは一方通行ではなくなる。想いに想いで返されるって事だからね」
「でも…その理屈で云えば、どちらも一方通行のままなんじゃ…?」
「そうかな。…うん、そうかもしれないけれど…でも自分が想う気持に想い返してくれるなら、一方通行じゃない気がしないかい?」

…わからない。
なんだか頭が混乱してきた。

「難しく考える事は無いさ。でも僕はそう考える。だからこそ、僕は佐藤くんが羨ましくて、そして妬ましく思う。だって彼女は祐巳ちゃんに想いを気付いてもらえて、受け入れてもらえたんだからね。彼女は、祐巳ちゃんに選ばれた人間なんだよ」
「その、選ばれたってのは…?」
「傍にいる事を許された、限られた人間って事さ。彼女だけが、祐巳ちゃんの傍に寄り添える。触れる事を許された、選ばれた人間なのさ」

ちょっと待て。
それなら、祐巳だって佐藤さんに『選ばれた』って事になるんじゃないのか…?

お互いに、選んで、選ばれて、近くにいる。
傍にいる。

…『傍にいる』?
今、何かが引っ掛かった。
なんだろう。

「その佐藤さんを羨ましいって、思うって事は…先輩も誰か気持を受け入れて欲しい人間がいるって事ですか?…いや、さっき『受け取れなかった』気持があるとか云ってた…なら、ずっと先輩には気持に気付いて欲しかった人間がいたって事に…」
「……そうだね」

先輩の目が、痛みを含んだ目で俺を見た。

…?
……あれ?

俺はふと、何かを思い返す。

そういえば、この人は俺を見掛ける度に俺を羽交い絞めにしていなかったか?
近くに居たら、べたべたべたべたと暑苦しいくらい傍にいなかったか?
傍に、俺を置いてなかったか?
卒業した後も、ちょこちょこ顔を出していなかったか?

………あれ?


なんだか、気付かない方が幸せな事に気付き掛けていないか…?

ま…さか…なぁ…?


目の前の、先輩をソロリと見る。
すると、なにやら、どこか嬉しそうな顔をした先輩が俺を見ていた。

…頭の何処かで、警報がなっている気がする。

何だか、俺はこのままここにいちゃいけない…そう思ってソファから立ち上がった。
一刻も早く、この場から離れなくては!

「先輩、俺、そろそろ帰ります」
「そうか?そういえば図書館には調べ物をするために行ったんだろ?僕のでよければ貸してあげるけど」

急に『良い先輩』の顔をするこの人に、心の中で舌を出した。

その手に乗るか。






そんな事があった数日後。
用を終えて帰った小林が早速家にやってきて、旅行中の祐巳たちにあった事を聞いた。
そんな事は有り得ないと思っていたのに、それが現実になっていて正直驚いた。

「見覚えのある髪型の子がいるなーと思って近付いたら、なんと本人でさー?偶然ってスゲェよなーって思ったよ」

そう云いながら、小林は北海道土産だ、と饅頭やら限定商品やら何やらを部屋の中にぶちまけた。

それを見ながら、俺はあの日の柏木先輩の言葉を何気無く思い出す。
小林が急に北海道に行った日に、家に連れて行かれて聞いた言葉を。
佐藤さんを、羨ましいと…そう云っていた、先輩を。

「で?ユキチよ、あの後柏木にまた拉致られたのか?」

…俺は傍に置いてあったお茶を運んできたトレイの角で小林の頭をぶん殴っていた。
その後の騒ぎに、祐巳が何事が起こったのかと俺の部屋を覗きに来た。










さっき、祐巳の部屋を覗いた時に佐藤さんが来ていて、祐巳は勉強疲れで眠っていたらしかった。

ひょい、と祐巳の部屋を覗いた小林が、「うーん」と唸りながら途中のコンビニで買った温かい缶コーヒーのプルタブを開けた。

「んだよ。何唸ってんだ?」
「…祐巳ちゃん、ひざ枕されてたなぁ…いくら仲が良くったって、するか?普通」

内心、舌打ちをする。
ヘンな所で目敏いヤツだ。
俺は気付かなかったのに。

「ああ…二人ともリリアンの生徒だからな…俺らには解らん処もあるさ」
「まぁな…姉妹制度なんつーものがある学校だもんな…って、でも祐巳ちゃんと彼女は姉妹じゃないじゃん」
「祐巳とあの人は高等部の頃から仲良いんだよ」

うーん、と小林はまだウダウダ考えている。
いいじゃんか、放っておいてやれよ、もう。
俺は佐藤さんが来ている時、なるべく祐巳の部屋には行かないようにしてるんだよ。

花寺だって、『外出中』の札が掛かっている保健室に入る時は注意しろ、とか、昼休みの体育館倉庫には近付くな、とかあるだろうが。
あれと同じだよ…って、ちょっと違うか。


「そういえばさ、初詣、お前柏木の車で来たよな。何で?」

な、何でって…

「お前が云わなくてもいい事をヤツに洩らしたからだろうがぁ!」

…そう。
相変わらず、柏木先輩は俺を見掛けると、いつものようにやってくる。
だけど…何故だか、夏のあの日以来、邪険に扱う事が出来なくなっていた。
何故なのか…本当に解らない。

ただ、時折先輩が傍にいる時、あの時先輩が云った言葉を思い出す事が多かった。

例えばこんな言葉。

『人の想いなんてものは、なかなか叶うものじゃないんだ。想う気持なんてものは、常に一方通行だから。でも、想う心に気付いてもらえて、更に受け入れてもらえたら…そこからは一方通行ではなくなる。想いに想いで返されるって事だからね』

そして続いて、こんな言葉も思い出す。

『彼女は祐巳ちゃんに想いを気付いてもらえて、受け入れてもらえたんだからね。彼女は、祐巳ちゃんに選ばれた人間なんだよ』
『その、選ばれたってのは…?』
『傍にいる事を許された、限られた人間って事さ。彼女だけが、祐巳ちゃんの傍に寄り添える。触れる事を許された、選ばれた人間なのさ』


どうして、俺はこんな言葉を思い出すんだろう…
自分でも、不思議でたまらなかった。




執筆日:20050212

一応後編です。

「危ないぞ祐麒!ヤツの毒牙に掛かるな!」というメールを戴きました(笑)
どうでしょう。
マズイですか?祐麒。


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