それもひとつの愛のかたち
-夏旅行番外・祐麒編-




思いも寄らない処で思いも寄らない人間に逢う。
まさか祐巳が佐藤さんとの夏の旅行の時、小林に逢うなんて、本当に思いも寄らなかっただろう。
それは当然小林も同じだったみたいで。
でも祐巳には、小林がそれをどんな風に思って、そしてどんな風に俺に云うのか、全然見当もつかなかったに違いない。

そしてその頃、俺自身思いも寄らなかった出来事に巻き込まれていた事を祐巳は知る由もなかっただろう。










「はぁ!?それじゃこれから北海道に行くのかよ!」

俺は自販機コーナーで、コーラのプルタブを引きながら小林に云った。
図書館で待ち合わせていた俺の顔を見た途端「悪い!」と小林は手を合わせてきた。
なんで図書館なんかで待ち合わせたかって云うと、そこは悲しき受験生ってヤツで。
俺だってこのクソ暑い中、本当ならプールで待ち合わせしたかった処だ。

「許せユキチ!俺だって出来れば行きたくなんかないし、行かないつもりで動いていたんだが…」

家庭の事情ってヤツなんだろうな。
まぁ解らない訳でもない。
どうしてもって事も存在するんだし。
だから俺はちょっと大袈裟な溜息をつく事で許してやる事にする。
子供は親に逆らえない時もあるんだし。
それに意地になって親に逆らい続ける時期なんてものは、とうに過ぎ去っているだろう。

「仕方が無い、行ってこいよ。ただし、土産は二割増で頼む」
「ホント、悪いな。お前のは三割増で考えとくよ」

小林の申し訳なさそうな顔に苦笑する。
今年の夏の予定は殆どが一緒だった。
けれど、そこはお調子者でも小林なりにすまないと思ってくれているんだから、こちらも引いてやらなければ。

しかし、奇遇だな…と思う。
今朝、祐巳が佐藤さんと北海道三泊四日の旅に出た。
去年の祥子さんの別荘に行った時のように、親父の車でM駅まで行って佐藤さんと合流後、飛行機で北の地へ。
帰ってきた親父は「佐藤さんって祐巳ちゃんのふたつ先輩なんだろう?父さん、あまり逢った事なかったけど、綺麗な人だよなぁ…祥子さんとはまた違った美人だな」と母さんと俺に云っていた。
母さんは前々から佐藤さんのファンだったから、それはそれはうっとりした顔で「本当にねぇ…祐巳ちゃんは良い先輩が多いから良かったわ」と返していた。
微妙に会話が噛み合っていなかったのが苦笑を誘ったが。

だけど…仲良き事は美しき哉、と云うけれど…ちょっと複雑な弟の心を、祐巳は解っているんだろうか。
両親は知らない事を、俺は薄々…なんかじゃなく、知っている。
祐巳は佐藤さんと親密になってから、一歩も二歩も俺の先を行ってしまっている。
去年の学園祭準備の頃に感じた焦りより、更なる焦りが今の俺の中にはある。
なんだか…さっさと大人になっていく祐巳に、俺は複雑ながらも後を追い掛ける事しか出来ない。
姉弟だから…なんて事以前に、祐巳は俺より先に大人になっていってしまっている。
おみやげ期待しててねーなんて云って出て行った祐巳を思い出して、さっき小林についたのとは別の溜息をつきそうになった。

「で?北海道のどの辺行くんだ?」

一言に『北海道』と云ったって広いんだから、きっと小林と祐巳たちが遭遇するなんて事は有り得ないだろうと思いながらも、なんとなく聞いてみた。

「ああ、南の方だ。親が行けないからって俺に白羽の矢が立った。受験生なのにな、一応」

大変だな、と云おうとした時、何故だろう…背筋に悪寒が走った。
程よくエアコンの効いている図書館。
だがエアコンで体が冷えたせいではないのは、目の前の小林の驚いた表情で悟った。

「そりゃ花寺の生徒会役員、その位で優先入学出来ない息子ではないだろうと、ご両親の信頼を得ているのだろう」
「どわっ!」

背後から腕を回されて羽交い絞めにされ、俺は思わずおかしな声を上げてしまった。
いくら自販機コーナーが閲覧室から少し離れたところにあるとはいえ、静かな図書館では不躾に響いてしまう。
司書のおじさんがこちらを見ているのが解った。

「か、柏木先輩…!」

こんな事をする人間は他に居まい。
小林の声を聞く前に俺は腕の主が誰か、解っていた。

「あーユキチのこの反応…これが聞きたかったんだよ、僕は。来た甲斐があったなぁ」
「は、離して下さいよ、暑苦しい」
「暑苦しい…て、冷たいなユキチ。たまには先輩を敬ってはどうだろう。損は無いと思うのだが」
「確実に俺は損すると思います。絶対」

やっとの事で腕から逃れて一歩離れる。
この先輩の傍にいると、べたべたべたべた暑苦しい事この上ない。
まだ高等部にいた頃から、この先輩は人の顔を見れば近寄ってきては羽交い絞めにした。
しかも何の因果か生徒会役員にまで指名されるわ、卒業する時には次の生徒会長に指名して行くわで…なんの恨みがあるのかと悩んだ事もあった。

勿論噂やら何やらでゲイだって事は知っていたが…まさか自分がその対象になるなんて想像もつかなかったし。
去年の正月、祥子さんの家に連れて行かれた夜、本気なのか冗談なのか今だに解らないが迫られた時に、やっと自分もそういう対象になるって事を知ったくらいだ。

「だけど先輩、何故此処に?」
「何故って…小林、愚問だな。僕だって学生なんだから、図書館にくらい来るさ」
「そりゃそうですけど」

小林の質問は愚問なんかじゃない。
だって、先輩の家には普通の家庭には無い蔵書だとかが半端な量じゃなく書斎にあるらしく、図書館などに来なくても用は事足りるんだから。

しかし。
一体いつから俺たちの話を聞いていたんだろう。

「飛行機で行くんだろう?時間はいいのか?小林」
「あ、ヤバイ。じゃユキチ、俺行くわ。先輩、失礼します」
「へ?お、おい小林?」
「ああ。気をつけて行ってくるといい。ユキチは僕に任せろ」
「はぁ?アンタ何云ってんだ?」

小走りで背を向ける小林にとんでもない事を云い、先輩はヒラヒラと手を振った。
そんな先輩に思わず突っ込みを入れた俺は、そこでハッとするが、時既に遅し。

「じゃあ行こうかユキチ♪」
「へ?ちょ、あの」

腕を取られて引き摺るように図書館から出て、真っ赤な車に乗せられてご丁寧にシートベルトまでされてしまってから、俺は逃げ遅れたことに気付いたのだった……












「…粗茶ですが」

応接間に通されて、所在無げにソファに座っていると、祐巳の後輩の子がお茶を持って現れた。
松平瞳子って云ったっけ。
確か、先輩の従妹だったはず。

…こういうところでも、繋がりというものがあってしまう事に俺は溜息をつきそうになる。
とことん、柏木先輩とは縁があるようだ。
しかも、祐巳の自慢の『お姉さま』の祥子さんも先輩の従妹なんだから始末に負えない。

そこに席を外していた先輩が戻ってきて、松平さんを見て目を丸くした。

「あれ?瞳子、来ていたのか…なんだか去年の再来のようだなぁ」
「…全くですわね。で、今年もおばさまから瞳子が様子を見に行くように頼まれたんですから、相変わらず優お兄さまは信用が無いのね」
「そんな事云って、瞳子は祐巳ちゃんも一緒に来ているんじゃないかって思って引き受けたんだろう?」

爽やかな人好きする笑顔を向ける先輩に松平さんはプイ、と横を向き「そんな事考えてなどいませんわ」と云う。
でも、俺はさっきドアを開いて応接間に入ってきた時、ほんの少し落胆の表情をしたのを見てしまった。
少しは、期待していたに違いない。
去年初めてこの家で逢った時も思ったが、この子は祐巳を好きなんだな…と思った。
学園祭準備の時も、この子が祐巳の姿を目で追っているのを何度か見掛けているし。

「あれ?だけど、瞳子は今年こそカナダに行くんじゃなかったのか?」
「気が変わったんです」
「ふうん…まぁいいさ。処でユキチ、祐巳ちゃんは元気なのかい?」

柏木松平従兄妹の会話をぼんやり聞いていた俺に先輩は急に話を振ってきた。
しかも祐巳の話題かよ。

「元気ですよ。祐巳なら今、先輩と一緒に旅行に行ってます」
「先輩?さっちゃんなら別荘に行っているけどはずだけど、今年も一緒なのかい?」
「ああ、いえ、祥子さんではなくて…」

思わず俺はそこまで云って、ハッとして言葉を濁した。
何故そうしたのかは、自分でも解らなかったけど。
そんな俺に、松平さんは何かを察した表情をした。
それを見て、やっぱりこの子は祐巳を好きなんだな…なんて思った。
表情にほんの少し苦いような、切ないような表情が混じっていたから。

「さっちゃんじゃない先輩ねぇ……それじゃ彼女かな?へぇ…一緒に旅行に行く程の『仲良し』なんだ、祐巳ちゃんと彼女は」

思わず、その云い方にムッとする。
何か含みがあるような気がしたからだ。
その含みはどういうモノなのか、俺には理解出来ないものだったけど、松平さんにはそれが解っているみたいで、「用があるので、これで失礼します」と立ち上がった。

「お兄さま、あまりハメを外さないように、とおばさまが云ってらしたわよ。では祐麒さん、ごゆっくりなさって下さいね」
「あ、はぁ…」

応接間を出ていく松平さんに「おいおい瞳子、ハメってなんだい」と先輩は苦笑混じりに云った。




ぱたん、とドアが閉まって、先輩はソファに深く腰を掛け直した。

「…しかし…佐藤くんと祐巳ちゃんが、ねぇ…」

俺を流し見ながら云う。
その云い方が癇に障る。
何が云いたいのか、と俺は目に力を込める。

「まぁ、佐藤くんの想いが成就したって事なんだから、祝福しなければいけないのかもしれないだろうけれどね」

くすくすと笑う先輩に、段々と厭な気分になってくる。
本当に、何を云いたいんだ?コイツ。

「ああ…純粋なユキチには酷な事かもしれないかな」
「アンタ…何が云いたいんだ?」

思わず俺は『先輩』に使う言葉じゃない…敬語ではない言葉を目の前の男に呟いていた。

「『お姉さん』は『大人』だって事さ。少なくても、ユキチよりずっとね」
「はぁ?何云ってんだ?アンタ」

確かに、祐巳はいつの間にか俺よりもずっと先を行ってしまっている。
いつの間にか『大人』になっていると思う。

でも、何故か俺がそう思う意味と先輩の云う『大人』は別の意味を持っているような気がした。




…to be continued

執筆日:20050211

…思っていたより長くなりそうなんで、一旦ここで区切ります…
ダメだ…シリアスにする気なんか無かったのに…何故だろう…



novel top