創作悲劇と温かな涙




私は知っている
その、温かな事を
柔らかな事を
優しき事を

…愛おしさを





「…何莫迦な事云ってるんですか…」
「だってさ?人間なんて、いつ何処で何が起こるか、なんて解ったものじゃないんだから」
「そりゃあそうかもしれませんけど…それとこれとは話が別な気がするんですけど?」

バスの中。

相変わらず、最後部の死角になる部分に二人で座って。
ほんの少しの、密な時間。
柔らかく、絡む指をそっと指で撫でながら。
周りには聞こえない、けれどお互いには聞こえる声で。

「…結構さ、祐巳ちゃんってシビアだよね…なんか欲しがってるの、私だけみたい…」
「な…何云って…」
「…私が、欲張り過ぎるのかな」

ちょっと拗ねた様に、寂しげに呟いてみる。
それに慌てた様に目を覗き込んでくる。
その、いとおしい仕草。

「…もう…今日だけ、ですよ?」

そう云って、目を閉じる。

掠める唇。
この、ほんの少しの密な時間に、ほんの少しの触れ合い。
衆人環視ではないけれど、もしかすると誰かに気付かれるかもしれない、という落ち着かなさの中。

「…聖さまだけじゃ、ないです…私だって…欲しいんですから」

結局は、私に甘く折れてくれる。
この愛しい人を、私はいついかなる時も、その存在をこの身に感じていたい。

そう、思っている。











「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

天使達が集う、この学園。

今日もいつもと変わらない、日常が始まろうとしていた。

けれど。
何故か今日はいつもとどこか違っている感じがして。

銀杏並木を歩きながら、青い空を見上げた。
マリア様の心の様に晴れ渡った空。

…何事も無ければ、良いのだけど。

そう考えて、フッと微笑むと頭を軽く振った。


マリア様が見守っていて下さるのだから、大丈夫。







「祐巳さん、今日はお休みなんですって?」

授業をふたつ終えて、志摩子が廊下に出た時。
由乃が藤組の前にいた。
――ちょっと、神妙な顔で。

「…うん」
「どうかしたの?由乃さん?」

いつもと様子の違う由乃に、何となく志摩子も『何か』を感じ取った。
何かを云いたげに、目をさ迷わせる由乃に志摩子は首を傾げる。

「由乃さん?」
「…あのね、志摩子さん」
「ちょっと待った、話はこっちで」

フッ、と現れた蔦子が由乃の腕を取っていた。

「蔦子さん」
「志摩子さんも、こっち来て」

声を潜め、云う蔦子に周りを見回して志摩子は軽く頷いた。





人気の少ない、階段下。

「ここなら、大丈夫かしら」

辺りに人の気配が無い事を確認して、蔦子はやっと内面の緊張を解いた。
表面的には、いつもの様に微笑みすら浮かべて歩いていた。
けれど…内面は、緊張しすぎる程に緊張していた。

「どうしたの?蔦子さん?一体…」
「志摩子さん…今日ね、祐巳さん、来てないの」

由乃が、困惑顔で呟く。

「ええ、知ってるわ。桂さんが云っていたから」
「…祐巳さん、無断欠席なの…」
「…え?」

祐巳には到底似合わない言葉を聞いて、志摩子は眉をひそめた。
蔦子を見ると、神妙な顔をしている。
心なしか、顔色も悪い。
志摩子は正直云って、蔦子のこのような顔を見るのは、初めてだったかもしれない。


「…その事で、私もちょっと色々と探りを入れてきたんだけど…祐巳さん…事故に巻き込まれたらしい」







緊急召集が掛かり、薔薇の名を掲げるもの達と、事情説明の為、蔦子が薔薇の館にいた。

「どういう事なの!祐巳…祐巳は…!」
「落ち着きなよ、祥子…こういう時こそ、落ち着かなきゃダメ」

声を荒げる祥子に令が諌める。
でも…!と云う祥子に「解るけど、ここは抑えて」と云うと、蔦子に向き直る。

「で、蔦子さん。詳しい状況は?」
「登校途中、事故に遭った、という事だけで…今、真美さんが情報を集めに駆け回ってます……祐巳さんの家には当然誰もいません。留守電になってました」

乃梨子が紅茶を皆の前に置いて、そっと口を開いた。
…誰もが聞きたくて、でも何故か口に出来なかった事。

「…祐巳さまが運ばれた病院は判らないんですか…?」

その言葉に表情を固くしながら、蔦子は首を横に振った。

『事故』
『病院』
『家族も家にいない』

このキーワードに、不吉な影を感じずにはいられない。

何も判らない事が、不安を煽る。

コンコン

ビスケットの扉をノックする音に、ハッとした様に皆が扉に目を向ける。

「ごきげんよう、皆さん」
「お姉さま…!」
「祥子…」

祥子が立ち上がり、駆け寄る。
その祥子を受け止め、皆に目を向ける。
凛とした眼差し。
それはあの頃と変わりない、頼れる人の眼差し。

「蓉子さま!」
「祥子から、携帯に電話を貰ったの…祐巳ちゃんが事故にあったって…。もしかしたら、私はその場に居合わせているかもしれない」

衝撃的な言葉に皆が唖然とする。

その、爆弾発言を落とした蓉子の直ぐ後ろに、聖がたたずんでいるのに、志摩子だけが気付いていた。


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