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私は知らない
本当に、何も知らない
何も知りたくは無い
…何もかも
「…蓉子さまのいう通り、本当に祐巳さんなのかしら」
蓉子と聖が出て行ってから数分後。
由乃が令に向って呟いた。
「…」
「令ちゃん?」
「あ…ああ、ごめん、何?」
うわの空の令がハッとした様に由乃に目を向けた。
聞いてなかったの?とちょっと口を尖らせる由乃に再度令は「ごめん」と謝る。
「蓉子さまが云っていた通り、本当に祐巳さんなのかな」
「…こればかりは…今の時点では何も見えないからね…でも、その可能性は高いと思う…」
「…私も、そう思う…」
「蔦子さん…」
蔦子も令の言葉に頷いた。
志摩子も乃梨子も、同意見の様だ。
祥子は、たとえ姉の蓉子も言葉だとしても、信じたくない気持ちの方がどうしても勝ってしまう。
でも、祐巳ならば、ありえない事ではない、という考えも頭にあった。
…祐巳は、優しい子だから…子供を助けに飛び出す事位、してしまうかもしれない…
そう思ってしまうのだ。
「だけど…聖さまの様子、何かおかしくなかった?」
由乃がふと、思い立った様に云った。
あまりに、冷静過ぎる。
けれど、『何かがおかしい』と思いながらも、何処が、という事は云えない。
蓉子の様に、栞に出逢う前の聖と、栞を失った後の聖を知っているなら、その『何か』が口に出来たかもしれない。
けれど、その違いを知らない…或いは解らない現在の山百合会の者にはその『何か』が解らない。
ただ解るのは、あまりに『冷静で静かだ』という事だけだった。
しかし。
それは蓉子も同じだった。
昔を知って居ようが居まいが、漠然とした『何か』としか、解らなかったから。
■
職員室を出て、まず蓉子がした事は、聖の様子を伺う事だった。
「…大丈夫?」
「…何が?」
声を掛けた蓉子に無機質な目を向ける聖に、「いいえ」と首を横に振った。
「早く薔薇の館に戻りましょう。みんな、待ってる」
「…そうだね」
気だるげな…いっそ面倒だとでも云う様な、履き捨てるかの様な聖の物云い。
それを耳にして、蓉子の聖に対する訝しさを増す。
…でも、とにかく今は薔薇の館へ戻る事…そしてこれからどうするかを話し合う事の方が先決だった。
薔薇の館の古階段をギシギシと云わせながら登っていく。
その音に気付いたのか、祥子が扉を開け、蓉子と聖を出迎えた。
「…お姉さま…」
心細げに呟く祥子に蓉子は微笑む。
そして、ビスケットの扉を越えると、自分の言葉を待ち構えている『仲間』に云った。
「祐巳ちゃんが運ばれた病院が判ったわ」
教師に聞いた話では、生徒手帳を参考に病院からリリアンへ入った電話で『二年松組 福沢祐巳』という生徒が事故に巻き込まれ、運ばれたという事だけが今判っている事だという。
けれど、保護者への連絡先などを確認されただけで、肝心の祐巳の状態等は一切判らない。
リリアン学園側は、祐巳が『紅薔薇のつぼみ』という事も配慮され、詳しい事が判るまで生徒達には知らせない方向に話が落ち着いていた。
「…それじゃ、祐巳さんの状態は全く分らないですか…?」
「ええ…一応、タクシーを先生に呼んでもらったけど…どうする?」
この場合の『どうする』は『行きたい人は誰?』という事。
蓉子と聖、そして…あと二、三人。
「もし、みんなで行くならもう一台タクシーを呼ぶけれど…でもあまり大人数で行くのも…」
「…私は残ります」
乃梨子が肩の辺まで右手を挙げる。
「私もここで待たせて戴いていいですか?」
蔦子もそう申し出る。
「真美さんも動いてくれてますし、連絡役がいた方が良いかと」
「私も、待ってる。祥子、祐巳ちゃんの様子、判ったらすぐに知らせて」
令が祥子の肩に手を置いた。
それに、解っているわ、と祥子が頷いた。
「志摩子、由乃ちゃんは?大型車を呼んだから、乗れるわよ」
蓉子の言葉に、由乃と志摩子は頷く。
すると、今まで一言も発しなかった聖が志摩子を呼んだ。
「志摩子」
「はい、お姉さま」
「…志摩子…私の代わりに、祐巳ちゃんの様子、見てきてくれないかな」
「ちょ…聖?」
志摩子はそう云った聖を静かに見詰める。
「聖さま!一体何を云っているんですか貴方!」
祥子が信じられないものを見る様な目で聖を見た。
蓉子も隣に立つ聖に視線を向ける。
「貴方は何を考えているんです!」
「…煩いな…叫ばなくても聞こえるよ」
叫ぶ祥子に溜息混じりに呟く聖に、令や由乃も唖然とする。
「…お姉さま…本当に、それで宜しいんですか…?」
志摩子の静かな声が聖に向けられた。
聖の目が、志摩子を見る。
「…もし、本当にそれで宜しいのであればその通りにします…でも、お姉さま…それが本心ではないのなら、それは聞き入れる事は出来ません。祐巳さんに、失礼ですから」
「……」
「確かに、志摩子の云う通りね。行くのよ聖、貴方も。行かないなんて、許されない。仮にも貴方は…」
「…解った…行く」
蓉子の言葉を最後まで云わせずに、聖は窓の外に目を向けながら、仕方が無いとでも云う様に頷いた。
…to be continued