令、乃梨子、蔦子に見送られ、校門前に待っていたタクシーに乗り込んだ。

蓉子が行先を告げるとタクシーは滑るように走り出す。
シートに体を落ち着けると、蓉子は助手席から聖を伺う。

聖は、運転手後ろの席で腕を組んだまま、流れる景色を見ていた。
見ている、というよりもただ、窓の外に目を向けているだけにすぎないのかもしれない。
その瞳には何も映していない様に見えた。



しかし…運転手は不審に思ったかもしれない。
神妙な表情のリリアンの制服姿の三人と私服の二人。
乗り込んでから一言も会話が無かったから。










祐巳が運ばれたという病院に到着し、蓉子は躊躇い無く受付へと進む。
その後を行く祥子と由乃に続こうとした志摩子が、一旦立ち止まり聖を振り返った。

頑なな表情で俯き立ち竦んでいる聖に、志摩子はゆっくりとその手を取った。

あの桜の木の下で、繋いだ手を。

「…お姉さま、行きましょう」
「……うん」

顔を上げると、志摩子に薄く微笑む。
もしかしたら、それは聖がその日初めて見せた微笑かもしれない。





「……号室ですって。個室だそうよ」

志摩子に手を引かれてきた聖に、エレベーターが降りてくるのを待ちながら蓉子が呟く。
それに「…そう」とだけ聖は返した。

段々と聖の顔色が悪くなってきている。
勿論祥子も由乃も志摩子も顔色はよくない。
蓉子もそれは同じだ。
けれど、元々色白の聖だが、今は更に白い。

…もしかすると、病院という場所がその様に見せるだけなのだろうか。

そんな事の考えながら蓉子はエレベーターを待つ。

階数を表す表示が『1』を表示した。
軽い音を立てて開いた扉に、蓉子は一歩踏み出しながら聖の背を軽く押した。









待っている時、というのは酷く遅い感じがしていたのに、乗り込んでしまうと、アッと云う間にエレベーターは目指す階にたどり着いた。

あまり人の気配がしない。
皆安静にしている病棟なのだから、騒がしい雰囲気では困るのだろうけれど。

自分の歩く靴音が、妙に耳につく。

それが圧迫感となって肩に圧し掛かってくる。


…どうしてみんな、そんなに先を急げるのか。

聖は足早に先を歩く仲間の姿を見ながら不思議に思っていた。

祐巳の姿を確認するのが恐くないのだろうか。

…子供を守ろうと咄嗟に体が動いたのだろう。
その結果、病院に運ばれたのだという祐巳。

どんな酷い傷を負っているんだろう。
どんなに苦しい思いをしているだろう。

それを思うと、息をする事すら辛くなる程、胸が苦しくなってくる。

『だってさ?人間なんて、いつ何処で何が起こるか、なんて解ったものじゃないんだから』

そう云ったのは、聖自身。
昨日、帰りのバスの中で云った言葉。

その言葉が、聖を苛める。




聖は先を歩く仲間達から、少しずつ遅れていく。

…何故そんなに先を急ぐのか。

足の動きが悪い。
そんなに速くは、歩けない。

祥子は、何故そんなに速く歩ける?
妹の、苦しんでいる姿をそんなに見たいのか?

由乃ちゃんも、蓉子も…そして志摩子も。

どうしてそんなに速く歩ける?


まるで、重石でもつけて居るかの様に重い両足。

聖はその両足を引き摺る様にして後をついていく。

『祐巳さんに、失礼ですから』
『行かないなんて、許されない』

祐巳に失礼だから。
許されない事だから。

だから、聖は今病室への廊下を歩いている。

重い足を、引き摺る様に。




「…ここね」

蓉子が立ち止まり、部屋番号と掲げられている名前を確認した。

「でも、お姉さま、よろしいのでしょうか…」

扉をノックしようとした蓉子に祥子が戸惑いながら声を掛けた。
その言葉に蓉子は自分の妹に笑い掛ける。

「何も聞かないで、ここまで来ないわよ?私は」

意味深な言葉に祥子は勿論、由乃も首を傾げる。

「それでは蓉子さま、もしかして…」

志摩子は驚いた様に呟く。


微笑みながら、蓉子は扉をノックした。



少し遅れて廊下を歩く聖の心臓が扉をノックする音を聞いた途端、ドキン、と跳ね上がる。

あの無機質な扉の向こうに、祐巳がいる。

そう思うと、どうにもならない思いが湧き上がって来る。

一刻も早く、この場から立ち去りたい。
…見たくない…。


「ええ!?蓉子さま!お姉さまに由乃さん志摩子さん!どどど、どうして!」

聖の耳に、いつもの通りの祐巳の声が聞こえてきた。
途端に、重石が消えた様に足が軽くなる。

開いている扉目掛けて足が動く。

「祐巳…!心配したのよ…!」
「ほんとにもう…そんな元気だなんて思わなかった!」
「え、ええ?」
「祐巳ちゃんは、男の子を助けた拍子にガードレールに軽く頭を打って脳震盪を起こしてしまって、それで救急車で運ばれてしまったんですって。受付で聞いたのよ」

蓉子の『してやったり』な声が聖の耳にも届いた。

「ええ…一応頭だと言う事で、今日一日はここに入院なんですけどね。でも異常なしのお墨付きは殆ど戴いているんです。母も安心して帰りましたし」
「…もう…心配したのよ?祐巳が事故に巻き込まれたって聞いて…」
「…聖?」

蓉子はそこで聖が病室に居ない事に気がついて名を呼ぶ。
それに、祐巳が驚いた顔をした。

「…え?聖さまもいらしてくれているんですか?」
「ええ…さっきまでついてきていたのに…」

志摩子が微笑むと、すっ…と扉に近付いていく。
扉の死角部分に、聖が立っている。
壁に背を預けて、聖は自分のつま先を見詰めていた。

「お姉さま…」

さぁ、と聖の手を取る。
けれど、聖の体は、まるで壁に張り付いたかの様に動かない。

「…聖さま、来て下さったんですね」

祐巳の声が、聖を呼ぶ。
ゆっくりと、聖の顔が上がる。

もう一度、志摩子が聖の手を引いた。
今度は、抵抗無く体が動いた。

志摩子に手を引かれ、部屋の入口前に来ると、蓉子や祥子、由乃と、ベッドに座っている祐巳が見えた。

祐巳は病院貸し出しのパジャマを着て、頭には白い包帯が巻かれている。
他には傷ひとつ見えない。
ただ、頭に巻かれている包帯の白さだけが、いやに目についた。

「…祐巳、ちゃん…」

志摩子の手が、するりと聖の手から離れる。
まるで、聖の背を押すかの様に。
その見えない手に押される様に、聖の体は祐巳に近付いていく。

「聖さま、私、大丈夫ですから。ほら、全然怪我だってしてませんし、この包帯だって明日には…」

祐巳の言葉が、そこで途切れた。

「…車、恐かった、よね」
「聖さま…」

聖に抱きしめられて、祐巳は驚いた様に目を見開いた。

「…無事で…よかった…」
「せ、い…さま…」

見る見る祐巳の目に涙が浮かんでくる。


『恐かった、よね』

祐巳はその聖の一言に、何処か、強張っていた『何か』が解かれた気がした。

咄嗟に動いた体。
小さな男の子の腕を掴んで、自分に引き寄せた。
かなりのスピードで接近してくる車に、目を閉じた。

恐かった。
今、聖の言葉にその時の恐怖が理解出来た。

体が、震え出す。

「…うっく」

涙と声が、聖に胸に沁み込んでいく。

「…恐かった…」


聖が、呟いた。








Epilogue


「蓉子さま…どうして受付で聞いたなら、教えてくれなかったんですか?」

由乃が口を尖らせて恨みがましく呟く。

「云おうとは思ったんだけど…祐巳ちゃんの姿を見れば一目瞭然だからと思ったのよ」

相変わらずの策士だと、志摩子は内心溜息をつく。

祥子は小さくなっていく病院を横目で見ながら、タクシーのシートに体を預けている。

…あんな二人を見せられたら、何も云えないじゃない…

自分には、心配させまいと笑顔を見せていた。
けれど…

安堵と、ほんの少しの寂しさ、そして悔しさを胸に、今頃は聖の腕の中で泣き止んでいるだろう妹を思いながら、祥子は目を閉じた。






貴方は知っている

冷たさも
温かさも

この胸に溢れる見えない涙も






後書き

執筆日:20040911-20040915


王道ネタ、祐巳ちゃん事故に遭う編、如何でしたでしょうか。

生ぬるい…よね…
もう少しうまく書きたいものです…

聖さまの内面編を、というリク戴いてますけど…どうしましょうかねぇ…自分的に書いてるつもりなんで(笑)
でも聖さまの一人称でやってみたい気も(おいおい)


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