素敵なこと
「だっけど…ほんと、去年のあの北海道は暑かったよね」
聖さまがそう云って笑う。
目が、少し遠くを見ているみたいな感じで、その時の事を思い出しているみたいだ。
高等部の冬休みがもう少し長かったら…と祐巳は思わずにいられない。
しかも、三学期が始まったら直ぐにテストだなんて、一体誰がそんな事を決めたんだろうかと思う。
冬休みだからって怠けちゃいけませんっていう事なんだろうか。
いつまでもお正月気分でいちゃいけませんって?
「…ん?どうした?祐巳ちゃん?」
聖さまがテーブルに頬を付けているまんまの祐巳の顔を覗き込む。
「…やっぱり、大学生ってずるいなぁ…って思いまして」
「まだ云ってる……祐巳ちゃんだってもう直ぐ大学生になれるでしょ」
「その前に入試がありますってば」
そう。
大学入試があるのだ。
いくら優先入学試験の合格ラインにいるとはいえ、油断出来ないし。
何せ聖さま曰く、祐巳はケアレスミスが多いらしいから。
今日だって、試験の為の勉強を見に来てくれているんだから。
そんな状況だからこそ、脳が現実逃避を始めてしまう。
あの、楽しかった夏の北海道へと。
†
「ほら、祐巳ちゃん。次の駅で降りるよ」
「あ、はい」
聖さまと北海道にやってきた。
夏の北海道。
東京の暑さに辟易していた祐巳は、きっと北海道は涼しいんだろうな、なんて期待していた。
なのに、予想に反して空港に降り立つと暑さが襲ってきた。
駅の電光掲示板が示している温度は、なんと三十度。
…一瞬、めまいがしそうになった。
涼しい北海道を期待していたのになぁ…と。
でも、湿度はほんの少しだけ東京よりは低いかもしれない。
…気のせいかもしれないけど。
特急列車に乗って、洞爺という処に来た。
千歳空港からここまで、自然が沢山だった。
そりゃあ、街を通るけれど。
でも、やっぱり自然が多め。
進行方向左には海、右には山。
なんだか、東京にいたら見られない風景なのかなぁ、なんて。
駅に着くと、列車の冷えた空気に慣れていた祐巳と聖さまを熱気が包み込む。
でも、空港の駅よりはほんの少しだけ、風を感じる気がするのは海や湖が近いからだろうか。
駅から出ると、ホテルからの送迎バスが来ていて、暑さから逃げるようにバスに乗り込んだ。
季節柄、バスに乗り込む旅行客は結構多くて、ホテルの人も慣れているのか一人一人に「ようこそ」と声を掛けてくれる。
そして、そのバスに乗り込むと旅行客の目はやっぱり聖さまを見て、こそこそと耳打ちし合っている人たちもちらほら。
「あの、どちらからいらしたんですか?」
座席に着くと、前に座っていた若い女性の二人連れさんの内の一人が声をかけてきた。
それに聖さまが微笑んで「東京からです」というと、ほんの少し頬を赤らめて「そうですか」とぎこちなく笑う。
そして椅子に座り直すと「やっぱり内地の人なんだー」とか「綺麗な人だねー」とかポソポソ聞こえてきた。
「…内地?」
聖さまが首を傾げた。
やっぱり、聖さまは人目を引く美人なんだな、と祐巳は痛感してしまった。
解っている事だけど、改めてそう思ってしまった。
いつも近くで見ているから見慣れているって訳ではないけれど。
ホテルのフロントでルームキーを貰って荷物を運んでくれるお兄さんの後をついてエレベーターに乗り込んでからも、一緒に乗り込んでいる人たちは聖さまを盗み見ている。
思わず、祐巳は小さく溜息をついてしまった。
「…では、何か御用がありましたら、こちらの電話から『0』番に掛けて戴きましたらフロントがご用件をお聞きしますので」
「はい、解りました」
「では、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
祐巳と聖さまのバッグを少し仕切られた処にあるベッドの近くに置くと、そう云ってお兄さんは部屋を出て行った。
…ちょっと待って。
ここって結構良い部屋なんじゃ…?
窓の外に見えるのは、湖。
しかも妙に眺めが良いし。
ソファもふかふかの趣味の良いものが置かれているし、大きな液晶TVやミニバーとカウンターもある。
お酒とかもあるみたい。
何より、ベッドが仕切り壁の向こうにあるって…
「うわぁお。江利子のヤツ、こんな部屋に泊まるつもりだったんだー」
ひゅー、と軽い口笛を吹く聖さまに、祐巳の予感が当たっている事を知った。
…相当高い部屋なんじゃないだろうか…?
「あ、あの聖さま…」
「心配しなくっていいよ、祐巳ちゃん」
「へ?」
祐巳を見て聖さまが笑顔で云う。
何が心配いらないんだろう。
「今祐巳ちゃん、ここの部屋の値段とか考えたでしょ?」
「うっ」
顔に出たんだろうか。
そんな祐巳の頬をつんつん突付いて聖さまが笑みを深めた。
…やっぱりそうなんだ。
うう、どうして祐巳は百面相してしまうんだろう…
「多分ね、江利子んちの知り合いのツテとかだって云っていたから、祐巳ちゃんが思っているより割安だと思うよ。だから心配しなくていい。そうね…江利子に逢ったら一言お礼云う位でいいんじゃないかな」
「…ホントにそんな事だけでいいんでしょうか」
「うん。変に気遣われる事の方が失礼になっちゃうよ。それに『お礼を云う』って事は感謝を表す事が出来る最上級の事だからね」
「…はい」
頷く祐巳の頭をポンポンと撫でるように軽く叩いて、「ああ…それと」と云う聖さまに顔を上げる。
「どうした?祐巳ちゃん。バスに乗った頃から何か考えてるみたいだったけど」
少し心配そうな顔で聖さまが祐巳の顔を覗き込む。
まさか『聖さまがみんなに見られているから』なんて云えない。
…というか、聖さまに云われてみんなの聖さまを見る視線を気にしていた事に気付いた。
聖さまが、素敵だから。
だから、人目を引くんだ。
今の江利子さまへのお礼の話でもそう。
祐巳の気持を軽くしてくれながら、きちんと江利子さまへの配慮を祐巳に教えてくれている。
なんだか、さっきまでの複雑な気分とか…ほんのちょっぴりのやきもちみたいな気持が、薄れていく。
代わりに、聖さまを見ていた人たちに自慢したい気持ちになっている。
聖さまは、本当に素敵な人なんだから。
そして、その素敵な人と、祐巳は一緒にいられるんだから、と。
…そりゃあ、こんなに素敵な人の傍に祐巳がいていいのかな、なんて思わなくも無いけれど。
でも、そんな事を考えるのは、祐巳を大事にしてくれて、気に掛けてくれる聖さまに物凄く失礼だから。
そんな事を考えるのは、聖さまの気持ちを祐巳自身が汚してしまう事になってしまうから。
「…祐巳ちゃん?」
何も云わない祐巳に聖さまが怪訝な表情をする。
そんな聖さまに祐巳はゆっくりと微笑んで、こつん、と聖さまの腕におでこをぶつけてみた。
「聖さまが、素敵だから。だから、聖さまを見ていた人たちに自慢したくなっちゃったんです」
「…え?」
聖さまが目を丸くする。
祐巳は聖さまの腕に腕を回して、そして云った。
「素敵な旅行にしましょうね」…と。
執筆日:20050124
『北海道 素敵☆夏旅行』編、2作目です。
さくさく書いていく事が理想なので、今日も書けて嬉しいです。
さっくさく〜♪
多分、聖さまが北海道を歩いていたら、絶対人目を引くでしょうね。
そしてもし私が聖さま見掛けたらついて歩くに違いない!(止せ)
しかし…そんな人と一緒の祐巳ちゃんはヤキモキしてしまうだろうと。
そしてこの話題は後に引くのです。
多分。