立つ鳥、跡を…
(聖、蓉子)




「…あら」

ビスケットの扉を開いた途端、頬を撫でた朝の冷えた空気と思いも寄らなかった光景に蓉子は少し驚いた様に言った。

「ごきげんよう、聖……どうしたの?」
「ごきげんよう。どうしたのって、それは私の科白でもあるんだけど?」

窓を開けてその際に立つ聖はパタンと扉を閉じる蓉子に苦笑を漏らす。

卒業式の朝、まだ殆ど誰も登校してはいない時間。
つい、いつもの様に家を出て来た蓉子はいつもの様に薔薇の館に来て、いつもとは違う光景を目の当たりにした。
この時間に聖がいるなんて、薔薇の館で過ごした3年間で殆ど、いや、全く無かったんじゃないだろうか。
そんな蓉子に笑いを漏らす聖に「祐巳ちゃんの様に顔に出たのかしら」と思わず頬に手をやる。

「もしかして、蓉子っていつもこの位の時間に来てたりしたの?」
「…そう言う聖こそ、今日は早いのね」

否定も肯定も特にせず、蓉子はポットに水をセットしながら反対に問い掛ける。
その様子を見ながら聖は肩をすくめて答えた。

「なんとなくね」

今朝は本当になんとなく、ここに来ていた。
そして窓から辺りを見回していたら、蓉子の姿が近付いてきたのだ。
昨日、教室やその窓から見えていた木々達には別れを告げた。
その時の事を考えた時、笑いが込み上げて来た。

「ねぇ蓉子、祐巳ちゃんに私が何処の大学に行くか言った?」
「何?急に……祐巳ちゃんに…?どうだったかしら。でももう知ってるでしょ?」

昨日の教室で貰った「お餞別」を思い返しながら、聖はクスクス笑う。

「…え?まさか…」
「まだ知らないみたいだね、あの様子だと」

ヒントは沢山あったはずなのに。
祐巳はまだ聖が行く大学が何処か気付いていない。

「誰も教えなかったのかしら…」

信じられないという様な顔をする蓉子に、意識的か無意識にかその話題を避けていたであろう祐巳の様子を想像して微苦笑を浮かべる。

「逃げ回っていたんじゃないの?」と言った自分に「自惚れてますね」と笑って三年藤組を出て行った。
姉となった祥子は勿論、いろんな意味で自分も含めた薔薇の館の住人に影響を与えた表情豊かな愛すべき後輩は藁しべ処か金の卵だったに違いない。
大学名を知った時どんな顔をするか。
多分怒り心頭で自分の所に飛んで来るだろう。
その時を楽しみにしているのは悪趣味だろうか?

「知った時、どんな顔するか楽しみだ」
「…悪趣味ね。わざと隠していたんじゃないの?」
「まさか」

笑いながら言う聖に「どうだか」という様に溜息をつく。

「まぁきっと、祐巳ちゃんも聞かない様に避けていたんでしょうけどね…」

おや、と聖は蓉子を見た。
相変わらず聡い事、と苦笑する。
多分見ようとしていなくても、見たくなくても見えてしまっているんだろう蓉子の事を「損な性分だ」と思いながらも、聖はその蓉子に何度も救われて来ている。
栞の時も、そして志摩子の時も。

ポットの湯が沸いたのを確認して「簡単にインスタントコーヒーね」と言いながら用意する蓉子に、窓際に立ちマリア様の心の様に晴れ渡った空を見ながら聖は言った。

「…私、何度貴方を殴ってやろうかと思ったか解らないわ」

手を止めて、急に何を言い出すのかと言う様に怪訝そうな顔で聖を見る。
けれど、視線に気付いて空から蓉子に目を向けた聖の表情を見て、フッと微笑みを浮かべてカップに湯を注いだ。
コーヒーの良い香りが立ち昇る。

「私だって貴方の事、何度殴ってやろうと思ったか知れないわよ」

ハイ、と手渡されたカップを受け取りながら苦笑する。

「実現しなくて良かった。リリアンかわら版にスクープされたら大変だった」
「『スクープ!白昼の参事!白薔薇さま、紅薔薇さまに怒りの鉄拳!』とか?」
「『スクープ!紅薔薇さまご乱心!?白薔薇さまに暴行!』とかね」

物騒な事を言い合いながら笑い合う。
この場に祥子や祐巳がいたら目を丸くするだろう。
江利子は「何言ってるんだか」と呆れるだろうけど。



「――さて…と。そろそろ行きますか」

カップを洗って窓も閉めて。
そしてビスケットの扉を閉めて。
ギシギシと音を立てる階段をゆっくりと降りて行く。
あと1時間もすれば卒業式が始まる。
そうすれば本当にこの学園ともお別れなのだ。
この制服を来て訪れるのは今日が最後。
勿論、この薔薇の館とも。

なのに何故だろう…と蓉子が思ったその時、聖が「うーん」と唸った。

「なんかやっぱり、実感が湧かないんだよなぁ…」

同じ事を考えていた蓉子は、もう笑うしかなかった。


fin



後書き

執筆終了日:20030124
初書きマリみてです。
初めて書くお話が蓉子さまと聖さまって処が私らしいでしょうか(笑)
本当はもっとこう…ねぇ?あのお二人の間を流れる空気みたいなモノを書きたかったんですけれど…まだまだ力不足で…
「こんなの蓉子さまと聖さまじゃないわ!」って方が多々いらっしゃるかと思いますが…精進します(泣)


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