紅茶
(聖祐巳)
お湯を沸かして
カップを温めて
丁寧に
丁寧に
ポットの中で茶葉が元気に踊るように
私はこれでもかと云うくらい
ここまで丁寧にした事は無いと云うくらい
大切なあの子の為に
丁寧に紅茶を淹れた
あの子の涙へのお詫びと、想いに感謝するように
「…ごきげんよう…聖さま」
「…どうしたの」
私は祐巳ちゃんの顔を見るなり呟いた。
昨夜、掛かってきた電話。
普段の祐巳ちゃんからは考えられない時間に掛かってきた電話。
『…聖、さま…?』
声だけでも、相当落ち込んでいるのが判った。
『…あの…こんな時間に…ご免なさい…』
「いや、いいよ。祐巳ちゃんからなら何時だって大歓迎だよん。ちなみに祐巳ちゃんからの電話の着メロはアンパンマンだ」
ホントにですか?と笑う声が聞こえてくる。
でも、それは妙に声の雰囲気と合わなくて、浮いた感じに聞こえた。
「…どうしたの?私の声が聞きたくなった?」
『……』
「祐巳ちゃん?」
沈黙。
私の軽口に何かを云いたいけど、云えないのか…どう云っていいか判らないのか…
祐巳ちゃんが受話器を握りしめて、何かを迷っているような感じが手に取るように伝わってくる。
「…ねぇ祐巳ちゃん、明日明後日の予定は?」
『え』
咄嗟の言葉に祐巳ちゃんが戸惑うような声を上げた。
明日は日曜日。
月曜も国民の祝日で休みになっている。
「ん?どう?何か予定ある?」
『…いえ』
「そう。それなら、うちにおいで。丁度誘おうと思っていた所だったし…それに、誰もいないし気兼ねはいらないよ」
それは事実だった。
祐巳ちゃんの方の試験が終わって少し経つと、今度は私が試験期間に入ってしまって帰宅時間も合わなくて。
その試験もようやく終わった事だし、連絡を取ろうと思っていた所だった。
親は親戚付き合い云々で、今日の朝早々に出掛けてしまった。
しかも帰宅は来週末。
全く、ご苦労な事だ。
普段あれだけ嫌っている親戚たちとの付き合いをこなさなければならないなんて。
けれど、帰宅と同時に夫婦間で諍いを起こすのだろうと思うと、正直うんざりだった。
私がそんな事を考えているとはつゆも知らず、祐巳ちゃんは少し考えるようにすると、ぽつりと呟いた。
『………はい…伺います』
そして、お昼目掛けて来るように、と云った私の言葉通り、お昼まであと数十分という時に訪問者の存在を知らせるドアフォンが響いた。
「…どうしたの」
ドアを開くと、私の姿を確認して力なく「ごきげんよう」と告げる祐巳ちゃんの顔を見るなり呟いた。
すると、へにゃ…っと顔を歪めて、「聖、さま…」と呟くと、ぽろりとその目から涙が零れ落ちた。
それを見て、私は祐巳ちゃんの手を引いて玄関に入れ、ドアを閉めた。
「おいで」
ぽろぽろと涙を落としている祐巳ちゃんを家の中に導き入れて、取り敢えずダイニングに連れて行きソファに座らせようとした。
「…え?」
座らせようとした時、祐巳ちゃんの手が私の左袖を握っている事に気がついた。
気付かずに振り払えば直ぐに離れるような、そんな弱々しい力で握られている袖。
それを見て、私は祐巳ちゃんが昨日電話をくれた訳がうっすらと判った。
肩を抱くようにして、一緒にソファに座るように促した。
「昨日電話くれた時も、泣いてたでしょ?」
「…いいえ」
「嘘だね。残念ながらお姉さんにはお見通しさ。…おいで」
そう云って、肩に置いた手に力を入れて、胸に引き寄せた。
「…寂しかった?」
「…いいえ」
「そう?じゃあ、どうして昨日電話くれたの?」
あ。
これはずるい云い方だ。
こんな聞き方すれば、この子は絶対素直になってくれないって解ってるくせに。
だから、肩に置いた手に力を込めてゆっくりと言葉を落とした。
「…私は、祐巳ちゃんの姿が見られなくて、寂しかったから、昨日の電話は嬉しかったんだけど」
「……それなら…」
「ん?」
「…」
私の胸に頬を預けるようにしながら、祐巳ちゃんはそれきり何も云わなくなってしまった。
「祐巳ちゃん…ねぇ、云ってくれなきゃ解らないよ」
「…いっつも、私の事なら、私が知られたくない事まで云い当てるじゃないですか…」
確かに。
百面相で祐巳ちゃんの考えている事は手に取るように解る。
けれど、俯きがちで表情が読めない今日は全く解らない。
あ、そっか。
私は今思い付いたと云うように祐巳ちゃんの頤に指を掛けて顔をひょいと上げた。
急な事に祐巳ちゃんは驚いた顔をする。
けれど、直ぐに顔を背けるようにして、私の指から逃れようとした。
その祐巳ちゃんの顔を見ていて、私はそうした事を後悔した。
自分の事を莫迦だと思った。
どうしてこんな事も解らなかったんだろう。
「…ごめん」
待っていてくれたのに。
祐巳ちゃんが試験期間の時は、帰宅時間が殆ど変わらなくてバスで一緒になったりしていた。
その時はただ図書館や薔薇の館で由乃ちゃんや志摩子と勉強してたのかな、なんて考えていたけれど、もしかすると私の帰宅時間に合うようにしてくれていたのかもしれない。
それなのに、私の試験期間中は全く逢えなくて。
少しも、逢えなくて。
多分きっと。
邪魔しないようにって我慢させてたんじゃないだろうか。
もしかすると、これはただの私の自惚れかもしれない。
でも…それでも。
「ごめんね、祐巳ちゃん。待たせちゃって…」
電話をくれたのだって、凄い勇気のいる事だったんじゃないかと思う。
「許してくれる?」
「…嫌です」
目を逸らしてもう一度「嫌」と呟く。
「…どうしたら、許してくれる?」
「…どうしても、許しません」
「絶対?」
「…絶対です」
祐巳ちゃんの頑なな言葉を聞いているうちに、私は嬉しくなってきてしまった。
「嫌です」と云われた時は本当に怒らせてしまった、と不安になった。
でも。
言葉とは裏腹に、祐巳ちゃんの手が…私のシャツの袖を握っていた手が、私の背中に回ったから。
「ごめんね」
「知りません」
どうしよう。
凄く嬉しい。
だから、ついこんな事を云ってしまった。
気が緩んでしまったせいだろう。
「嫌いにならないで」
口から出た言葉に私はハッとした。
祐巳ちゃんは殆ど涙が乾いた顔をあげて、驚いたよう私を見る。
そして、嬉しそうに笑ってこう云った。
「なりません」
そのまま、暫く腕の中にいた祐巳ちゃんが、「我侭云ってもいいですか?」と呟いた。
「何?」
「聖さま、私に紅茶を淹れてくれませんか?ティーバッグじゃなく、茶葉の」
「?」
「瞳子ちゃんに聞いたんです。紅茶は丁寧に淹れれば淹れるほど、甘くなるって」
「ああ…そうらしいね」
すると、祐巳ちゃんはほんの少し頬を染めた。
「…大切だと思う人には、本当に丁寧になるので、とても美味しい紅茶になるんですって」
そこまで聞いて私は何だか妙に嬉しくなって、ギュッと祐巳ちゃんを抱きしめる腕に力を込めてから、ソファから立ち上がった。
「甘党の祐巳ちゃんが砂糖入れなくても甘いって思うくらい、美味しい紅茶淹れてあげる」
後書き
執筆日:20040629
自分で自分が信じられない…
こんな話を書くとは!
最後の聖さまの科白打ち込んでいて、妙に照れてしまいました…
こういうのを書いている時は我に返ってはいけません。
うわー何書いているんだ私っ
つーか別人じゃないこの二人!
いやいっつも別人かもですが更に。
何だか物凄く皆さんの反応が気になります…ドッキドキー