『特別』な役割
(蔦子)
彼女の『友達』以上になれない。
そりゃあ『友達』の中でも、結構良い位置に置いてくれているだろうという事は解っているけれど。
でも、私は彼女の『友達』の位置からは、出られない。
悟ったのは、あの雨の日。
梅雨の頃の、あの日。
降り出してきた雨に足早にクラブハウスに向かおうとしていた時、ザッと横を走り抜けて行った影に私は驚いて顔を上げた。
傘も差さず走っていくツインテール。
「祐巳さん!?」
思わず声を掛けた。
けれど、彼女は気付かない。
よく見えなかったけれど、でも泣いていた様な感じだった。
それから間もなく傘を差した祥子さまが祐巳さんの後を追っていく。
それを見て私は『ああ、とうとう来たか…』なんて事を考えていた。
そして。
祐巳さんは色とりどりの華やかな傘を差した、大学生の集団に立ち止まる。
そして、その中の黒い傘を差したその人が、ゆっくりと振り返った。
◇
5月の中頃、中間テスト最終日に由乃さんと一緒の所を写した祐巳さんは相変わらずの明るい笑顔で写っていた。
テストを終えた安堵感と解放感。
そんな感じの。
けれど、梅雨に入ってからずっと、祐巳さんの表情は曇りがちだった。
それこそ、いつ泣き出してもおかしくない、梅雨空の様に。
不安感、それと不信感。
丁度その頃から祥子さまの側に、マリア祭での件が記憶に新しい、縦ロールの1年生がいる事が多くなっていた。
聞く所によると、祥子さまの縁戚らしい。
「蔦子さん、どう思う?あの子」
真美さんが3年松組の方へ顎を向ける。
3年松組扉の側に、祥子さまと、その1年がいた。
わざわざ腕を引っ張って連れて来られたと思ったら…と溜息をつく。
「親戚なんでしょ?」
私はカメラを廊下を歩いている3年のお姉さま達に向ける。
「何か家の用かもしれないじゃない」
「それはそうだけど…でも」
真美さんの云わんとする事は解る。
彼女も、ずっと祐巳さんの様子を気にしていたから。
「!」
ハッとした様な顔をした真美さんに、視線が向いている方向を見ると、彼女のお姉さまの三奈子さまと、祐巳さんがいた。
「お、お姉さまったらまた何を…!」
あちらからは姿が見えず、でもあちらの声が聞き取れる位の所まで近付いていく真美さんの後に続く。
けれど聞こえてきた内容は、真美さんや私が考えている様なものとは、ほんの少し違っていた。
いつもの様な記者根性丸出しなどではない、いつもとは違う三奈子さまが、そこにいた。
「…ご心配お掛けしてすみません」
「いいのよ、これは私のお節介なんだから」
そう云って三奈子さまが祐巳さんを残して歩いて行く。
真美さんがその後を慌てて追い掛け、私も、祐巳さんを横目で見ながら真美さんに習った。
「お姉さま!」
クラブハウスに向かって歩いていく三奈子さまを呼び止めると、彼女はゆっくりと振り返った。
「真美、それに蔦子さん。どうかした?」
「今…松組の所で祐巳さんと…」
それを聞くと苦笑いしながら「ああ…見ていたの」と呟く。
そんな三奈子さまに真美さんは容赦ない。
「記事にする気なんですか?お姉さま」
そう云われて三奈子さまは「見てただけ?聞いていたんじゃなかったの?」とちょっとムッとした表情をした。
「祐巳さんにも云ったけど、しないわよ。そんな気は無いわ」
今の処は、とちょっと気になる言葉を落としたけれど、でも信じられる気がした。
三奈子さまの表情が『信じられる顔』だったから。
「…二の舞、踏んで欲しくないのよね」
「お姉さま…?」
三奈子さまが、ちょっと遠くを見る様な目をする。
卒業したお姉さまにロザリオを投げつけたという三奈子さまのお友達。
その人の事を私は知っていた。
いや、直接の知り合いとかではないから『見掛けた』が正しいのかもしれないけれど。
卒業式の日。
前三薔薇さま達との撮影会を終えて、残ったフィルムを消化する為、他の被写体を求めて何気なく向かった古い温室で、その光景を偶然見掛けた。
まるで、映画やドラマの様なシーン。
登場人物は3人。
涙で頬を濡らしながら、ロザリオを投げつけた、その人。
目を閉じて、黙って胸にロザリオを受けた、お姉さまらしき人
。
そのお姉さまらしき人の少し離れた位置に立ち、涙を流している人。
そして、そのお姉さまらしき人の足元に落ちていくロザリオ。
それと対照的に…いえ、まるでその3人の関係を表しているかのような、お姉さまらしき人の側に立つ人の手から下がっていた、涙の形のネックレスが日の光を反射していた。
見てはいけない場面だったのは解っていた。
でも、動けずにいた。
◇
「蔦子さん」
「何?」
「どう思う?」
三奈子さまは疾うに部室に消えたというのに、私たちは近くの壁にもたれたまま、先程の松組での会話を繰り返す。
でも言葉は同じでも、意味は違っていた。
「三奈子さまが祐巳さんに云ってた事?」
「…祐巳さん、自分の中だけでグルグル考えているんじゃないかしら」
「多分、ね」
吐き出しちゃえばいいのに、と呟く真美さんに、無言を返す。
そんな簡単なものでは無いと思うから。
『姉』や『妹』の気持は解らないけれど、大概の妹は、姉に事の理由を問う事は難しいのではないのかと思う。
様々な姉妹を写してきたからこそ、そう思った。
『姉が妹を指導し、導く』という、代々受け継がれてきたリリアンの習性がそうさせるのもあるのかもしれないけど。
ゴロゴロ…と遠くで雷鳴が聞こえた。
嵐が、近いのかもしれない。
◇
黒い傘の大学生は、佐藤聖さま。
どうして祐巳さんは後ろ姿だけで佐藤聖さまだと解ったのだろう。
どうして佐藤聖さまは後ろ側にいた祐巳さんに気がついたのだろう。
「祐巳ちゃん、どうしたの!?」
「聖さまぁっ」
驚いた様に叫んだ佐藤聖さまに、祐巳さんは鞄も傘も置き去りに、その胸へと飛び込んだ。
それがあまりに自然で、『当たり前』の事に思えたのが不思議だった。
…もしかしたら、それを見ていた祥子さまも、それを感じていたかもしれない…なんて思うのは、気のせいかもしれないけれど。
でも、呼び掛けに応えない祐巳さんに、祥子さまはきっと衝撃を受けている。
自分の妹が、姉の呼び掛けに応えず、前白薔薇さまとはいえ、自分ではない他者の胸に顔を埋めて泣いているのだから。
遠目だったから、何とも云えないけれど、傘を持つ手が震えていた気がする。
でもそれは…私も、同様だった。
その光景を見ていて、私は自分で考えていたよりもショックだったのかもしれない。
私が掛けた声には気付かず、佐藤聖さまの後ろ姿には気付いた祐巳さんに。
そしてその祐巳さんに気付いた佐藤聖さまに。
◇
「蔦子さん」
昼休み。
部室へ行こうとしている処を呼び止められた。
正直、誰かとあまり話したくはないのだけれど…呼び止められた相手が相手だし、他の生徒の様に適当な事を云って逃げられないだろうと思いながら立ち止まった。
「真美さん…何?」
「昨日の校門前での祐巳さんの事なんだけど」
やっぱり。
「私は何も解らないわよ」
「でも蔦子さん、見ていたんでしょ?情報が入っているの」
新聞部の生徒がいたらしい…
まあ下校時間だったし、そういう事もありえるけれど。
「ええ。でも、本当に全然解らないわ。真実は当事者だけの中にって訳よ」
「本当?」
「残念だけど」
はぁ、と溜息混じりに真美さんが「でも」と呟く。
「祐巳さんと祥子さまの間に、動きがあった事だけは確かって訳よね…。情報では、祐巳さんが傘も差さずに走って行って、居合わせた佐藤聖さまに抱きついた。それを見た祥子さまは佐藤聖さまと対峙するも、何も云わずにあの1年生と黒塗の車に乗り込んで去ってしまった…と。どう?」
脚色の無い、確かな『情報』に「有能な新聞記者がいる様ね」と呟いた。
すると、ふと真美さんは表情を曇らせた。
「…まさか、お姉さまの言葉が引き金じゃないわよね…」
「たとえもし三奈子さまが云った事が切っ掛けになったとしても…祐巳さんだって、いつまでもあのままではいられなかったんじゃないの?」
そうかしら、と云う真美さんに苦笑する。
相当、三奈子さまには苦労しているらしい。
「それじゃ」とその場を離れて、クラブハウスに向かっている途中、廊下で興奮気味に話している子たちの話が聞こえてきて、私はハッと後ろを振り返った。
「そうなの!ミルクホールで瞳子さんが紅薔薇のつぼみに「紅薔薇さまに相応しくない」って云ったんですって!」
◇
あれから数日。
噂が大きくなりながら広がっていく。
『紅薔薇のつぼみが下級生に平手打ちされた』
『殴り合いのけんかになる処だった』
『その下級生にロザリオを奪い取られた』
…等々
一体何を期待しているんだろうかと呆れる。
以前、祐巳さんに「平和だからこそ、刺激が欲しくなる」という様な事を云った事があるけれど、今回の事も同様だろう。
『刺激に飢えている、清らかなる天使達』
…それは結構、恐いものかもしれない。
そんな中にいるのが酷く苦痛で、部室の暗室に篭ってフィルムの現像しようと思った…けれど、いざ暗室に篭ってみると、気分が乗らず、結局何もせずに出てきてしまった。
「…もう帰るか…」
溜息をひとつ落として鞄を手に歩いていく。
丁度梅雨の合間の晴れ間なのか、雨が上がっている。
水溜まりを避けながらマリア様の前まで来た時、何故か、今はあまり逢いたくない人を見つけてしまった。
「あれ?カメラちゃんじゃない」
佐藤聖さまが、笑顔で近付いてくる。
「ごきげんよう」
「はい、ごきげんよー」
そう云うと、ふと何かを探る様な表情をした。
そして「ああ…そうか」と苦笑する。
「いたんだっけ…この前、あの場所に」
あんな状況で気付かれていたのかと驚いた反面、一瞬、不安になった。
私は、どんな顔をしていたのだろう。
表情を表に出す様な自分ではない筈なのだけど。
「ひとつ、云っておくけど。人にはね、それぞれ役割ってのがあるのよ。あの日は私がその役割だった」
「…聖さま?」
多分怪訝そうな顔をしていたのだろう。
佐藤聖さまは「解らなかったらいいよ」と笑った。
「蔦子ちゃんには、蔦子ちゃんの役割があるんだよ。それが何かは私には勿論解らないけど」
「確かこんな事いつか誰かにも云ったなー」なんて云いながら佐藤聖さまは高等部の方を見た。
それじゃあ、三奈子さまが祐巳さんに話したのも、真美さんが祐巳さんと話していたのも、その時々の役割って事。
それは重々解っている事だ。
それこそ、自分が祐巳さんに云っているのもこんな事だったりするのに。
余程、祐巳さんの、この目の前にいる先輩に対する信頼感が私にはショックだったのか、と苦笑が洩れた。
私は、祐巳さんの『単なる友達』は勿論、『頼りになる友達』の域からも抜け出たいのかもしれない。
でも、今の私の役割は『友達』。
それなら。
「役割、ですか。それを最大限に利用しない手はないって事ですよね?」
そう云って笑う私に、佐藤聖さまは「ふぅん?」という顔をしてからニッと笑った。
「いつもの顔に戻ったじゃない。私は敵に塩を送ったようだねぇ」
「聖さまと私は敵なんですか?」
「敵でしょう?」
「祐巳さんを間に挟んで?」
「おや、そうだったんだ?」
「ずるいですね」
佐藤聖さまは明後日の方向を見て「さぁね」と笑った。
自分にしか出来ない役割があるなら、それを利用しない手は無い。
『写真部のエースで、弁の立つ、頼れる友達』
今はこの役割を精一杯に。
この目の前にいる、一歩も二歩を先を行っている、祐巳さんのピンチには必ずと云っていい程近くにいる『とても頼りになる先輩』にいつか追い付き追い越せる様に。
Fin??
後書き
最終執筆日:2000516
蔦子さんです。この話と以前書いた話とは、一切関係ありません(苦笑)だって矛盾だらけだし(いつも?それはすみません)
今回は「パラソル…」に殆ど顔を出していない蔦子さんを、と考えてみました(確か蓉子さまが職員室に祐巳ちゃん呼び出した時にいた位だよね?違った?)
あー、駄目だ。
折り見て加筆修正するかもです…修行が足りん!
MARIA's Novel TOP