掴み取るチャンス、その為の勇気
(瞳子)
「じゃあやっぱり由乃さんは箱根?」
ごきげんよう、とビスケットの扉を開くと、祐巳さまの声が聞こえてきた。
「あ、瞳子ちゃんごきげんよう」
「ごきげんよう瞳子ちゃん。ええそうよ、箱根行き。またあの熱い人間ドラマを生で観るの…あの華の2区、5区の上り坂、そして…」
うっとり。
そんな言葉がピッタリの表情で由乃さまは指を組んで窓の外を見ながら呟いている。
心は既に、箱根駅伝へと飛んでしまっているらしい。
「おーい、由乃さん帰ってきて〜っと、そうだ、ねぇ、瞳子ちゃんのお正月のご予定は?」
「え?お正月、ですか?」
「うん。あ、でも確か、夏はカナダに行く予定だったとか祥子さまに聞いたけど、別荘の方に来たんだよね?もしかしてお正月、カナダ行くの?」
お茶を入れようとしている私に祐巳さまが声を掛けてきた。
それには答えずにフフンと鼻で笑う。
「来年の話をすると鬼が笑いますよ」
「鬼が…ってもう少しで来年じゃない…」
ブー、といった表情をなさる祐巳さまに、見えない様にほんの少し微笑む。
「でも、お正月…って何故ですか?」
「お姉さまがね、またお正月にお家へいらっしゃいって云って下さったのよ。今年は聖さまに騙されて連れて行かれたんだけどねぇ」
「ああ…確か優お兄さまも祐麒さんをお連れになられたんでしたっけ?」
「あれ?聞いてたんだ。ね、何も予定がないなら祥子さまの家で合宿しようよ。そして一緒に『なかきよ』しよう〜?」
「『なかきよ』?…ああ、清子おばさまの…」
まだ小さい頃、祥子お姉さまのお宅に優お兄さまとかとお正月に伺った夜に清子おばさまに教えて戴いた、良い初夢を運んでくれる宝船。
祥子お姉さまと優お兄さまと瞳子の3人で、清子おばさまのお手本を見ながら綺麗な千代紙に頭を寄せ合って、ほんの少し緊張しながら、良い初夢が見られる様にと思いを込めながら『なかきよ』を書いたっけ…
なんて、ほんの少し物思いに耽っていると…
むぎゅ
そんな擬音がとても似合う感じで後ろから祐巳さまが抱きついてきた。
「ちょ、祐巳さまやめて下さいっ」
「だって瞳子ちゃんったら構ってくれないんだも〜ん」
「う〜ん、やっぱり祐巳さん、聖さまに似てきたよね…」
一足先に箱根へと飛んでいた心が薔薇の館にと帰ってきた由乃さまが面白がる様に云ったあと、呟いた。
「で、『なかきよ』って何?」
「やっぱり志摩子さんもダメかぁ…」
少し遅れて薔薇の館にやってきた志摩子さまと乃梨子さんに祐巳さまは早速お正月の予定を聞いたのだけれど、志摩子さまは「ごめんなさいね」と残念そうに微笑んだ。
「でも祐巳さん、やっぱりって?」
由乃さまが首を傾げる。
「やっぱり」と云ったという事は答えが解っていた、という事だから。
「ん〜、今年のお正月、聖さまが云ってたから…」
「お姉さまが?」
「うん、志摩子さんちはお正月にお客様が多いし、家のお手伝いしなくちゃいけないからって聖さま云ってたの」
『聖さま』
その単語(?)にはちょっと敏感。
祐巳さまが『聖さま』に絶対的な信頼感を寄せているのが解るから。
あの雨の日に『聖さま』の胸に飛び込んで行ったから。
祐巳さまの『特別』だから。
そんな私を置き去りに、祐巳さまと志摩子さま、由乃さま、乃梨子さんの会話は続く。
「ええ、お正月は檀家の方々が新年のご挨拶に来て下さるし、他にも色々と、ね…」
「だから私、年末年始のお手伝い行くんです」
「へぇ、乃梨子ちゃんが?」
「そうなのよね。本当に有難う、乃梨子」
「いいえ、だって貴重な体験もさせて戴けるし。タクヤくんも羨ましがってましたもん」
そこで祐巳さまがポンと手を鳴らす。
「あ、そっか、お寺の年末年始の行事体験も出来るんだ」
「それに大好きな志摩子さんと仏像と一緒だ」
由乃さまの言葉に乃梨子さんがちょっと嬉しそうな表情をしている。
その顔を見て、ほんのちょっぴり「いいな」という思いが心に浮かんだ。
乃梨子さんの趣味も趣味だけれど、でもそれとは別に、好きな人とは少しでも一緒にいたいと思うものだから。
話は終業式の後のパーティの話に移っていた。
今日は3年の祥子お姉さまと令さまは薔薇の館には来られないらしいから、お二人に内緒で何かをしようと計画中の様だ。
「瞳子?」
乃梨子さんがふいに声を掛けてきた。
「どうしたの?」
「え?」
「なんか、泣きそうな顔してるよ」
小さい、私だけに聞こえる様な声で云う。
泣きそう?
私が?
「ねぇ…瞳子さ、もうそろそろ意地っ張りはやめた方がいいと思うよ」
「…どういう意味ですの?私は意地など」
そういうと、ふう、と乃梨子さんは小さな溜息をつく。
「それが意地っ張りって云うんでしょ…そんなだと、勿体ないでしょ。チャンスだって逃げちゃうよ」
「……」
チャンス。
チャンスは自分で掴み取らないと逃げて行ってしまうものらしい。
私は想像する。
清子おばさまのお手本を見ながら、綺麗な千代紙に少し緊張しながら、良い初夢が見られる様にと思いを込めながら、祐巳さまと『なかきよ』を書く夜を。
そして一緒のお部屋で、祥子お姉さまと祐巳さまと眠りにつく夜を。
「じゃあ今日はこれで帰りましょうか」
志摩子さまの声に私の心が現実に戻った。
志摩子さまの言葉を合図に「それじゃ」と、乃梨子さんがティーカップを片付け始める。
それに習って私も流しへと向かった時、祐巳さまが「うーん」と何か考える様に云った後、ポンと手を打った。
「あ、そうだ。可南子ちゃんはどうだろう…そうだ、聞いてみようかな」
『可南子』
その単語(??)にも私は敏感なのだ。
私の隣で乃梨子さんが「さーどうする?」と呟く。
どうする?
答えが出ない内に、私は反射的に動いていた。
「ゆ、祐巳さま!」
「はぇ?」
驚いた様な声を上げる祐巳さまの前に真っ赤な顔で私は立っていた。
乃梨子さんはティーカップを洗っている泡だらけの手で、私にだけ見える様に「頑張れ」と云う様に親指を立てた。
チャンスを逃がすな、自分で掴み取れ!
fin
後書き
執筆終了日:20040104
2004年最初のSSはコレです…本当は年末にupしたかったんですけれど、今頃に(泣)
うーん、一応誰が祐巳の妹、とかいう風には書いていないつもりですが、希望的なものが滲み出てます…スイマセン。
しかし、瞳子ちゃんと乃梨子ちゃんのコンビが好きらしいですね、私。