指きりげんまん



いったいお母さんは何を思ってそんな事を聖さまに云ったんだろう。

まさか、お母さん本人に聞く訳にもいかない。
うう、どうしろって云うの?お母さん…

聖さまが、急にクスクス笑い出した。

「な、なんですか?」
「いや…祐巳ちゃんの百面相健在だなぁって」

思わずムッとした祐巳に、聖さまがちょっと真面目な表情になった。

「…まぁ…気にしない方が、いいかな…別に批判的な言葉じゃなかったし…むしろ友好的だった。だから、気にしないでいいかもしれないよ」

そう云いながら、聖さまが祐巳の頭をそっと撫でた。









「なんか、お腹空きましたね」

聖さまの確信犯的お寝坊に付き合って、ベッドから抜け出たのは、時計が10時になろうとしていた時。
シャワーを浴びてタオルで髪を拭いている聖さまに、一足先にバスルームから逃げてきた祐巳はバッグの中を片付けながら云った。
そう、逃げてきた。
先にシャワーを使っていた祐巳の処に、聖さまが奇襲を掛けてきたから。
そりゃ…鍵を掛けていなかった祐巳も祐巳だけど…開けて乱入してくる聖さまも聖さまだ。


「ああ、昨夜から何も食べてないからね」

そう。
3時にあのペンションでちょっと多めのおやつを食べて、それきりだ。

「どうする?軽く食べる?ああ、パンもあるね」
「じゃあ昨日買ったパンを戴いて、お昼はお外でって事にしましょうよ」
「おっけ。じゃあ紅茶でも淹れようか」

そう云いながら聖さまが備え付けポットにミネラルウォーターを入れ、電源を入れる。
そして、「お湯が沸くまで」と云いながら祐巳を背後から抱きしめてきた。

「聖さまってば」

パンやジャムをテーブルに用意していた祐巳はぴったりとくっついてきた聖さまを首だけで振り返る。
そうして見えた表情が、とても穏やかで…祐巳も微笑んでしまう。

「ねぇ、聖さま…そろそろ、教えて下さい」
「ん?何を?」
「最後に行きたいって、云ってた場所です」
「ふむ」

うわ。
聖さまが頭をぐりぐりと祐巳の肩に押し付けてくる。
何やってんですか、もう。

「ち……さき…」
「へ?」

ぼそりと呟かれて、祐巳は「はい?」と聞き返す。
けれど、そこでするりと聖さまが祐巳から離れて云った。

「やっぱり、まだ内緒。別に勿体ぶっている訳じゃないけど、なんとなくね」

ポットのお湯を備え付けのティーポットに注ぐ聖さまに祐巳は首を傾げた。
そこで止められると、気になるんですってば。

でも、聖さまの淹れてくれた紅茶を飲みながら、昨日買ったパンを口に運んでいたら、なんとなく「ま、いっか」なんて思ってしまったんだけど。






チェックアウトは正午。

パンを食べ終えてからTVを見ながら聖さまとのんびりして。
夏休み限定のアニメ再放送は、どこでもやってるんだなぁ…なんて思いながら、画面の中を駆け回る『体は子供、頭脳は大人』の少年を見ていた。

「もう帰っちゃうのか…」

聖さまがぼんやりと呟く。
もう全てを仕舞い込んでしまって、壁の傍に置かれている二つのバッグ。
部屋の中は、祐巳たちがこの部屋に初めて足を踏み入れた時の状態に近い。
この部屋に、三日お泊りした。

初めての、聖さまとの旅行は、もうじき終わりを告げる。
なんだか…ちょっぴり寂しかった。

「また、聖さまと一緒に来たいです」
「……うん」
「今度は冬の北海道とか、逆に寒さから逃れる為に沖縄とか!」
「…そうだね」

聖さまが、ゆっくり微笑む。

「……聖、さま?」

祐巳は、聖さまの顔を覗き込んだ。
微笑んでいるのに、寂しそうだったから。

そんな祐巳に、聖さまが頬にキスをしてきた。
ふわり、と、羽が触れるような。

「一緒に来てくれて、有難う」

…何故だろう。
ちょっぴり、寂しそうな聖さまの笑顔が、滲んできた。

それは祐巳の目が潤んできたから。
でも、なんで涙が溢れてくるんだろう。

『有難う』
その言葉が、祐巳の涙腺を緩めた?

「…なんで、有難う、なんて云うんですか…」
「嬉しかったから」
「なら…なんでそんな寂しそうな顔してるんですか」

祐巳がそう云うと、聖さまはちょっと吃驚した顔をして、そして祐巳を抱きしめた。

「そりゃ…寂しいからに決まっているでしょ。私は、寂しいよ。また祐巳ちゃんと一緒に過ごせなくなるんだから」

…もうじき、学園祭の山百合会の出し物や、他の話し合いとかでリリアンに行く事が多くなる。
聖さまも、ゼミとかで出掛けたりするらしい。

そうなんだ。
こんな風に、のんびりする事も少なく…ううん、もしかしたら夏休みが終わるまで、逢えないかもしれない。

うまく時間が合ったり、夕方にでも会おうと思えば、きっと逢えるかもしれない。
…でも。
こんな風な、時間は…多分、なかなか取れない。

祐巳は、聖さまの背中に腕を回して、ぎゅっと力を込めた。
こんな風に、抱きしめることも、なかなか出来なくなるんだ…そう思ったら、寂しい気持ちが心に溢れてきた。

でも、今日祐巳と聖さまは帰るんだ。

「なるべく、時間を作ろう。逢えなくても、電話したり」
「はい…」

頭をゆっくり撫でる手。
優しい手の感触に、祐巳は更に腕に力を入れた。

「苦しいよ」

苦笑混じりの声が聞こえる。
祐巳は、そっと腕を緩めて聖さまの顔を見上げると、さっき聖さまがしたように、頬にキスをした。

「夜…眠る前に、聖さまに電話していいですか?一分でも、いいので」
「構わないけど…?」
「一日の最後に、聖さまの声が聞きたいです…お休みって」

こんな事、と思われるかもしれない。
でも、この北海道で過ごした夜は勿論、聖さまのお部屋にお泊りした時も、一日の終わりは聖さまの「お休み、祐巳ちゃん」っていう言葉で眠りについたから。
…そりゃ、先に眠ってしまったりする事もあったけど。

「…うん。いいね…そういうのも。ちょっと何処かのラヴラヴカップルみたいで照れるけど」
「あーあ…由乃さんが羨ましいな…」
「な、なによ急に」

照れる、なんて云い出す聖さまに由乃さんの事を持ち出してみる。
だって、由乃さんは隣に令さまが住んでいて、大体一緒だから、一日の終わりは令さまの「お休み」で締め括られる。
それが由乃さんの日常。
羨まし過ぎる。

「だって、令さまは由乃さんのお隣さんなんだもん」
「…じゃあ、祐巳ちゃんはいつか同居人になればいいじゃない」
「は?」

どうきょにん…?

「祐巳ちゃんにあげた鍵は、祐巳ちゃん専用なんだから。いつでも私の部屋に入って構わない。そして、いつか…『私の部屋の鍵』じゃなく、『私と祐巳ちゃんの部屋の鍵』になったら、私は嬉しいよ」

そう云って、聖さまは祐巳の鼻を摘んだ。

「ど、同居…人」
「今は勿論無理だけどね…そうだな、高等部を卒業して大学生になって、小母様や小父様の許可がもらえたら、だけどね」
「……聖さまと、一緒に?」
「うん…祐巳ちゃんは、嫌?私と一緒」

思わずブンブンと頭を振ってしまって、髪が聖さまに当たって「いて」とか云ってる。

「あ、ごめんなさい」
「いいって。謝んなくて」

そう云いながら聖さまが笑う。
なんだか、祐巳の頭の中はちょっとパニックになりかけているかもしれない。

同居、だって。
聖さまと、一緒だって。
聖さまの部屋が、聖さまと祐巳の部屋に…なるんだって。

「…一緒…ですか…聖さまと」
「うん」

祐巳は、なんとなく子供っぽいかも…と思いながら小指を立てた。

「ん?」
「約束、して」
「指きり?」

こくん、と頷く。

「私が、高等部を卒業して大学生になって許可が貰えたら……」
「そう。許可が貰えるって事が大前提」
「はい」

聖さまが、祐巳の小指に小指を絡めてきた。
…何故だろう。
小指が絡んできただけなのに、急にドキドキしてきた。

「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます」

ぶんぶんと手を振りながら聖さまが歌う。

祐巳は、一緒に歌えなかった。
急に、涙が溢れて、声が詰まってしまったから。





「聖さま…」
「何?」
「早く…大学生になりたいです」






最終執筆日:20050301

ひっさびさ甘々でした。
なんだか、妙なテンションです、私。
ここ数日シリアス路線だったせいでしょうか。
約束なんて、必要ないんですけどね…
でも時には二人の必須アイテムにもなり。

ふふ…これで大学生になってからのひと波乱とか、書けるね…(にやり)


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