amnesia
-1-



目が覚めると、私は大学生になっていた。

…いや、違うか…
大学生の私が、高校生の私に戻ったと云うのが正しいんだろうと思う。
私だけが成長したという訳ではないようだから。
カレンダーは、二年の時を刻んでいた。
もちろん、パニックを起こしていない訳ではない。
私は短い髪に、学生証の大人びた表情に、一人暮らしをしている自分に、驚いていた。
でも比較的早く、私は『今』を知る事に集中した。

…親に連絡をいれる事を考えなかった訳じゃない。
でも…あの世間体を気にする親だ、私がこんな事になったと知れば、家に連れ帰られ部屋に閉じ込められるか、遠方の病院にでも入院させられたり…なんて事になりそうだ。
まさか、そこまではしないか、と苦笑しつつも、頭の何処かでは、やりかねないと思っている私がいるのも事実だった。
親にこんな事を思う自分もどうかと思う。
でも、物心ついて、私なりに両親を見ていて…そう思ってしまったから。

手にした携帯電話を弄んでいたら、何処を押したのか着信履歴が現れ、蓉子の名が目に飛び込んできた。

「…そうだ」

蓉子に電話をしてみよう。
彼女は馬鹿みたいに面倒見がいい。
何を云っても暖簾に腕押しな私にも、めげずにいちいち口を出すような彼女だ、この今の私の状況を知れば、こちらから頼まずとも動いてくれるに違いない。

私は着信履歴の『水野蓉子』の名にカーソルを合わせ、決定ボタンを押した。



数回の呼出し音の後、蓉子の声が聞こえてきた。

『はい』
「…蓉子?」
『珍しいわね、聖。こんな時間に貴方が起きてるなんて。あ、祐巳ちゃんは喜んでくれた?』

蓉子は私の知らない私の事を云う。
こんな時間って…もう9時になろうという時間なのに。
それに今誰かの名を云った。
喜ぶ…?

いや、今はそれ所じゃない。

「蓉子、ちょっと聞きたいんだけど」

そう云った途端、蓉子が押し黙った。

「蓉子?」
『……何があったの?』

何があった、とは…蓉子は何を感じ取っただろうか。

「確かに昨日まで、私は髪が長かったはず。そして今日は新入生歓迎会のはずだった…なのに、今起きたら私の髪は短くなっていて、鞄の中には大学の教科書や学生証まである。これは一体、どういう事だと思う?」

そう告げた。
一気に。

蓉子が、息を飲むのを感じた。

「蓉子?」
『……聞いてるわ…じゃあ、貴方、私の妹がまだ誰か、知らないの?』
「小笠原祥子?どうせ蓉子の事だから、落としたんでしょ」
『そう…本当の事のようね……聖、貴方、昔に戻ってしまっているのね』

何故蓉子は落ち着いているんだろう。
何故自分の妹の事を引き出すのか。
何故、信じられたんだろう…こんな突飛な私の言葉を。

「よく信じられるわね。こんな非現実な話」
『貴方の口調が、昔の貴方のものだからよ…』

どういう意味なんだろうか。
『今』の私は、どうなったと云うんだろうか。

『令の事は?解る?』
「令…はせ…なんとか令って云ったっけ?江利子が目をつけた」
『そう…解ったわ。祥子と令の事は解るのね…新入生歓迎会…か……じゃあ…彼女とは出会ってないのね…』

蓉子が、自分自身に確認するかのように呟く。
彼女?

「誰?」
『…いいの、それは。今の貴方は…まだ知らない時間の事だから……解った。じゃあ聖。授業が終わる時間を見計らって薔薇の館に行って。私も行くから』

いいわね?という蓉子に「解った」と頷く。
何故か、蓉子のその口調は有無を云わせぬものがあった。
2年の間に、蓉子も変わったんだろうか…私の知っている蓉子はこんな風な事は云えなかったはずなのに。
確かにしっかりしていて、優等生然としていたけれど。

私の部屋が何処にあるのか、リリアンまでの道順を確認して通話を切った。
携帯電話を置いて、座っていたベッドから立ち上がり、部屋の中を見回す。

知らない作りの、知らない部屋。
でも、置かれてある物たちは、私のものだと直ぐに解るようなものだ。

間違いなく、私の部屋。

ふと、引き出しを開けると、小さな包みが現れた。
可愛らしく、リボンが掛けられている。
まるで、誰かからのプレゼントか、誰かへのプレゼントだ。

私が誰かに物をあげるなんて事は考えられないから、きっと誰かから貰ったものだろう。
でも…それをこんな風に仕舞うなんて事も信じられない。
…もしかしたら、お姉さまから何か戴いたんだろうか…

お姉さま。
お姉さまももう高等部にはいない。
今薔薇の館に行ってもいないのだ。
そう思うと不思議な気分だった。
私はリリアン女子大に行っているようだけど、お姉さまはどうなんだろう…
お姉さまもリリアンに居て下さっていればいいのに。

……取り敢えず昼を過ぎて薔薇の館に行けば、何か解るだろう。

私は引き出しを閉めた。
例え自分のもの、とはいえ…今の自分は知らない人間も同然だ。
誰かに自分の物を見られるなんて、ゾッとする。
こんな風に仕舞ってあるんだから、きっと大切にしているか、誰かに見られたくないんだろう。

しかし…どうして私は『戻った』んだろう。
よくSF小説なんかで、事故や何かで頭を打ったせいで記憶喪失になったりする話があったけれど…見た所、怪我もなさそうだ。
それとも、そうしてしまう程の厭な事でもあったんだろうか。

そう考えて、自嘲的に笑う。
私は厭な事があったからって、昔に逃げるような繊細な人間では無い筈だ。
それは、在り得ない。









当たり障りなく、部屋の中を探索して、ふと時計を見るとそろそろ薔薇の館に向かったほうがいい時間になっていた。
引っ掛けてあったコートを着て、テーブルの上にあった部屋の鍵、そしてバッグを手に部屋を出た。

蓉子に聞いた通りにM駅まで行き、リリアンへ向かうバスに乗り込む。
いつもと同じ風景が流れていく。
ただし、時間帯は全く違うけれど。

大学は休みで良かったと思った。
私が知らない、私の知り合いに逢う確率も低いだろう。

ぼんやりとそんな事を考えていると、リリアン正門前についた。


銀杏並木はまだまだ若葉も無く、殺風景。
…昨日までは、若葉が顔を見せ始めていたのに。

本当に、昨日までのリリアンとは違うという事を見せつけられる。
思わず、背筋にザワリとした何かも感じた。



薔薇の館へ道を急ぎ足で向かった時、よく見知った薔薇の館から、誰かが出てきた。
二つに髪を縛り、ツインテールにしリボンをつけた子と、ふわりとした長い髪をした子。
長い髪の子が、ツインテールの子を追っている、みたいだった。

その追われていたツインテールの子が、私を見た。

「………せ…」

不思議な表情を見せた。
一瞬、驚いた表情をして、次に笑顔になりかけ、困惑したものに変わったと思ったら、悲しそうに歪めた。

随分表情豊かな子だな、と思いながらも、私はその子の横を通り抜ける。
その途端、ツインテールの子が駆け出した。

「祐巳さん!」

長い髪の子が、私に視線を向け、ツインテールの子を追った。

「…何?」

ふんわりとした、長い髪の子の目は、何処か寂しそうで、それでいて私を非難するかのような目だった。




…to be continued

next
amnesia -2-


20050218
postscript

自分だけど、自分じゃない。
知っている人なのに、知らない人。
聖さまは、知っているけど、知らない人です。
祐巳も。


novel top