amnesia
-2-




ビスケットの扉を開くと、そこにはよく知っているはずなのに、知らない人間がいた。

「聖…来たのね」
「……蓉子」

2年の月日を感じさせる、蓉子の姿。
薄っすらと化粧をして、大人びた蓉子に違和感を感じた。
自分だって、大人びていたんだから、当然と云えば当然。

自分を伺う小笠原祥子と、江利子が気に入って妹にしようとしていた少年のような少女もいた。

「ごきげんよう…聖さま」
「……ごきげんよう」

少年のような少女に続いて、小笠原祥子も、そう挨拶してきた。
…祥子は何処か、不機嫌そうに私を伺っている。

「聖、祥子と令は解るのよね…この子は令の妹の由乃ちゃん。この子は白薔薇のつぼみ…」

そこで、蓉子が言葉を止めた。
何かを迷っているように。
いや、誰かを待っている?

「…蓉子?」
「いえ…」

そうしていると、ぎしぎしという階段を登る音が聞こえてきた。

そしてビスケットの扉が開き、さっきの子たちが姿を現した。
ふんわりとした長い髪の子と、ツインテールの子。
ツインテールの子は俯きがちだけれど、目が赤いのが解る。

「…祐巳」

祥子が、ほんの少し表情を和らげる。
けれど、何処か痛みを含む表情。

「…すいません、お姉さま…蓉子さま」
「いいのよ祐巳ちゃん…貴方の気持は、解るから」
「さ、こちらにいらっしゃい、祐巳」

蓉子が珍しく柔らかな目を向けている。
祥子が肩を抱いて自分に近付ける。
さしずめ、あのツインテールの子が祥子の妹…今の紅薔薇のつぼみって事か…
祥子にしては、随分普通っぽい子を妹にしたものだ。

なら、この髪の長い子が……私の妹…?
考えられない。

「聖。この子が紅薔薇のつぼみ…福沢祐巳ちゃんよ」
「……」

…?
蓉子の云い方が引っ掛かる。
なんで、そんな風に云う?
まるで、このツインテールの子を私に見せつけるかのように…

「そして…この子が貴方の妹、白薔薇さまの藤堂志摩子」
「ごきげんよう…お姉さま」

『お姉さま』

その言葉に、物凄い違和感を感じた。
そもそも…こんな子、1年生にいただろうか。

「志摩子は、祐巳ちゃんや由乃ちゃんと同じ2年生よ」
「…え?」

まるで私の考えを読んだかのように蓉子が云った。
2年生…じゃあ私が3年になってから妹になったって事…?
ふむ。
2年生で妹を作らなかったのか…なら、さぞお姉さまに迷惑掛けただろう…
いくら顔で選んで戴いた妹だったとは云え、周りは黙っていなかったに違いないのに。
きっと紅薔薇さまや黄薔薇さまに責められていたんじゃないだろうか…

「……やっぱり、思い出せない?」

蓉子が、控えめに聞いてきた。
それに私は「全然」と云った。

ツインテールの子が、私をジッと見詰めていた。
でもそう私が云った途端、うな垂れてしまった。

……一体、なんだというんだろう…あの子。
そう、薔薇の館の前で逢った時。
あの時も何か云いたげな顔で私を見た。

「…福沢…祐巳さん、って云ったっけ」

私がそう云った途端、みんなの顔が驚いた顔をした。
…全く、なんだと云うんだ。

「貴方、さっきから何か云いたげにいているけれど…何?」
「……っ」

思わず、口調が冷たくなってしまった。

「い、いえ…っ」
「聖…」

蓉子がまるでその子を庇うようにする。
祥子と令の妹が、非難がましい顔をする。

「お姉さま…いえ、『聖さま』。本当に、お解かりにならないんですね…」

私の妹だという子が、静かに呟いた。
その子の袖を、日本人形のような子が引く。

「祐巳さんが、あんな悲しい顔をする理由も、何も」
「志摩子さん…っ」

へぇ…この子、自分の姉を『さん』付けか。
そんな事をぼんやりと考える。

「…解らないわ」
「…そうですか」

解りました、と志摩子という子は云う。
そしてそのまま、私に目を向ける事は無かった。



何だか、頭が痛くなってくる。
本当に、一体何故こんな事になったのか。
そして、何故私が責められるような目で見られなくてはならないのか。
私だって、何故こうなったのか、知りたいのに。

「あ、あの…蓉子さま…」
「何?祐巳ちゃん」
「聖さま…お帰りになって休まれた方が…いきなり記憶が昔に戻られたのなら…一番困惑されているのは聖さまですから…それに顔色も優れないみたいですから…」

これは優しいお言葉で。
ツインテールの祐巳さんが私を控えめに見ながら蓉子に云う。

「ああ…そうね…じゃあ今日のところはこの位にしましょうか」

今日のところは…って、何?
また私はここに来なきゃいけないわけ?

「蓉子、それどういう事よ」
「何が?」
「また私はここに来なきゃいけないの?」

うんざりしながら云うと蓉子は事も無げに「そうよ」と云う。
「当然でしょ」と。

「何故?」
「慣れ親しんだ処にいた方が思い出しやすいでしょ。だから、此処に来なさい。リリアンに。仕方が無いから私も時折付き合ってあげるから」

そう云った蓉子に祥子が「お姉さま」と蓉子を呼んだ。

「何?祥子」
「私や令ももう家庭学習期間ですし、用の無い時は聖さまのお相手、出来ます」
「ああ…そうね…それがいいわね」

私の意志も何もない。
勝手に決められていく。
…まぁこの状況で他に何もやる事は無し、構わないと云えば構わないんだろうけれど…
私の意志を無視されるのは、気に入らない。

「…勝手に決めないでよ」
「でも、貴方だって早く思い出したいでしょ」

『思い出したい』?

別に私が『何か』を失くした訳じゃないのに、何を思い出せと云うのか。
正直云って、私は『私』のままだ。
何も失くしてない。

何かを失くしたのは、私の奥にいるであろう大学1年生の『私』自身が、だ。


「…もう帰るわ。私はその子の云う様に、とてもお疲れなの」
「あ、待って。私も行くわ…祐巳ちゃん」
「は、はい」
「貴方も、一緒に来て」
「え?よ、蓉子さま…?」

え?
なんでその子まで?
私が訝しげに蓉子を見ると、祐巳と呼ばれた、不安そうに蓉子を見る子の背に手を回して云った。


「…私より『今』の貴方を一番知っているのが、この子だからよ」
「はぁ?それってどういう…」
「あ、あの、蓉子さま…!」

慌てたように云う祐巳という子に蓉子が微笑み掛ける。
そして、こう云った。

「貴方と祐巳ちゃんは、とても仲良しだから」



…to be continued

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amnesia -3-


20050220
postscript

とてもよく見知っていた人が、知らない人になってしまった。
…あの時、微笑んで導いてくれた人は、今ここには居ない。
でも、同じ人だから。
2年の差は大きいかもしれないけれど。
でも、この人が『好き』という気持に、変わりはないから。


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