amnesia
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リリアンにおいて、『姉妹』の契りは絶対だった……はず





「…し…おり…?」
「ええ。貴方は二年生の時…マリア祭が終わった頃、栞という名の少女に出会ったの……私、今でも覚えているわ。貴方が私に栞さんの名を告げて、祥子と同じクラスらしいけど何か知らないかってわざわざ薔薇の館にまで出向いてきて、私にそう聞いてきた時の、貴方の顔」
「私の、顔?」

蓉子が私を妙に優しい目で見ている。
感傷的な、その目は何故か私を落ち着かなくさせた。

「ええ。あの時の貴方は、何かに突き動かされるように…切羽詰ったような顔をしてた。中学部から編入してきて、色々貴方の世話を焼いてきていた私だったけど、あんな顔をした貴方を私はあの時初めて見たわ。それまで、あまり感情を見せてなんかくれなかったもの」

そう云って見せる、苦い笑み。

…蓉子は妙にお節介で、色々私にああでもない、こうでもないと煩かった。
正直、何度放っておいてくれと叫びそうになったか知れない。

「私は、貴方が栞さんを妹にするものだと最初、思っていたわ…でも、違った」
「…違った?」
「貴方は、それまでも背を向け気味だった山百合会からは完全に足が遠退いた。貴方は、栞さんと『ふたりだけの時間』を大事にするようになっていったから」

どきん、と心臓が跳ねた。

ふたりだけの、時間?
姉妹になるのではなく…?

「私は、それをとても危惧し何度か貴方を説得しようと思ったけれど、ダメだったわ。貴方の心は、栞さんだけを望んでしまっていたから…でも…栞さんは、とても敬虔なクリスチャンで、高等部を卒業したら修道院に入る事が決まっていたの。それを知って…貴方は、とても傷付いた」

ひとりの少女に出会って、私は変わった…?
確かに山百合会の、あの馴れ合い的な雰囲気は正直好きではなかった。
けれどその山百合会に完全に背を向けてしまうほどに、私はその少女にどんな感情を抱いたんだろう。
ふたりだけに時間に比重を置き、周りに背を向けて…

「自暴自棄になった貴方は一切に興味を示さなくなった…栞さんも、遠ざけて。お互いに傷付いて、そして栞さんは、貴方の前から姿を消したわ…貴方に手紙を残して、他の学校へ転校したの…クリスマス・イヴの日に」

その感情は、一体何だ?
まるで、恋じゃないか。
…いや、私は『恋』なんか、知らない。
でも…

そんな強い感情を、この私が誰かに向けたなんて。
向けていたなんて。
女の子、に。

「それから、貴方は変わったの。長かった髪もざっくりと切ってしまって」

遠い日を見詰めているかのように蓉子は私を見た。

「確かに、あの日を境に貴方は変わったかもしれない…でも『今』ここにいる貴方も、祐巳ちゃんがいう通り、貴方は『貴方』なのよ。それを、私たちは忘れかけていた。貴方と、祐巳ちゃんに云われるまで。本当なら、中学時代の貴方を知らない祐巳ちゃんこそが貴方を貴方じゃないと云いそうな処なのに」

蓉子が、苦く笑っている。
今日此処に来てからの彼女はずっとこんな調子で笑う。
苦く、悲しげに。

「私は…貴方に近くで、貴方を見てきたのにね…それなのに、そんな私よりも祐巳ちゃんの方が『貴方』という人間の事を正しく理解しているのね」

そう云うと、蓉子は立ち上がり、コートを手に取った。

「蓉子?」
「…帰るわ」
「え?」
「貴方が変わったきっかけは、話したから。そこから先は、貴方自身が経験して初めてその意味が解る事だから…」

そう云って蓉子は私に背を向けた。
蓉子の清廉さ、その麗々しさを表すかのように切り揃えられた髪が、頬の辺りで微かに震えている気がするのは何故だろう。

「それと…貴方は祐巳ちゃんの事を聞きたがっていたけど…それは『貴方自身』に聞きなさい。その写真や、携帯のムービー…そしてそこに写っている『貴方自身』に聞きなさい。貴方の中の『何か』に触ったから、私に聞いてきたんでしょう?」

そう云うと振り返り、微笑んだ。
何処か、泣き出しそうな…笑顔で。

「貴方は、『今』も『昔』も、気になる人間が現れると私の処に来るのよね…栞さんの時…志摩子の時…そして、祐巳ちゃん」

ま、頼ってくれるだけ、マシよね。
そう独り言のように云うと、蓉子は「じゃあね」と部屋を出て行った。

私は、何も云う事が出来ず…ただ、茫然と見送ってしまった。














きっと、私の事だ、その手紙は今も残っているだろう。
どの辺りに仕舞い込んでいるのかも、解る。
『私』が私なら、間違いなく…あの辺りに仕舞っているだろう。

でも、それを見ようとは思わなかった。

心を動かされたという人は、居ない。
私が見知っているのは、その彼女をきっかけに変わった後に出会ったあの子たち二人。
妹だという志摩子という子、そして祐巳さんだ。

私は、蓉子が置いていった封筒に手を掛けた。
中に入っていた写真には、やはり、祐巳さんがいた。

満面の笑みを浮かべているもの。
真剣な表情で教科書を見ているもの。
小笠原祥子と一緒のもの。

何気無い日常を写したポートレート。

蓉子が云っていた通り、後ろから私が覆い被さるように抱きしめているものもあった。

楽しそうな、『私』がそこにいる。
そんな『私』に驚いた表情で写っている祐巳さんの顔を見ていたら、知らずに微笑んでいる事に気付いた。
まるで、写真の中の『私』のように。

写真は、携帯電話のカメラ画像とそんなに変わらない。

でも…
私は携帯電話を手に取った。
そして、動画を呼び出す。
3つ保存されている中の1つは見た。
私は残り2つを見る決心をする。
決心なんて大袈裟かもしれない。
でも…私には全く大袈裟などではなく。

だって、私は内心、とても動揺しているから。



『聖さまったらまた…』

ちょっと呆れたような顔のあの子が現れた。

『折角カメラ付きなんだもん』
『もう沢山取ってるじゃないですか』
『だって、今日は私の誕生…』

そこで2つめは終わる。
誕生日、とか云っていたのが耳に残っている。
今は2月。
二ヶ月前のもの、という事か。

私は最後のひとつ…音符の画像をクリックした。
画像は、特に現れない。


『…聖さま』

あの子の、声が聞こえてきた。
それと、衣擦れの音。

『聖さま…好き、です』
『…それは、私の誕生日だから、サービス?』
『違いますってば…もう…どうしてそんなに意地悪なんですか』
『冗談だって。…うん、私も、祐巳ちゃんが』

そこで、停止ボタンを押した。
まだ数秒残っている。
でも、『私』が何を云ってるかは、手に取るように解る。

……そう、解ってしまった。
『私』と、あの子の間柄。

知ってしまった。
知らない『自分自身』を。


そして…祐巳さんの言葉に、自分の頬が熱くなった事を。



…to be continued

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amnesia -11-


20050306
postscript

自分の腕に残る記憶。
感触。
温もり。

その意味が、解った。

そして、あの子が、結局は他の皆と同じように『私』しか見ていなかった事にも、気がついた。


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