amnesia
-14-






解らない

この感情が、なんなのか…誰のものなのか






「落ち着きなさい、聖」

蓉子が私の肩に手を置いて凛とした声で云った。

「その感情は、他でもない、貴方のものでしょう?」
「…『私』の事なんか…知らないわよ」
「それは逃げでしょう?貴方は貴方だと、祐巳ちゃんも云っていたでしょう?」

それは、何を根拠に云っていた言葉なんだろうか。
私は、『私』の事なんか知らない。
知る事なんか、出来ない。
だって、見えないから。
傍にいない人間など解る訳が無い。

「貴方の中に、確実に『貴方』はいるのよ。だって、どちらも貴方に違いないんだから。今の貴方が、これからの時間を過ごし、『貴方』になっていくんだから」

その『時間』を私は知らない。
だから、解らない。

ただ解るのは…あの子に対する不思議な感情のみ。
どうして、動いてしまうのか。
こんな自分は、知らない。
ただ…あの子を見ていたいような…傍にいたいような…

「……」

そう考えて、私は無性に逢いたくなった。
私の顔が好きだと云って、私の手を取った人に。
勝手なものだと思う。
薔薇の館にも顔を出さない自分なのに。
こんな時ばかり、頼ろうという自分が、勝手だと思う。
…でも。
こんな事になって、お姉さまに逢いたいと思わなかった訳じゃない。
私は、ずっとお姉さまに逢いたかった。
お姉さまなら…何か解るのではないか?と。
…あのお姉さまの事、きっと解ったとしても、教えてなどくれないだろうけれど…でも…でももう、限界だった。

「蓉子…お姉さまは、今どうしているの?」











二、三日振り位の逢ったお姉さまは、華やかに微笑んだ。
うっすらと化粧をして、『大人の女性』みたいな、お姉さま。

「久し振りね…聖。もっとも、貴方にとっては久し振りなんかじゃないのかもしれないのだろうけど」

お姉さまにとって、私に逢うのは『久し振り』なのか。
私は、卒業されたお姉さまに逢いに行く事は無いのか。
お姉さまはまじまじと私の顔を見ると、フッと微笑んだ。

「本当なのね…蓉子ちゃんから聞いてはいたけれど…聖、貴方は本当にあの頃の聖なのね」

そう云うと「仕方の無い子ね」といつものように、私の髪を撫でた。
やっと…私は『私』ではなく、私を見てくれる人に逢えた気がした。
ぽろ、と思わず零れてしまった涙を拭ってくれる優しい手を頬に感じ、いつの間にか張り詰めていた糸が、緩んだのを感じた。

「莫迦ね、何そんな情けない顔をしているの。私の好きな顔が台無しだわ」
「酷い…」
「あら。だって本当の事だもの」

そう云ってお姉さまは紅茶をひと口。

「蓉子ちゃんにね…聖が昔に戻ってしまったって、聞いて正直驚いたわ。きっと心細いだろうと思っていたけれど…でも、私がしゃしゃり出る事じゃないから。貴方から、動いて私の元に来るのは勿論別だけどね」

だから、頼ってもいいのだ…そう云われている気がした。

いつものように、お姉さまが私を見てくれる。
でも、このお姉さまは私の知っているお姉さまとは、やはり違うのだ。
お姉さまの中では、二年の月日が流れていて。
…これは蓉子に逢った時にも感じた事だった。
自分と、同じようにリリアンの制服を着ていた蓉子もうっすらと化粧をし、大人びていた。
お姉さまもそう。
私が知ってるお姉さまも確かに私なんかより大人びた人だったけれど、今目の前にいるお姉さまは更に大人びた人になっている。
当然だ。
だって、鏡の中の私も…生徒手帳の写真の私も、大人びていたんだから。

「聖」
「はい…」

穏やかな声が、私を呼んだ。
この声は、変わらない。

「いい?過去も未来も…勿論現実も関係ないのよ。貴方は、貴方。佐藤聖という、ひとりの人間なの。そりゃあ周囲にいた人間は困惑してしまうかもしれない。中には貴方を責める人間もいるかもしれない。でも、忘れちゃダメよ。聖は、ひとりなの」

私の額をピン、と指で弾く。

「痛いでしょ?コレは貴方が感じる痛み。此処にいる貴方が感じる痛みよ。忘れてはいけない事は、貴方が自分を見失わないようにする事。今をしっかり、生きなさい。そうすればきっと、貴方は追い付く事が出来るから」

染み入る言葉。
思わず縋り付いて泣きたくなる。
でも。

「でも…お姉さま…確かに私の体には、『私』の記憶がある…あの子に反応する私がいる…っ」
「…あの子?」

静かな目で、お姉さまが私を見る。
その目に耐えられなくて、私は俯いてしまう。

「あの子って…貴方の妹になったっていう志摩子さんって子?…いいえ、違うか…祥子ちゃんの妹の、祐巳さんかしら?」

私はハッとした様に顔を上げた。
何故、お姉さまがあの子たちを知っている?

「何を不思議そうな顔をしているの。私は腐っても貴方のお姉さまよ?」
「…でも」
「お姉さまの情報網を莫迦にしちゃだめよ」

そう云って、お姉さまは私の手を取った。

「確かに、体は正直ね…それ程、貴方はその子を好きなのね。そこまで好きになるのには、きっと色々な事があったのかもしれない。些細な事も、他愛ない事もね。この手が覚える程、聖はその子を好きで、そしてそれに気付くほど、貴方自身もその子が気になっているのね」
「…私自身も?」
「そう。貴方自身もね。…きっと、その子は貴方を見てくれているんじゃない?」

聖さまは聖さま…あの子はそう云った。
はっきりと、躊躇する事なく云い切った。

「私は、私だと…」
「見てくれているのね」

こくん、と頷いた。
そんな私にお姉さまは破顔する。

「なら、貴方もその子を見てあげなくちゃね。解っている?聖。貴方は誰より、貴方自身に囚われているのよ。確かに周囲の人間も困惑する。でも、それに過剰反応するのは、貴方自身がそれに囚われているからじゃない?」
「…え」
「それじゃ、堂々巡りでしょう?」

私は、『私』自身に囚われた…?

「さっきも云ったけれど、貴方は貴方なのよ。今の貴方が祐巳さんを気にするきっかけは体の記憶もあるかもしれない。でも、貴方自身が祐巳さんと関わって、だからこそ気になるって部分もあるでしょう?」

最初は、お節介だと思った。
でも、何故か段々とそのお節介が温かなものに感じられた。
私の事なのに、一生懸命で。
写真や携帯の画像みたいに笑っている顔が見たい、なんて思った。
この気持は、私のものだ。




お姉さまは私を笑う。
本当に、仕方がない子ね、と。

「自分を、信じてあげなさい。貴方は、貴方なんだから。どこまで行っても、貴方は貴方に違いないんだから」



…to be continued

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amnesia -15-

20050315
postscript

私は、私。
私は、ひとりなんだと、お姉さまは云った。
事も無げに、軽やかに笑って。

あの子と同じように、お姉さまも、私は私なのだと…そう云った。

それは、私を見ている人の言葉だった。



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