amnesia
-17-







祐巳は、ちょっと安易かもしれないけれど、聖さまがあの古い温室に居るんじゃないか…って考えていた。
それは、『当たり』で、『はずれ』だった。





「温室…って、あの?窓硝子が割れていてちょっと荒れてしまってる、あの温室よね…」
「はい」
「…どうして祐巳ちゃんは、そこに聖がいると思うの?」

不思議そうに蓉子さまが首を傾げた。
…どうして?
どうしてなんだろう…
祐巳にも、どうしてか解らない。
ただ、漠然と…あの温室に聖さまが居るような気がした。

「すいません…明確な理由はないんですけど…」

蓉子さまにも、それが祐巳の表情で解ったんだろう。
それ以上は聞いて来なかった。
そしてフッと微笑むと玄関へと足を向けた。


「解った。行ってみましょうか、リリアンに」
「はい、…あ」
「どうしたの?」
「鍵が、無いんです…聖さまが持って行ってしまっているので」

そう。
聖さまがこの部屋の鍵を持っている。
まさか鍵を掛けずに部屋を空ける訳にはいかないし…

「大丈夫よ、鍵ならあるから」
「…え?」

鍵がある…って。

その時、祐巳の脳裏に『合鍵』という言葉が浮かんだ。
…蓉子さまに、聖さまは合鍵を渡しているんだろうか…?

なんかちょっと、ショック。

「さ、行こうか……祐巳ちゃん?」
「あ、は、はい…」

祐巳はなんとなく…ううん、物凄く今、嫌な気分になってしまっている。
蓉子さまは、聖さまの親友だし…聖さまは蓉子さまを一目も二目も置いてる、とても信頼している方なんだから…
そう思っても…心の奥がカサカサしてくる。

部屋を出ると、蓉子さまは祐巳に「ちょっと待ってて」と云って、小走りに行ってしまった。
あれ?鍵は…?
蓉子さまが持っているのなら、手持ちのバッグから取り出せば良いだけの事なのに…
そう思っていると、管理人さんを伴って蓉子さまが戻ってきた。

「すいません、彼女、鍵を渡し忘れたみたいで…」
「ああ、構いませんよ。でもスペアキーを置いて行き忘れるなんてねぇ…まぁ、さっきやけに急いで出て行ったからね」

そう云いながら管理人さんが笑う。

祐巳は、なんとなくその光景を呆然と見詰めてしまった。

管理人さんに頭をさげて、エントランスから外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。

「祐巳ちゃん、さっきおかしな想像しなかった?」
「…は?おかしな…?」
「聖の部屋の合鍵、私が持ってると思ったでしょ」
「……っ」

か、顔に出ていたんだろうか!?
祐巳は思わず慌ててしまう。
そんな祐巳に「図星ね」と蓉子さまが笑った。

「莫迦ねぇ。聖が私にそんな大事なものを渡すはずないでしょう?もし合鍵を渡すなら、私じゃなくてもっと適任な人がいるでしょ」

蓉子さまは苦く笑いながら祐巳のおでこを突付いた。






蓉子さまと、リリアンに辿り着いたら、丁度令さまと由乃さんがマリア様の前でお祈りをしている処だった。

「蓉子さま…それに祐巳ちゃん」

令さまが驚いたように声を上げた。

「山百合会の仕事は、もう?」
「あ、はい。まだ祥子と志摩子は薔薇の館にいると思いますけど」

令さまと蓉子さまが話している横で、由乃さんが祐巳に手招きした。

「祐巳さん…大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ由乃さん」
「そっか。ならいいんだけど…ああ、今日祐巳さんが抜けてから、祥子さまの機嫌があまり…ね」
「…ホント?」
「うん。まぁ昨日の今日だからだろうけど…」

祐巳は、思わず俯いてしまう。
祥子さまの機嫌がよろしくないのは…昨日の祐巳の態度のせいかもしれない。

走り去ってしまった聖さまを追い掛けようとした時、祥子さまは祐巳の腕を掴んでこう云ったから…







「もう、聖さまを追うのはお止めなさい!」
「お姉さま…」
「今のあの人は、祐巳を傷付けるだけじゃないの!それなのに、何故祐巳が追わなくてはいけないの!?」

祥子さまは、痛いくらいに祐巳の腕を掴んでいる。
…祥子さまの云う事は解る。
でも…今の聖さまは自分の行動に混乱しているに違いない。
祐巳が行ったからって、どうにかなるものではないだろうとは…思うけど。
それでも、祐巳は聖さまを追い掛けたい。

でも、祥子さまの腕を、振り払う勇気が…湧いてこない。
だって…祥子さまは、とても必死の表情で、祐巳を見ているから。

聖さまが、好きで。
とても好きで…追い掛けたい。
だけど、こんな表情の祥子さまを祐巳は振り切ってしまっていいのだろうか。
心は、聖さまを追いたくてジリジリしてるのに。
祥子さまを振り切ったら…後悔してしまうかもしれない自分もいて…

その時、瞳子ちゃんが動いた。

「私が追い掛けます」
「瞳子ちゃん…!」

薔薇の館を出て行く瞳子ちゃんに、祐巳はホッとしつつも複雑だった。
聖さまを、一番に見つけたいと祐巳は思ってしまっていたから。

これで、祐巳がどうするべきか、はっきりと解った。

「これで祐巳が行く必要は無くなったでしょう…瞳子ちゃんが聖さまを連れて来てくれる…瞳子ちゃんに任せて、行きましょう」
「…いいえ」
「祐巳?」
「私も行きます。…聖さまは、今とても混乱されてます…それに、きっと……だから私にも行かせて下さい」
「祐巳…!貴方には何故解らないの…!?」
「祥子、もうおやめなさい」

蓉子さまが、祥子さまの名を読んだ。

「お姉さま…?」
「行かせてあげなさい。いくら貴方が祐巳ちゃんの『姉』でも、妹の行動を規制する理由にはならない…いえ、姉だからこそ、やってはいけない事もある」
「お姉さま…!」

祥子さまが信じられない、という様な表情で蓉子さまを見ていた。

…祐巳は蓉子さまを見て、ドキリとした。
何なんだろう…蓉子さまの表情が…痛みを含んだものに…何かに傷付いたような表情に見えた。
祐巳の視線に気付いた蓉子さまが、ふわりと微笑むと、祐巳の後ろに回った。

「行きなさい、祐巳ちゃん。人にはそれぞれ役目ってものがあるの。今の祐巳ちゃんの役目は、聖を追う事。さぁ、行きなさい」

そう云って蓉子さまは祐巳の背中をポン、と背中を押した。







あの時、蓉子さまが云った言葉は、以前聖さまが祐巳に云った言葉にとてもよく似ていた事を思い出して、何故だか解らないけれど、ほんの少し…悔しいと思ってしまう。
何故そんな事を思ってしまうのか、解らない…でも、悔しかった。

役目。
その時その時に、人には役目がある。
…今の祐巳に、聖さまを探し出す役目が与えられていたら、嬉しい。
そう思った。




古い温室に、聖さまは確かに来たみたいだった。
祐巳の予想は当たっていた…けれど…
ふわり、と聖さまの香りが残っていただけで…聖さまの姿は、既に無かった。



…to be continued

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amnesia -18-

20050320

私に近付かないで。
今の私はきっと貴方を傷付けてしまうから。
だから、近付かないで。
探さないで。
そっとしておいて。

お願い…だから。
傍に……



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