amnesia
-21-
それって…どういう事なんだろう。
訳が解らない。
祐巳はぼんやりと聖さまを見ていた。
「腕に、祐巳ちゃんの感触が残ってた」
ずっと、私は祐巳ちゃんに抱きついていたからね…と聖さまは苦笑した。
そう…聖さまは蓉子さまが云うところの『祐巳限定抱きつき魔』だったから。
「体は、祐巳ちゃんを覚えていた。それを知ってから、『私』は祐巳ちゃんが気になった。どうしてだろうって。そうしたら…目を逸らしてた祐巳ちゃんの優しさとか、見えてきた。『私』を事を気遣ってくれたのは、祐巳ちゃんだけだった」
「…そんな…蓉子さまだって…」
「違うよ…そりゃ蓉子も今の私と、あの『私』の区別は多分、つく。でも…やっぱり違うんだ」
聖さまは、そういうとフッと祐巳から目を逸らした。
何だか、何処か自嘲的に微笑んで…その表情は、時間を戻してしまった『聖さま』のようだった。
この数日、『聖さま』を見てきて思った。
『聖さま』は、どうしてそんなに周りと一線を置くんだろう…って。
ご自分の前に一本、線を引いて、そこからは誰も踏み込ませない…そんな拒絶感みたいなものがあった。
最初はいきなり時間が戻ってしまって、困惑しているからなのかなって思った。
でも…それは違っていて。
そこであの、去年の『いばらの森』騒動の時に由乃さんが云っていたことを思い出した。
人を寄せ付けない、冷たい感じのする人っていうイメージだったらしい聖さま。
そのイメージと、ぴったりと重なった。
あの時、由乃さんと一緒に栞さんの事を聞いた。
その時にほんの少し気だるげな表情をしたのを見て、その『聖さま』と、聖さまは同じなんだって、思った。
だからなのかもしれない。
祐巳には今の聖さまも、『聖さま』もどちらも同じ『聖さま』なんだって思えたのは。
でも…それなら、昔の『聖さま』も今の聖さまも知っている蓉子さまや祥子さま、令さまだって…
祐巳から目を逸らしていたと思っていたのに、いつの間にか表情を読んだ聖さまが「そこなんだよ」と云った。
「…え?」
「祐巳ちゃんはね、前の私も、今の私も同じだって…そのままを受け入れてくれてたんだよ。だから、みんなとは違ったの。みんな、私を心配してくれてた。そして早く今の私に返ればいいと思っていた…でも『私』は今のこの自分を知らないから、そんな事思われていれば私の全てを拒絶されたって思ったんだ」
聖さまはご自分の胸に手をあて、そう云った。
…確かに、周りの自分が知ってる人たちに、自分を否定された気持ちになったら…自暴自棄にもなる。
祐巳は、ただ『聖さま』の傍に居たかっただけだった。
だって…聖さまは、『聖さま』だって、思ったから。
だから、祐巳は聖さまの傍にいただけ。
知らない祐巳に傍にいられても、疎ましがられるだけかもしれない…そう思っていたけど。
「だから、祐巳ちゃんの事を知った時、本当に驚いた。どうしてなんだろうって。私は、この子の事をどう思っていたんだろう…って。腕に、感触を記憶してるなんて…って」
聖さまはフッと祐巳を見て笑う。
その笑顔は、祐巳の知ってる笑顔。
優しくて、温かい、そんな笑顔。
「私ね、祐巳ちゃんには信じられないかもしれないけど、誰かに触られたり触ったりするのが、凄く苦痛だったの。髪の先に触れられるのでさえ嫌悪してた。その私が、どうして…ってね。その時の私の気持、解る?」
「…いえ」
どう思ったんだろう…祐巳は誰かに触られるのが苦痛だなんて、思った事もない。
髪の先に触れられるのも嫌…だなんて…
人ごみの中なんて、入れないんじゃないだろうか。
考えを巡らしていたら、聖さまの目が真剣なものになった。
「わかんないだろうね…私はね、恐かった。凄くね。恐怖しかなかったよ」
そう云うと、聖さまは祐巳を抱きしめた。
今は、恐がらないでいてくれる事が、嬉しい。
「私が、信じられなくて。恐くて。どうしていいか…解らなくて。携帯の中では楽しそうだしね」
確かに…恐いかもしれない。
知らない自分がそこにいたら。
携帯の中…聖さまの誕生日の時…あの後、撮ったんだっけ。
あの時も、祐巳は聖さまから離れて…でも、聖さまが祐巳を追い掛けてくれた。
祐巳を、選んでくれた…栞さんかもしれない人を、追わずに。
嬉しいけれど、申し訳ない気持が…甦る。
そんな祐巳を感じ取ったのか、聖さまは祐巳を抱きしめる腕に力を込めた。
「でもね。恐いと思った反面、今の私を知っているのに、あの時の私受け入れてくれていた祐巳ちゃんを嬉しいとも、思ったんだ。でも…その気持は認めたくなくて。そんな時に携帯の画像見たもんだから『なんだ、この子も他の人間と同じだったんだ』って思って…昨日の薔薇の館での事になっちゃったんだよね」
そこで、ふふ、と聖さまは「仕方が無いな」と笑う。
「あんな風に、腹を立てたって事は、祐巳ちゃんが気になって気に掛かって…好きになっていたんだろうね」
そして、聖さまは祐巳を見た。
真っ直ぐに。
しっかりと、祐巳に目を合わせてきた。
「きっかけは、体に残っていた祐巳ちゃんの体の感触だけど…でも、私は私で、祐巳ちゃんを好きになってたんだよね」
これって、凄い事じゃない?
そう云って、聖さまが微笑んだ。
祐巳は、どうしようもない気持になってきた。
時間を戻した聖さまも、祐巳を好きになってくれた。
同じ聖さまだけど…
でも、祐巳は嬉しかった。
そして…少し悲しい。
もう、あの『聖さま』は、聖さまの中に返ってしまわれたから。
…to be continued
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『amnesia -22-』
20050324
今、私の中には、ふたつの想いがあった。
私の、祐巳ちゃんへの想い。
そして…
『私』の、祐巳ちゃんへの淡い気持が。
…けれど、私はまだ、ひとつ大切な事を思い出していない事に気がつくのは…ほんの少し後の事だった。