amnesia
-23-
私は、全てを思い出した。
そして…祐巳ちゃんを、この腕に取り戻した。
なのに、何かが、引っ掛かっている。
何が?
「それじゃ…私そろそろ…」
祐巳ちゃんが、私の胸から顔を上げて、そう云った。
思わず、「え?もう?」という言葉が口から飛び出した。
本当に、素直な気持。
しまった、と思った時にはもう遅い。
祐巳ちゃんは、ちょっと驚いた顔をして、それからゆっくりと表情が笑みに変わっていく。
祐巳ちゃんの良い処、好きな処は沢山沢山あるけれど、こんな風に笑みに変わる瞬間の表情が、とても好きだと思う。
柔らかく、笑んでいく…その表情。
つい、見惚れてしまう。
そして、つられて微笑む私がいる。
そんな自分に気付くと、何となく、くすぐったくなるのだが。
「…じゃあ、もう少しだけ…一応聖さまのお部屋に寄る事は云って来ているので」
そう云う祐巳ちゃんに、ちょっとだけ申し訳ないような、嬉しいような気持になる。
…まさか、引き止めちゃうとは…
そんなに、帰したくないんだろうか。
帰したくないんだよな…
そう考えて、苦く笑う。
いつもは目を逸らしている事が、今日は見えてしまう。
これも、戻っていた時間の後遺症だろうか。
そう…本当は、いつまでも『いい先輩』『優しい先輩』では居たくなかったり。
でも、そうじゃなかったら警戒されてしまうんじゃないか…なんて。
キスはしてるけどねぇ…
でも祐巳ちゃんの中で、私はまだ『白薔薇さま』の延長上にいる気がしてならない。
だから…更なる一歩を踏みたい気持もあれば、もう少しこのままで居た方がいいような気持が、交差しているのが現状。
そりゃ…姉である祥子より、私を選んでくれた祐巳ちゃんの気持を疑う気なんて無いけれど。
そんな風に思う事が、祐巳ちゃんを侮辱してるって、思うけど。
でも…やっぱり、そう思ってしまう。
ねぇ、祐巳ちゃん?
私は、今も祐巳ちゃんにとって優しい良い先輩?
それとも…
困ったな。
そんな事が、頭から離れない。
祐巳ちゃんに聞いてしまいそうになる。
…こんな事なら、さっき『帰る』と云い出した時に帰すべきだったのかもしれない。
でも…それでもやっぱり、祐巳ちゃんにいて貰いたかった。
矛盾してるんだよ、私。
内心溜息をつく。
でも、そんな風にしている私に、祐巳ちゃんが気付かない訳がない。
さっきから、私を伺っている。
「聖さま、何か気になる事とか、ありますか?」
「え?」
「聖さまは、ご自分でなんでもしようとお考えでしょうけど…でも、私だって…」
そこで、私は祐巳ちゃんの言葉を止めた。
「ストップ。そんなんじゃないからさ…」
人差し指で、言葉を止められた祐巳ちゃんは不思議そうに私を見る。
それじゃ、何?と目が云ってる。
ああもう…困ったな。
そんな顔されると、どうしようもなくなってしまう。
ちょっと、意地悪してみたくなる。
これじゃあ、好きな女の子を苛める小さなガキだ。
…って、志摩子に云われたっけ…小学生や中学生と一緒だって。
「ねぇ…祐巳ちゃん…私の事、どう思ってる?」
「…え?どうって…」
首を傾げている。
そうだろうな、と苦笑しそうになる。
「私って、祐巳ちゃんにとって『良い先輩』?」
「…聖さま?」
「それとも…」
「聖さま?何をおっしゃりたいんです?」
怪訝そうな顔。
莫迦な事を云っている。
解ってる。
でも、そう思いながらも、止まらない。
「『優しい』、ただの『先輩』?」
「聖さま!」
祐巳ちゃんが、声を上げた。
思わず、目をぱちくりとしてしまった。
こんな祐巳ちゃんは、滅多に見られない。
「…いい加減にして下さい」
搾り出すような声。
これは、怒っているな。
「何考えているんですか!私が聖さまをどう思ってる…って、そんなの」
「…だってさ…祐巳ちゃん、あまりにも無防備だから」
「…へ?」
なんでこんな事云ってるんだろう。
まだ私はおかしいんだろうか。
もう止せ、と頭の中で声がする。
けれど、止められない。
「危機感なんかないでしょ?私が何考えてるか、知らないでしょう?」
「聖さま…?」
何云ってんだ。
私が何考えてるかなんてわかる訳ないじゃない。
わからないように、厳重に隠しているんだから。
なのに、何故今、私はそれを祐巳ちゃんに知らしめようとしている?
「キスしたり、そういうの…どういう事なのか、解ってる?」
「…聖さま…何をおっしゃりたいんです…?」
「それがどういう意味か、解ってる?」
私は『解ってる?』と繰り返す。
本当に、私はどうしてしまったというのか。
こんな事を云えば、こんな態度を取れば、祐巳ちゃんを困らせるだけなのに。
…不安。
多分、私は不安なんだ。
時間は私に戻ってきた。
けれど、ここ数日の『私』の意識が、色濃く残っている。
不安、だ。
祐巳ちゃんに対する、不安。
私を、本当に見てくれるのか。
こんな私を、受け入れてくれるのか。
そして、時間を取り戻した私自身の、不安。
私は、祐巳ちゃんに『触れたい』と思っている。
その唇に、肌に……全てに。
浅ましい、感情。
ドス黒く、醜い…欲望。
高等部の頃から何度も繰り返してきたスキンシップじゃ、もう物足りない。
軽い触れ合うだけの接吻では、もう物足りない。
貪るような接吻と、そして、祐巳ちゃん自身ですら触れていないような処に触れたい…そう思ってしまう自分がいる。
そんな私の存在を知ったら…知られたら…
それが、不安なんだと思う。
昨日、薔薇の館で、『私』は祐巳ちゃんに口付けた。
その感触を、私は覚えている。
いつものような、軽く甘い触れるだけの接吻じゃない、乱暴に奪うような、接吻。
その接吻に、上手にオブラートに包んでいた渇望が、姿を現し始めた。
自分じゃない『自分』によって、暴かれた、醜さ。
…最悪だ。
いくら『自分』に違いないとはいえ、こんな形でそれを知らしめられる事になるなんて、想像も出来なかった。
祐巳ちゃんは、私の顔を見ながら、固まってしまっている。
そりゃそうだろう…
何をどう答えていいか解らないに違いない。
離れて行って欲しくない。
でも、こんな私の醜さをしれば…
そう考えながらも、『知って欲しい』気持もある。
察してほしい自分が居る。
察して、受け止めてほしい…
けれど。
私はまだそれを知られたくないとも思っている。
まだ、早い。
そう思っている自分も確かにいる。
―――じゃあ、どうすればいいのよ!
八方塞りもいい所。
私は、自分に縛られる。
戒めるられる。
引き止められる。
「…ごめん」
私は、やっとの事で、その言葉だけを、搾り出した。
まだ私は、君を穢したくない。
…穢せない。
「ごめん、祐巳ちゃん…まだちょっと、不安定な感じみたい」
「…え」
「ごめん」
なんとか、顔に笑顔を貼り付けた。
お願い、今はまだ誤魔化されていて。
私の醜さを、暴かないで。
「…聖さま…」
祐巳ちゃんは半ば呆然と私を見ている。
当然だ。
でも今は、うまくフォロー出来ない。
これが、精一杯だ。
お願い。
「…そう、ですよね…さっき時間が帰ってきたんですから…」
祐巳ちゃんは、私の腕に体を預けてくる。
そうする事で、私の気持を和らげようとでもしているんだろう。
確かに、祐巳ちゃんが触れているところから、やんわりと温かさが伝わってくる。
安心出来る温かさだ。
でも…それと同時に、違う気持が頭をもたげる事を、祐巳ちゃんは知らない。
『もっと』、と。
『もっと触れたい』、と。
そう思う気持ちも同時に存在している…という事を。
…to be continued
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『amnesia -24-』
20050329〜20050331
知られたくない気持と、察して欲しい気持が同居している。
それは、微妙なバランスの上に成り立っている。